津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

太湖丸、現る!

2011-09-10 | 尼崎汽船部
自動車船やLPG船など、船種毎に内航船を追っていると、思わぬ港で再会する船がある一方、
なかなか会えない船もいるなど、悲喜交々を体験する。まぁ、国内にいるのであれば、いつか
どこかで出会えるもの‥と構えてる。
時代は遡り、絵葉書全盛期(明治末~大正)に活躍した汽船なら、古絵葉書を丹念に確認する
なかで、船影を見い出す可能性もあろう‥と、考えていた。これは当に、そんな思いを強くした
話である。



太湖丸に出会えた!
一年ほど前になるが、この絵葉書を目にした時、眩暈にも似た衝撃を受けた。沖合に浮かぶ
汽船のシルエットは、『太湖汽船の50年』で幾度も眺めた「第一太湖丸」のそれであった。
記録された場所は飛島。酒田市沖39キロの日本海に浮かぶ離島の入江である。
『函館海運史』には、函館港を起点として、噴火湾航路を経営した尼崎伊三郎「北海部」や、
不定期船として来航した尼崎伊三郎所有の汽船が記録されている。この絵葉書は、仕様から
大正期後半と見られる。煙突マークは見えないが、他にもマーク無し画像があり、太湖丸の
可能性を否定するものではない。飛島への寄港は避難だろうか。それとも、貨物の積み降ろ
しがあったのか。いずれにせよ、安治川口から飛島まで、幾日かけて航海したのだろう。

これは、飛島へ行ってみるしかない。この風景があるのだろうか? タイミング良く、酒田市
立資料館では、企画展「よみがえる酒田湊」も開催中だ。夜も更けてから東京を発ち、太湖丸に
導かれるように、深夜の上越国境を越えた。黒崎PAで時間調整を兼ねた仮眠をとり、岩船、加茂と、
港に立ち寄りながら酒田入りした。
酒田は一年ぶりの再訪となる。最上川舟運と西廻航路の接点に位置し、物資の集散地、商人の
街として繁栄した。日和山や綿積石など北前船の時代の遺産や、幕末の運送船「長崎丸二番」の
遺品が残るなど、海事史の香り高い街である。



この時期、飛島航路「とびしま」は一日一往復で、9:30に酒田港を解纜した。
航海速力19.0ノット、253G/T、2010.06、瀬戸内クラフト建造。乗ると撮れないので、これはデビウ
したての、昨年の画像である。海には台風12号の余波があり、ジェットコースターのような乗り心地を
堪能した。陸水が影響して白く濁る水域と、真っ青な水域との、はっきりした潮目を見ることが
できた。

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