Matthewの映画日記?

Matthewの独断と偏見に満ちたお気楽日記

沼地の記憶 / トマス・H・クック

2010-06-06 01:11:08 | '10 読書
トマス・H・クックの『沼地の記憶』を読みました。
トマス・H・クック、名前は知っていましたが、作品を読むのは初めてです。


沼地の記憶 (文春文庫)
トマス・H. クック
文藝春秋


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あらすじは、

1954年、レークランド高校で教職をしている私(ジャック・ブランチ)は、まだ24才で、恵まれた星の下に生まれたため、世の中の本当の悪というものを知らなかった。
この当時のレークランドは、まだ人種や階級によって、街の中がはっきりと線引きされていた。
私の教えていたレークランド高校は、私が育ったような支配者階級の子女が通うような学校ではなく、普通の労働者・低賃金層の子女が通う高校だった。
それでも、私は父の教えていたこの高校で、父と同じく教職に就いたことを誇りに思っていた。
レークランド高校に勤めて3年、私は注意散漫な生徒たちが学業に関心を持つように、ある特別授業を行っていた。それは、「悪について」というクラスだった。
本に描かれる、過去の伝記や、実際に行われた数々の非道な事件について、拷問について描かれた絵画や写真を使い、かれらの関心を誘いながら、世の中には自分たちが決して犯すことのないほどの邪悪な行為を行う人々(悪)が存在していると教えようと思ったのだ。そして、それは育ちによって、失われているかれら自身の自己評価を一段高めることが出来ると思ったからだった。

そのクラスには、いつも教室の後ろにぽつりと一人で座る男子学生がいた。
彼の名は、エディー・ミラー。
まじめな生徒だが、自分に自信がなく、いつもおどおどびくびくして、クラスにも馴染めずにいた。
そして、私が、彼が遠巻きにされる本当の理由を知ったのは、同じクラスで校内一の美少女シーラ・ロングストリートの失踪事件が起きたときだった・・・




感想は、

最初のうちは、私(ジャック・ブランチ)の行う特別授業が嫌で、なかなか読み進まなかったのですが、シーラの失踪事件が起きたあたりから、面白くなってきました。
私の与えた「悪人について」の課題を生徒たちが、取り組むあたりで、エディーの課題を書き上げるための過程が面白かったです。
私ことジャック・ブランチは、悪い人ではないですが、育ちが良いための世間知らず(自身を良い教師という時点でダメな人と思う)で、「悪について」の授業で“悪”について教えていますが、それはたくさんの書物から得た知識であって、本当の意味での人の中にある“悪”というものを理解していませんでした。
良家の子息である私は、階級に捉われ、人を見下すことはしていませんが、無意識の高慢というか、私が思い描く、善い人を演じている感が、ありました。
ただ、私が、自分の父とエディーが親密になって行く過程で、嫉妬・猜疑心に捉われて、エディーを悪人とした架空の物語をでっち上げ、授業で、生徒たちに物語の主人公(エディー)を悪人だと認めさせ、自身に賛同を得ようとするシーンで、私が、どれだけ世間知らずかがわかるシーンでは、笑ってしまいました。生徒たちの意見が、普通の正しい意見だと思います。

最後は、なんとも言えない結末でしたが、一番可哀そうなのは、エディーですね。
私に、散々振り回されたあげく、未来の可能性まで奪われた気がします。
読後感は、あまり良いものではなかったです。



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