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松本さんの絵 第2 ◎  我 (戦争で)何を得たりや

2013年01月14日 19時05分50秒 | 日記

matのブログ-図  4 

             図4     2009年05月02日(土)               

 イレーヌからの返事 

 軍曹は兵隊を連れて家にあがってきた。彼らは塩が入った角缶2個、コーヒー豆の麻袋などをを担いできた。母の嫁入り前の振り袖、帯などと交換した。彼らは土足で部屋に入ったが、気がつくと靴を脱いでくれた。それなり神妙だったそうだ。タケノコしか食べるものがなかったが、兵隊を案内して裏庭の竹藪からタケノコを堀に行った。天ぷらにしたら、おいしい、こんな味は始めてで、食べたことがないといって喜んでくれた。悲しい時代だね。真ん中にいる赤ん坊はだれ?戦争で価値観が変わってしまった父は生きていくために自問自答して、詩を詠んだ。

     我  何を得たりや

     我求めんと願う真実は何処に

     生活環境の転換あるのみ

 

以上の話を、かいつまんでアメリカのイレーヌに話した

 

ワシントン州  イレーヌ 様へ  マットより

 

I drew this picture 2008. In a picture ,Mr.Victor grinds coffee by a pretty mill. My father gazes him doing ,with my mother and a baby beside funny figured person like bird . Mr. Victor grinds coffee beans and spreads bean,s sacks on the table . There are some supplements behind him and wooden toys on a table .In the top light you can see poem. A poem Hiroshi wrote says as .....

People has transfered and left since long ago
Time spend like as light arrow
This place have kept old history since a thousand year
Kamo River run calm and pure
Here is a place called KyoーRaku ,we could meet with forign friends.

 

ビクター君が我が家にやってきた時の情景を描きました。ビクター君がコーヒーミルを使ってコーヒーを粉にしています。母と父は彼のすることを見つめている。鳥の様な姿の少年のそばに赤ん坊がいる。ビクター君は机にコヒー袋を広げている。後ろには荷物があります。 画面の右上に父は、詩をのこしている

人移り人去りて行星月
千年の歴史を秘めん
加茂は清らかに流れる
はるかなる異国の友と会えり
京洛の地

 

 

イレーヌから返事が来た

 

ワシントン州  イレーヌより

Hi Mat!
What a nice story. It's wonderful when we can remember that amidst the bad times, there are still good people.World War II (WWII) was not a good time for either of our countries. I was born in 1952, so I am what we call a "Baby Boomer," which is all the children born right after WWII. I only know what I have learned from history, whereas your parents and mine experienced the war's effects. My parents are now 83 years old. How do you as a person living inJapan feel about WWII? I feel our country was very mad and very scared. We did some horrible things. The worst was the dropping of bombs on your country, but we also put our Japanese citizens into interment (internment? - I can never remember whether it is with or without the "n" in the middle) camps.

マットさん、いい話ですね。終戦のとんでもない時に、すばらしい人達が生き残っていたと思うと、なんともすばらしいです。第二次世界大戦はどちらの国にも良い時代でなかったですね。わたしの両親は、いま83才、わたしは戦後のベビィーブーマーで、お互いの両親が戦争の無意味さをあじわった故に、わたしは歴史から学んできたと思っている。私たちの国、アメリカはずいぶん残酷なことをしてしまった、しかし大変な狂気と恐怖の中にいたのです。最悪は日本広島に原子爆弾を投下したこと、でも、わたしたちの日系米国人を収容所に押し込んだことなど、痛恨の思いがあります。

 

 

 


松本さんの絵 第321◎ 変わった味覚でした。人によりますが、いいかも

2013年01月14日 17時38分51秒 | 日記

 

図425    2013年01月14日(月)

        ワインと果物

 

 ふるい仲間で飲み会になりました。飲み屋でなく知人宅です。焼酎、酒、ビール、つまみを持ち寄って鍋を囲みました。付近は祇園巽橋のちかくで高級な料理店がある一等地です。橋の手前は民家になります。ひさしぶりに、話が進みました。鍋を囲んで焼酎を飲むと学生時代を思い出します。鍋の後で、お粥に卵を入れました。それを食べると、新しい鍋にワインを入れて暖めました。レモン、リンゴ、などの果物が入っています。変わった味覚でした。人によりますが、いいかもしれない。

 

 


松本さんの絵 第1◎The first piture is color

2013年01月13日 17時04分08秒 | 日記

 

matのブログ-図  1

図 1      1953頃の実家付近

  Fig .1 is a color art , This pastel work is a scene near my home . My father  draws a paint  landscape  in 1953, when U.S army stayed

in The Red Cross Hospital near my home in KYOTO city, at the time , few years spent since The world war Ⅱ, U.S Troop might occupied The Red cross Hospital .


 図1は、パステル画です。京都の実家下池田の風景です。私の父が1953年に描いたものです。アメリカ軍は、実家のちかくにある京都市東山区の日本赤十字を宿舎として使用していました。終戦からしばらくは外国兵が珍しくて、見に行きました。

matのブログ-図  2

図2
 
 
 I  wrote  Fig.2   after my father died .  I  remember  my father told me 50 years ago  , friendly U.S soldiers called on my home ,and brought curious  foods and goods .Main goods were lots of salt , second  are  coffee beans with a coffee mill,and  some carton books  .This  trade was done between my father and Mr.Victor. they called on my home with his friends  driving by Jeep and Bike.


  図2.は私が描きました。父が亡くなって、31年になります。しかし50年以上前に父が話してくれた事を今もよく覚えています。彼らの写真が現存しないので図1に、イメージを重ねたものを描きました。友好的なアメリカ兵達が食料や、品物を持って日本赤十字病院からから実家を訪ねてきた事です。品物は、塩の入った一斗缶や、コーヒー豆、コーヒーミル、ミッキーマウス軍曹とドナルドダックの兵卒の活躍する漫画本などでした。この取引は、父とアメリカ兵との間で決めた私的なものでした。ある日、数人のアメリカ兵達がジープとバイクでやってきた。

 


 図3.    55年後、 おなじ場所

 

 

 

  図3.は2008年に、父がパステル画を描いた場所を    写生しました。すっかり景色が変わってしまった。

 


松本さんの絵  第96◎中村楼は老舗だけあり、枯山水の庭を見ながら食事ができます。

2013年01月06日 22時58分32秒 | 日記

 

matのブログ-32 

  図186    祇園中村楼

      2010年04月04日(日) 

 3月は祇園中村楼で食事をしようと4人が集まりました。昼懐石にしました。これからも食べ歩く料亭は、日本料理では一流の店です。日本料理は、食材や、味、器、もてなしの雰囲気など、いろいろなところで伝統を感じます。がっかりした事は一度もありません。正直にいって、味が良かったとかではありません。さて、食事のあとで、四条の老舗喫茶に行きたかったのですが、岡崎を散策することになりました。そのかわりUCCの阿蘭陀コーヒーという店に入り、熱いコーヒーを頼みました。ここは平安神宮のそばで疎水に沿ってツタの葉が茂るレンガの壁の店で以前から行ってみたかったのですが、車が止められず、歩いていく機会もなく素通りしていた店です。UCCなのでしっかりした味で、熱いカップに熱いコーヒーがでてきました。

そのあと無隣庵に行き山縣 有朋の別荘と庭を見ました。この別荘でロシヤとの戦争を決定した会議をしたそうです。中村楼は老舗だけあり、枯山水の庭を見ながら食事ができます。この日は少し寒いのに朝から舞妓さんの服を着た観光客や桜見物の人、結婚式のお嫁さんなどを見ることが出来ました。円山公園のしだれ桜は枝が刈り込まれて桜の花が少ない。

知恩院の大クスの木の下を抜けて、白川疎水に向かいました。京都はクスの大木が多くあります。ここの木は500年ですが、今熊野神社は800年だそうですが、いずれも大きさに圧倒されます。

疎水沿いに散策しました。三条までタクシーで戻り先斗町を散策したあと、祇園石段下までもどり、鍵善良房に、くずきりを食べに行った。黒蜜と葛の不思議な食感は、何にたとえるべきだろうか。祇園は歌舞練場も京舞の季節です。

            つづく>>

 

              


松本さんの絵 第291◎生け花にアポロ

2013年01月06日 06時02分11秒 | 日記

 matのブログ-xz 


 

図396    2012年08月28日(火)

        ポピィ に アポロチョウ


  玄関には、花瓶に花を生けてますが、アポロチョウを飾ってみました。造花をかざると、数日で目が疲れます。チョウは本物ではありませんが、生け花や、造花に巻き付けたり、花瓶にさしてみました。ときどき、生け花にすると、気分が変わります。