白黒ブログ~続カウンターの内側から~

カウンターの内側目線&店の外のマスターの顔

大混雑

2015-03-31 03:31:34 | Weblog


お仕事で井の頭公園に行ったら
すごいことになっていた。

平日の昼間にもかかわらず
地面の上も人間だらけ
水の上も大渋滞。

Welcome to 高円寺

2015-03-30 00:03:00 | Weblog


新婚の二人、プンプイとももちゃんが高円寺に引っ越してきたので
歓迎のお好み焼き。

プンプイは初めてのモダン焼きをきれいに焼いて
佐津季のおばちゃんにほめられていた。

みなさん、二人をよろしく!

白黒の花見は4月5日

2015-03-29 03:03:57 | Weblog


昨日今日でずいぶん咲いてきた。

この分だと来週は
散りかけの、風情ある花見になりそう。
コップの日本酒に花びらがひらり、なんて。

5日(日)12時から3時
馬橋公園
食べ物も飲み物も敷物も各自持参!


ところで
花の咲き具合をチェックしがてら公園を歩いていると
知り合いが花見をしていた。

顔を見るや
「あのさあ、ワインオープナー持ってない?」

もちろん持って歩いてはいない。

だけどこう見えて結構雑学は仕入れている。

「靴があれば簡単にコルクは抜けるよ」
と教えたのだが
信じてもらえなかった。

ほんとだよ。ほら↓。


届いた!

2015-03-28 02:31:04 | Weblog


花泉の瑞祥 本醸造。

蔵元で働いている知人から本日突然届いた。
ありがとう!

酒っぽさと甘さがあるけど
すっと切れる。


お買い物

2015-03-27 03:37:19 | Weblog
なじみの武器商人のところ(Yカメラ)に
新たな武器(=機材)調達に行ってきた。

これでまたパワーアップ。

仕事のために機材を買っているのか
機材を買うために仕事をしているのか
因果な商売だ。

卒業

2015-03-26 01:31:35 | Weblog


母校の卒業式にご招待いただき行ってきた。

自分が卒業して18年経って
仕事でまたつながったり。

この後頭部の男(俺じゃないよ)は
来賓の祝辞を述べたKやん。
ホームステイしたい留学生と受け入れたい家庭を結ぶ会社の人。

すべていい縁だなと思う。


そして卒業する学生たちを見ながら。

これから社会に出たら
言葉は道具の一つに過ぎない。
先生達に教えてもらい身につけた道具を活かして(も活かさなくても)
どうやって生きていくかは
これからの自分自身にかかっている。なんて
必死でもがいてやってきた今までの日々を
ちょっと振り返ってみたりした。

21年目突入の日。

20年

2015-03-25 03:34:46 | Weblog


1995年3月24日上陸。
今日でちょうど20年となった。

どっちかというと
そのうち17年店をやっているという方が
自分にとっては大きいのだが。

体重50kgで来て
学校とバイトの貧乏生活でその年の夏には43kgまで落ちて
3年後店を始めた頃は54kg
途中2002年頃タバコを止めて64kgまで太り
その後57kg前後に落ち着いて
現在に至る。

髪はさらさらヘアの、通称フミヤ時代から始まり
やはり2000年過ぎて減り始め
7,8年前から自分でバリカンを使い現在の頭に。

20年。
これから先がさらに大事だ。


13.5

2015-03-24 03:59:00 | Weblog


この前ソウルに行った時ソンウにもらった
おしゃれジーンズ。

ソンウがはくと、もっとずっとかっこいいんだが。

なかなか見ないデザインで、すごく気に入っている。

もちろん裾は日本に戻ってからずいぶんつめた。

第3回白黒落語会

2015-03-23 00:02:13 | Weblog
立川談笑師匠の弟子3人による白黒落語会も3回目。

こちらが本日の演目。



今日も三人三様、
楽しませてもらった。

次回またよろしく!



そして
次の白黒イベントは「花見」。

4月5日(日)午後12時から3時くらいまで
馬橋公園にて。

飲みたいもの、食べたいもの、敷物などを
各自持ち寄りで~。

俺の原点

2015-03-22 04:06:45 | Weblog
フィンランドを代表する映画音楽の作曲・編曲家として活躍中の友人が
今日、こんなことを書いていた。


子供のころ、CDプレイヤーを買ってから
父親と一緒に毎週のように図書館にCDを借りに通った。
初めて借りたのはピンク・フロイド。
14歳の少年には衝撃的だった。
図書館にある全てのCDを借り、カセットに録音して
様々なジャンルの音楽を聴いた。
その図書館なしには今の自分はなかっただろう。


ざっとこんな内容だった。

自分の原点は何だっただろうと考えると
小学生6年生の時にさかのぼる。

当時高価で子供がなかなか触れなかったカメラ(もちろんフィルム)。
父のカメラを黙って持ち出して初めて写真を撮った。
でも、現像に出してみると
1本のフィルムのうち、ちゃんと写っていたのは数枚。
なんで撮れないんだろうと悔しくて
いろいろ試し始めた。

それがスタート。

機材も時代を経るとともにすごい勢いでどんどん変わり
PCも当たり前に必要になった今も
どうにか写真を続けている。

勝手にカメラを使った息子を叱らず貸してくれた父親に感謝である。