益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

ロハスという言葉

2006-07-30 23:23:53 | Weblog
 前に僕は「ロハス」が嫌いとストレートに書いたことがありました。これに対し不快に思われた人がもしかしたらいるかもしれません。正確にいえば「ロハス」を提唱し、それらの活動そのものは決して嫌いではなく、逆に尊敬しています。ただ「ロハス」という言葉が嫌いなのです。
 先日、ある方のホームページを拝見しました。その方はいまの田舎暮らしブームの先駆けといってもいい、その世界ではかなり有名な方です(仮にAさんにしておきます)。Aさんが月に一度、メールマガジンとして配信されているものがあり、それがそのままホームページにも転用されているのですが、Aさんの考えやいろいろなことが書いてあります。先日の記事にこのようなことが書かれていました。僕は「のんびり」で生きてきました。それがいつしか「スローライフ」という言葉が生まれ、最近ではいうにことかいて「ロハス」とまでいうらしい・・・。環境にやさしいビジネスとして「ロハス」はアメリカではいまや40兆円市場だそうで、日本で「ロハス」のビジネスを名乗るならば、まずはライフスタイリストなる資格を取得せねばならず、六本木ヒルズのビルにて講習会を受講し、さらにはカナダに研修にいかねばならないらしく、もうわけがわからない・・・。
 僕自身ライフスタイリストなる資格がどういうものかまったく知らないので一概に批判はできませんが、またしても都会のど真ん中の冷房の効いた部屋で、しかも机上の空論を叩き込むのがいまの「ロハス」なのでしょうか?
 Aさんを訪ねてきたある雑誌の女性編集長はAさんが「僕はのんびりです」といったら「じゃーもうリタイヤ生活ということですね」といったそうです。その編集中は「忙しい」が基準であり「のんびり」=リタイヤという風にしかとらえることができないような人らしく、そういった感性しかもてない人の作る雑誌はどうかと思う・・・と思っていたらその雑誌は案の定廃刊になったそうです。
 話がそれましたが、Aさんは「ロハス」はおろか「スローライフ」はおろか「田舎暮らし」という言葉が世に出回る前からそれらを実践してきた人です。Aさんは、僕は「ロハス」でもなく「スローライフ」でもなく断固として「のんびり」なのだといっておられました。
 僕自身は何がいいたいかといいますと、現代は「ロハス」も「スローライフ」もそれに「スローフード」も「オーガニック」もそれらの言葉がブランド化しているということが嫌いなのです。カタカナを並べればかっこよくなるというのが現代社会の認識らしいのですが、すべては「のんびり」でいいじゃないかということです。
 誤解を招いてしまいそうですが、僕自身は決して「ロハス」とか「オーガニック」とか、そのものが決して嫌いなのではありません。益子にもそういったことを志す方が大勢いますし、お客様にも大勢いらっしゃいます。それらの取り組みをしている人は本当に素敵な人が多く、尊敬の念すらいだいています。ただ「ロハス」とか「オーガニック」という言葉が独り歩きしてしまっているといいますか、本質を見極めず、まさにブランドのように扱われるのが嫌いだということです。
 言葉というものは本当に難しいものです。同じ内容のことを言っているつもりでも、例えば「のんびり」と書くのと「ロハス」と書くのでは今の人は受け止め方が違うのだろうなと思います。
 ちょっと話がずれますが、昔は「ストーカー」なんて言葉はなかったですし、「ニート」なんて言葉はここ2年くらいで一気に広まったと思います。そういった言葉が世に出回る前に、すでにそのものは存在していたはずなのですが、そんな言葉が生まれると余計に「ストーカー」も「ニート」も増えたように思います。「ロハス」にしてもここ最近広まった言葉ですし、言い出した人が当然いるわけだし、僕にはそういった最近できた言葉というものは、どこかでビジネスの臭いがするような気がしてしょうがないのですが・・・。
 なんだか話がまとまらなくなりましたが、けっして「ロハス」を批判するわけではないのですが、僕自身も「ロハス」よりは「スローライフ」、「スローライフ」よりは「のんびり」でやっていければなと思っています。

ちょこっとセレブ・・・か日焼け

2006-07-28 22:32:20 | Weblog
 わたくしの愛車は軽トラです、そしてセカンドカーはベンツです。なんていうとやな奴みたいですが、実際はそんな感じの使用頻度で2台に乗っています(カミさんもいるのでカミさんの愛車がベンツ・僕の愛車が軽トラという考え方もあります)。軽トラはこのブログにもたびたび登場しておりますが、別に隠していたわけではないのですが、もう1台はベンツです。といってもいわゆるワゴン車です。てなわけで自分自身もベンツに乗っているという感覚はさほどなく、小心者の僕は目の前にベンツが走っているといまだにビビッてしまうのですが、よく考えたらこれもベンツだ・・・とあとから気づくのです。
 なぜワゴンタイプのベンツに乗っているかといいますと、前のペンションは益子でも奥の方にあったので、お客様の送迎は必須だったので送迎用と、あとはこのワゴンは後部座席がすべてとる事ができるので、旅行に行って車の中で寝ることが楽にできるからというのが大きな理由でした。益古時計になってからは送迎は基本的にはしていないですし、遠出(旅行)することもほとんどないので正直、無用の長物となりつつもあり、ホームセンター通いが趣味のようになりつつあるいまとなっては軽トラの方がはるかに存在価値があるといったところです。
 それでもって今日のタイトルなのですが、実はいまそのベンツを車検に出しています。車検はその辺の整備工場でもよいのですが、いつもお世話になっているベンツのサービス工場へお願いしました。そこは益子から40分くらいかかるのですが、何が楽しみかといいますと、代車がベンツなのです。普段はワゴンタイプのベンツなのでベンツであってベンツでないといいますか、自分でもベンツという意識はさほどないのですが、代車はセダンのいわゆるベンツなのです。代車なくらいですから決して高級なクラスではないと思いますが、それでも装備等はやっぱりベンツなのです。片道40分のサービス工場へ行くのは、忙しい時ははっきりいって苦痛でもあるのですが、代車ですと逆にちょっとしたドライブ気分が味わえるのです。というわけでたまにちょっとしたセレブ気分を味わっております。写真のベンツはだいぶ前に修理に出した時の代車です。いつかブログのネタにと思って記念撮影?しておきました。ただこの時は色が黒だったのでちょっとやばい系になっておりました。
 とそんなちょこっとセレブ気分を味わうぞと今回も車検をお願いしたのですが、実は、今は代車がまったく空いてないとの事・・・。代車が空くのを待っていたら車検期間がすぎちゃうくらいらしく・・・。しかも一応夏休みは益古時計も忙しい時期なので、できれば8月に入る前に車検を終わらせておきたいし・・・。というわけで今回は泣く泣く代車なしで車検にだしました。ということはどういうことがおこるかというと、ベンツと軽トラ2台連れだってサービス工場に行き、ベンツは預けて軽トラで帰ってこなければならなくなります。ベンツのサービス工場に軽トラで行くのはちょっとかっこ悪い・・・。しかも車検中は軽トラしか我が家の足はなく、先日の定休日は僕は軽トラでまたしてもホームセンターまで行ったのですが、軽トラは自慢じゃありませんが、エアコンがついていないので、汗ダラダラで運転しておりました。しかもその日は日差しが強く窓全快、腕だしまくりで運転していたので(軽トラは小さいので僕ですと腕を出してちょうどよいくらいなのです)、すっかり腕だけが焼けてしまいました。
 「ちょこっとセレブ気分」はどこへやら、「軽トラ焼け」が虚しい今日この頃なのでありました。

お祭り

2006-07-26 23:48:56 | Weblog
 昨日までの3日間、益子はお祭りでした。というわけで今日は祭りの後の静けさが街を漂っていましたが、昨日の夜は益古時計もたまたまキャンセルが出たこともあり、宿泊のお客様はいらっしゃらなかったので、お祭りにちらっと行ってきました。益子の祭りに行ったのは去年に続き2回目です。
 地元のお祭りというのはどちらかといえばやはり地元の人が盛り上がるもので、小生のような移住者にはいまひとつなじめなかった部分があります。とくに前のペンションの時は、益子でも山の方で祭りとは関係のなかった地区なので余計にそう思ってたところがあったのですが、益古時計になってからは一応関係のある街の方の地区になったので、営業中でもお囃子の音が聞こえてきます。益古時計になってからは、地元の人の知り合いもだいぶ増えたし、山車を引いている人の中にも知り合いがいっぱいいるし、祭りに行けばいろいろ知り合いにも会うし、益子に移住して5年近くになり、ようやく自分も「益子人」とちょっとはいってもいいかなとおもえるようになりました。
 それにしても、陶器市もそうですが、祭りになるとどこからともなく人が大勢集まってきます。普段は18時をすぎるとひとっこひとりいないような街にあんな大勢の人がいたのかと毎度のことながらびっくりします。とくに益子にこんなに若者がいたのかと・・・。益子にもガングロがいるのかと・・・。さらにはまだこんなヤンキーもいるのかと・・・。祭りは行き交う人をみるだけでもある意味おもしろいです。そうやって祭りをみて、若者をみていると、自分の少年時代の地元の祭りがみょーに懐かしくなりました。あの頃に戻りたい・・・とまでは言いませんが、たぶん10年以上行っていない地元の祭りに久しぶりに行ってみたいと思いつつも、祭りが1年に1度の特別な日だったあの頃の気持ちが、今度は益子で感じることが出来る日がくればなと思いました。
 本当はこういうときこそ写真を撮るべきなのでしょうが・・・、カメラが邪魔でもっていきませんでした、ケイタイのカメラは使い方知らないし・・・、まあこういうのは心の中に焼き付けておくものということで・・・。

2006-07-24 22:24:48 | Weblog
 いつまでも終わらない梅雨、いつもならもう蝉が嫌というほど鳴く季節なのに今年はまだその声は少ないように思います。
 先日、カミさんが倒れている?蝉の幼虫を発見したらしく、助けて?やったとか。そしてまさにその数時間後、その蝉が幼虫から脱皮したのです。その一連の光景をカミさんやスタッフはのぞきこんでおりました。蝉が脱皮して成虫へとなる瞬間というのは確かになかなか見るものではないのでよかったです。
 ただ、ひねくれものの僕にはこの光景をみていろいろ考え込んだりもしました。はじめて脱皮する光景をみたというスタッフもいましたが、僕自身はまったくはじめてというわけでもないのでいろいろ余計なことを考えたのかもしれません。まず僕が蝉をみていつも思うのは、確かに脱皮する光景は珍しいですが、土の中にいる蝉の幼虫というものはもっと珍しいというか、いままで見た記憶がありません。あれだけ抜け殻がそこいらじゅうにあるのに、土の中にいるときの姿はまったくみかけません。カブトムシの幼虫などは小さい頃よく見つけましたが、蝉の幼虫はほんとどこにいるんだろうといっつも思います。
 また、蝉というのは6年(でしたっけ?)土の中で生活をして、脱皮して1週間で死んでしまう、もっと外の空気をあじわってほしい・・・なんてはかない虫だろうなどとよくいわれますが、それももしかしたら勝手に人間が美化しているもので、蝉にしてみれば出たくもないのに死ぬためにわざわざ外にでてきて、もしかしたら「死にたくないよー」と泣き叫んでるのかもしれません。なんて余計なことをいってスミマセン。でも虫にしても動物にしても人間が勝手にいいように解釈していることって、実はけっこうあるのではないかとそんなことを思ったりもしました。
 もちろんこれらはまったくの無知の小生が、これまたまったく勝手に解釈してみたことなので、すべてにおいてもっと学術的にはちゃんとした根拠があるのだと思いますが・・・。
 それと益子に住むようになってから思うようになったのが、蜘蛛の巣の素敵さです。益古時計にも毎日のようにどこかかんかに蜘蛛の巣が張られます。お客様に不快におもわれるといけないのでとることの方が多いですが、時にとるのがもったいないくらい綺麗な蜘蛛の巣に出会います。それらはもちろん蜘蛛は本能で生きるために巣を張っているのであり芸術のために張っているわけではありません。美を意識的に狙わないところにこそ本当の美がある。蜘蛛の巣も濱田庄司・柳宗悦らが提唱した「用の美」のひとつなのだろうか?なんてしょーもなく思ったりもしてみたりする梅雨のひと時です。

地下の棚

2006-07-22 23:28:59 | Weblog
 前にお伝えしておりました、地下の個展スペースですが、ようやくとりあえず完成?しました。厳密に言えばまだなのですが、とりあえずいまやれるだけのことはやり終えたのでひと段落といった感じです。
 地下の個展スペースは、現時点では9月7日よりオープンしたいと考えています。そのため作家さんなどともいろいろお話をしているところです。
 オープン前にあまり見せすぎるのもどうかなとも思うので、今日はそのひとつの棚だけおみせしたいと思います。前にも書きましたが、地下はコンクリ打ちっぱなしの空間ですし、1階のお店の感じとは少し違った空間にしたいと思っていました。棚は木ですが、木ばかりっていうのもなんだなと思っていたので、棚の足組はアイアンにて製作しました。いろいろリサーチして情報を集め、結局ある方に教えてもらった地元の鉄工所にアイアンは依頼しました。僕自身もアイアンを依頼するのはまったくはじめてだったので、鉄工所にいきなりいくのも結構勇気がいったのですが、鉄工所の親方と息子さんもとてもいい人で、結果すんなりと仕事を頼むことができました。逆にすんなりすぎて、値段の話ができず、請求は出来上がってのお楽しみ状態となってしまいました。そうこうしているうちに思いのほか早く、1週間くらいでできてきました。請求は正直、思ったより高く、けっこう厳しかったのですが、出来は非常に満足しており、また機会があれば頼みたいと思っています。
 とうわけでアイアンの足組みはできたのですが、それにつける天板は自分でやらなければならず、こちらも無垢の材などとも考えたのですが、予算が苦しいのと、板厚・板巾もけっこうあるので化粧合板を買って来て取り付けました。柿渋を塗りそれから取り付けたのですが、取り付けるといっても思いのほか大変で、ピタッと付けるのに、サイズに切った後、またカンナで削ったりと結構大変でした。多分個展がオープンするともちろんお客様は品物を見るわけで、誰も棚なんてみてくれないと思うし、ましてや取り付けに大変だったろうなんて思う人はまずいないと思うので、今のうちにこの場にて、棚も大変だったとアピールしておきたいと思います。
 地下はとりあえずの完成はしましたが、今後も照明や音響、展示棚も含めまだまだ完全に完成したとはいえません。最初からすべてを整えるよりは、まずはやってみてやりながらああでもないこうでもないと徐々に整えていこうと思っています。棚もすべて可動式でスペースもまだまだあります(といっても今ある棚でもけっこう展示スペースはあると思うのですが・・・)。年内に個展をする作家さんには申し訳ないのですが、ある意味実験台的な部分もあります。逆に作家さんにはある程度好きにやってもらえればいいと思ってはいますが、本当に協力してくれて感謝しています。現在は来年のスケジュールも含め、徐々に企画を考えたり、作家さんと相談したりしています。
 てなわけで、誰よりも僕自身が地下の個展を楽しみにしていますし、逆に誰よりもプレッシャーを感じています。おかげさまでいまのところ地下のスペースをみた作家さんにはたいへん好評のようでそれが本当にうれしく、励みになっています。お店と作家さん、そしてお客様が一体となって楽しい空間にしていければと思っていますので9月からはよろしくお願いします。個展の詳細はもう少しお待ちください、正式に決まり次第お知らせいたします。

苺から梅へ

2006-07-21 23:16:44 | Weblog
 先日より、「梅のソーダー」がカフェのドリンクメニューに加わりました。それでもっていままでご好評いただいておりました、イチゴ蜜ソーダーは終了いたしました。春先から続いていたイチゴのメニューもこれでほぼ終了、ジャムが少しある程度です。益古時計はいつもいっていますが、旬のもの、地のものを極力使いたいと考えているので、残念ながらイチゴはまた来年となります。シロップ・ソース・ジャムは基本的にはすべて手作りしています。というわけでイチゴがなくなるとほぼ同時にようやく梅がつかりました。話に聞くと、この異常気象から今年は梅もいまひとつ数が少ないという話を聞きました。希少価値というわけではございませんが、梅もなくなり次第終了となります。その次はぼちぼちベリー系の果実がでてくる季節なのでそちらに少しずつ移行し、その後秋の果実へと変わっていく予定です。
 果実をはじめ野菜もそうですが、新鮮なもの・旬のもの、そして極力手作りでと考えれば考えるほど、一定のものをだすのは難しくもあり、どうしても野菜や果実の端境期という時期もあります。よってビミョーにカフェのメニューの品数は多い時もあれば少ないときもあります。まれにですが、やたらSOLDOUTが多い時もあります。もちろん出来うる限りの努力はしていますが、決してサボっているわけではなく野菜・果実の収穫時期の事情があるということをご理解いただければと思います。
 みなさんは梅をつけていますか?益古時計は、実質はカミさんとスタッフでつけているので僕自身はまったくやっていないのでえらそうなことはいえませんが、梅をつけるにしてもイチゴやベリーのシロップ&ジャムを作るにしても、いまではお金をだせばいくらでも買える時代です。でもそこにはお金では買えないものがあると思います、まさにプライスレス(あるCMより)なのです。
 梅ソーダーはなくなり次第終了となりますが、僕も先日ちょっと飲んだのですが、やっぱり「夏っ!!」って感じがしてとってもおいしかったです。

原風景

2006-07-19 23:12:24 | Weblog
 先日よりお伝えしております、アダム3部作(いつから3部作になったのかは不明)も今日で最終回になりました。といっておきながら今日はアダムの話というよりは、アダムが作陶して、登り窯を焚いた窯元の話です。
 先日も書きましたがこの窯元の息子さん(多分4代目)とは時々フットサルをいっしょにやる知人です。そんなご縁?もあり今回の一連の活動をちょっとだけ拝見させてもらうことができたのですが、この窯元はお話を伺ったところ江戸時代から続く窯元であり、益子でもかなり古い方です。益子は人間国宝だった濱田庄司がはじまりのように思われがちですが、もちろんそれ以前に窯元は何軒もありその窯元はそのうちのひとつだったようです。この窯元は益古時計から歩いても5分とかからないくらいですし、それこそ毎日のように前の道を車で通っているのですが、お宅自体は道より100mくらい入ったところにありほとんど見えません。僕自身もお宅まで入って行ったのは今回が初めてでした。正直、感動しました。益子に来て益子参考館に行ったことのある人はわかると思いますが、そこはまさに参考館にも匹敵するくらい素敵で情緒あふれる建物とお庭が広がっていました。益古時計からこんなに近いのにいままで知らなかったのが悔やまれるくらいそこだけ別世界のような空間が広がっていたのです。お庭も素敵ですし、お宅も素敵な上に、広い工房とガス窯、それに今回の登り窯があり、さらにいまでは使うことのなくなったより巨大な登り窯がありました。話を聞くと、かっては美術の教科書に載ったり、JRか何かのキャンペーンポスターにも使われたことがあるとか。本当にすべてが古く、逆に新鮮で、すごく素敵だったのですが、これらを維持管理していくのは相当大変だとも思いました。フットサル仲間の息子さんも言っていましたが、庭の手入れだけでも相当なものです。だからといってそう簡単に壊したり規模を縮小するわけにもいかないと思いますし、僕自身もよそ者だから無責任に綺麗で素敵なんて言っていられますが、そこに住むのは大変なことだと思います。
 益子の陶芸家さんのお宅とはえてして、おもしろいお宅が多く、いわゆる住宅展示場などにあるような普通の家はひとつもなく、お宅めぐりをするだけでも楽しいのですが、益子自体は移住者の焼き物屋さんが圧倒的に多いので、今回のような代々続く焼き物屋さんの家というのは僕自身ほとんど行った記憶がなく、ある意味本当に新鮮でよかったのですが、でもどこかに原風景のような懐かしい気持ちがよみがえりました。
 実は僕の母方の実家は、正直に言えば益子以上に田舎といってもよいようなところで、実際数年前、裏山でクマに襲われた人が血を流しながら助けを求めにきたという伝説!?もあります。さらにはもう15年くらい前になるでしょうか?母の実家の隣のお宅はまだ五右衛門風呂があり、TVドラマのロケで武田鉄也が入ったなんて伝説!?もあるようなところです。母の実家自体は数年前に家を建て替えたのですが、昔の家は増改築はもちろんされていましたが、それこそいろりがあったりしましたし、いまでも庭には大きな池があります。よくTVや小説などで原風景などという言葉を耳にしますが、僕は原風景という言葉を聞くと、なぜか母の実家を思い出すことが多いです。僕にしてみれば原風景という言葉がぴったりくるようなところです。今回、その知人の窯元にはじめていったわけですが、たしかに新鮮で驚きもいっぱいあったのですが、頭の中では母の実家のことを思い出し、なんだかとっても懐かしい気分に浸っていました。母の実家は雪国ですし、益子の窯元は工房もあり窯もあるので、まったく違う造りといえば違うのですが、どこかただようまさに言葉にするなら原風景という言葉がぴったりくるような空気は一緒でした。
 いまは古いものブームとでもいいますか、古民家を再利用したり、古材を使ったりしているお店や建物も増えていますが、移築したり再利用したりするのとは違い、代々そこで受け継がれ、そして大事に守られてきたものには、どんなにデザイン性に優れた空間でもやっぱりかなわないものがあるなと思いました。
 前々回はアダムという人との出会いをとおして益子で出会う人のおもしろさについて、前回は登り窯をみて感動したこと、そして今日はその窯元の原風景的な素敵さについて書きましたが、それらはすべて益子でお店を営み、益子で出会ったいろいろな素敵な人がいたからこそです。そんなことに感謝しながら、これからも益子にて、素敵なことがありますようにと願いながらお店を続けていきたいと思います。

登り窯

2006-07-17 21:54:16 | Weblog
 昨日書きました記事ですが、アダムの一連の活動がひと段落したので、過去形のようになっておりますが実はまだ続いており、今日がそれらの一連の活動の最終工程とでもいうべき窯出しが行われました。小生も窯出しを見に行きたかったのですが、祭日なので外にでる余裕はなく残念ながら見に行くこができず、出来上がりの結果もまだ知りません。無事に作品ができていればよいのですが・・・。
 昨日も少し書きましたが、アダムは普段は電気窯で焼成しています。電気ですとある程度計算できるといいますか、コントロールできるものができるのですが、登り窯ですとそれこそできてみないとわからないという部分が電気に比べはるかに増し、それこそまさに神頼みしながらといった感じです。だからこそ時として、電気やガスの窯では作れないものができるのです。そんなこともあってか、登り窯を焚くというのはまさに儀式であり、より神聖な気分にさせてくれます。電気やガスでもそうやる人は多いですが、窯を焚くときはそれこそお清めをし、そこにはお酒だとか塩だとかが必ず用意されています。
 僕自身、焼成中の登り窯を見たのは、正直今回がはじめてでした。いまはそれこそガスや電気が主流となり、登り窯は減ってきてはいるのですが、それでも益子には何十もの登り窯が存在します。登り窯は大変手間のかかるものなので窯の大小やその人のやり方にもよって全然違うので一概には言えませんが、年に1回焚けばよいほうだったりもします。そんなわけでいままでは見るチャンスがなかったわけではないのですが、逆にいつでも見られるという思いもあり、気がつけばそういえばいままでみたことなかったなと気づいたわけです。
 そんなわけで、今回初の登り窯焚きを拝見させていただいたのですが、正直、素人目からみれば、簡単にいえばただ薪を窯につっこんでいるだけといえばだけなのですが(もちろん薪を入れるタイミングや温度管理などいろいろ難しいのだと思いますが素人にはわからないので・・・)、その場の空気感がなによりもよいのです。それはまさに祭りのようなのです。窯焚きはそれこそ夜も寝ないで火の番をしなければならないですし、夜はえてして酒盛りになったりもするようですが、その場にいると、男たちの仕事に賭ける想い、情熱が伝わってきますし、うまく表現できませんが、その場にいるとなんだか不思議な高揚感に包まれます。
 今回はアダムと彼の活動をサポートしているスタッフの人たちと、その益子の窯元の人たちと、それに益古時計の玄関のタイル等を作ってくれた工房がわんさんも協力していたのですが、そこには同じものを作り上げる連帯感みたいなものがすごく感じられました。僕は部外者といえば部外者であり、ただ見せてもらっただけですが、その空気に触れられただけでも本当によかったと思える出来事でした。
 昨日の記事はどちらかといえばアダムの人としての素敵さについて書きましたが、今日は今回の一連の活動にちょっとだけですが、関われたという事が本当によかったということを皆さんにお伝えしたいと思います。

益子はおもしろいです。

2006-07-16 20:35:40 | Weblog
 先日、益子にLAからきた、アダム・シルヴァーマンという陶芸家さんが滞在されていました。アダムがどういった人かと簡単に説明しますと、もともとは建築などのデザイナーさんだったようなのですが、ある服のブランドを立ち上げた創始者でもあり、現在は服の方に関することはその権利を譲り、陶芸家としてLAにて活動されているという方です。陶芸家としても最近は注目されているようですが、もともと彼が立ち上げた服のブランドが日本でも有名なようで、その服も含め熱狂的なファンもいるようです。
 それでもって何故その彼が益子に来たかといいますと、ある雑誌の取材で益子に来て、益子を巡り、その時にある友人を介して訪ねた窯元が気に入ったようなのです。それでいて通常アダムは、LAの街中で作陶されており、窯も電気のものを使用しているので、今回は益子のその窯元にて、普段とはまったく違う環境で、まったく違う土と釉薬を使い、電気の窯とはまったく違う登り窯で、作品を作ってみたいということになったらしく、再び益子の地を訪れたのです。
 5月に一度来て1週間ほど滞在し、ロクロにて形を作り、今回はその作品を登り窯で焼くために再度いらっしゃっいました。その窯元は、私もたまたまフットサルをいっしょにやっている知人で、そんなこともあり私も登り窯の窯焚きも見学させてもらいにいったりしました。その窯元は益子でも代々続いている窯元で、登り窯もすごいのですが、お宅・庭等も凄いのです。登り窯も含め、そのことは長くなりそうなのでまた今度にします。
 それにしてもアダムはそれこそ有名な服のブランドの創始者であり、熱狂的に支持する人もいるくらいのような人なのですが、まったくもって「いい人」なのです。今回は奥様もかわいい赤ちゃんを連れていっしょに益子まできていたのですが、奥様もきどらないとてもいい人でしたし、今回のアダムの活動をサポートしているマネージャーさんを含め、日本人のスタッフの方々も本当に気持ちのよい方ばかりでした。僕自身はスミマセンが、服のことはまったく知らず、逆にアダムとは普通に接していたのですが、もちろん僕は英語も喋れない人間なのでマネージメントしている方を通して話すか、せいぜい単語程度の会話しかできないのですが、何かあるたびに、いつもカタコトですが「アリガトウ」と言ってくれるし、それこそ1日に何回も、会うたびに挨拶してくれるし本当に気持ちのよい方でした。
 それにしても益子は変わった?おもしろい?方がよくいらっしゃいます。本当に不思議な街です。東京ならばなんとも思わないとも思うのですが、これだけの田舎に思いもかけないような人がよくいらっしゃいます。ある大物女優が来たなんて噂も多々ありますが、いわゆるその世界の第1人者だったり、その分野における有名なかたというのがよくいらっしゃいます。このアダムにしてもある意味そうですし、この間は最近また脚光を浴びている岡本太郎のお弟子さんだったという方が益古時計にいらっしゃいました。それこそアダムと、私のフットサル仲間でもある窯元の共通の知人でもある仲介した人も、いまや超有名といってもいい世界的な日本人アーティストの方ですし。
 別に有名だからどうこうというわけではなく、何故こんな人が益子に来てるのというようなことが多く、本当に益子は表通りをみているだけではわからないおもしろさがいろいろあります。時に益古時計にいらっしゃったり、個人的に話をさせていただくような事もあるのですが、なんと言っていいかうまく表現できませんが、そういった方々とお逢いできるのは、おもしろく、そして楽しいです。
 アダム・シルヴァーマンは現在、東京・千駄ヶ谷の明治通り沿いにあるプレイマウンテン・ヴィラにて個展を開催中です。7月23日までやっているようなのでよろしければ行ってみてください。(僕も行きたいのですが、残念ながら忙しくて東京へは行けそうにもありません)
 今回の記事に関しましてはアダムのマネージメントをしている方の了承を得ており、本人の経歴や今回の益子の活動も広く雑誌等におきまして紹介されているので名前等も含めそのまま書かせていただきました。今回の益子における活動は現在発売中の雑誌「Casa ブルータス」に紹介されていますのでご覧いただければと思います。
 それにしても、おもしろく、かつ楽しい、素敵な出会いでした。



今日という日

2006-07-13 20:36:12 | Weblog
 今日はなんてことのない普通の日です。平日ですし、とくにイベントがあるわけでもないし・・・。でもなんとなくうれしい日でした。
 今日はおかげ様で忙しかったです。ランチタイム時、席が空くのをお待ちいただいたかたもいらっしゃいました。今日はお泊りの方ともいろいろ話もしました。カフェにはもちろんはじめて益古時計にきてくれた方もいらっしゃいましたし、2度目・3度目の人もいらっしゃいました。常連さんと呼んでもよいくらい何度もお越しくださってくれる方もいらっしゃいました、益古時計に置いてくれている作家さんも何人も顔をだしてくれました。ポスターを貼ってほしいともっていらっしゃった作家さんもいました、さらに今日は苔玉教室もありました。平日なのにいろんな人が益古時計に来てくださり、なんだかとってもしあわせな気分になれました。
 今日は、あえて言うような特別なことは何もなかったかもしれません。でもこうしていろいろな人が来てくれることが本当にうれしく、いろんな人に益古時計を支えてもらっているんだと改めて想い、うまく表現できませんがなんとなく気持ちのよい日でした。
 本音をいうと暇すぎても精神的に苦痛ですし、忙しすぎると充実感はあるしとってもありがたいことですがやっぱり体が悲鳴をあげます。そういった点からみても今日はほどよく忙しく、心地よい疲れといった感じです。何も特別なことを望むつもりはありません。日々このような幸せが感じられれば素敵です。でも辛い時もあるからこそ喜びもあるわけで・・・。
 とにかく大きな幸せより小さな幸せをかみしめたい今日この頃です。ほんというと、これでもうちょうっと涼しければより最高なんですが・・・。
 写真は遺影のようですが、元気に生きてますので・・・(バテてますが)。