益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

本棚

2009-01-30 18:40:13 | Weblog
 このたび本棚を新しく作り直しました。今までの本棚はオープン前の多忙極まる中にまさに突貫工事状態で作ったものでした。オープン当初から、本の重みによりすでに板が反っている状態で、オープンしてすぐの頃に知り合いのお店の社長さんから「補強した方がいいよ」と言われたり、年に何回も泊まりに来てくださる常連さんからも「来るたびに反っていく・・・」と言われたりしていました。
 そんなわけで、僕の予定帳(やることノート?)には、ずっーと「本棚補強」の文字が書いてあったのですが、わかっちゃいるんですが、補強するためにはまずは本をよかさなければならず、そうするとお店が完全に休みの日じゃないと作業はできないわけで・・・。
 そんなこんなでずるずると今に至ったというわけなのですが、この冬こそはと決心していたのですが、補強するよりも作り変えてしまったほうがよいのではという結論に至り、オープンして丸3年と数ヶ月、ようやく補強改め、作り変えと相成りました。
 今回は作りつけのような感じにしようと思い、高さも天井ぎりぎりまでのものを作ったのですが、裏で作ったはよいけれどどうやって運ぶんだ状態だったのですが、昨日お店をやや早めに閉店しスタッフみんなでなんとかかんとか運びこむことができました。
 柿渋を塗ったのですが、少々濃くなりすぎたので、軽く削り、ちょっと古材っぽくして落ち着きました。ただ、慣れるまではちょっと変な感じです。
 そんなわけで、昨日は閉店後、ひとり夜遅くまでえっちらおっちらと本を並べる作業をしたのですが、本当によくこんなに本があるもんだと我ながら感心しつつも嫌になりました。そして、この本全部をブックオフに持っていったらいくらにんるんだろうかと余計なことを考えたのは言うまでもないのですが・・・。
 まあ、本は見ても本棚をいちいち見ることはないと思うのですが、「本棚が変わった」となんとなく思ってもらえたらうれしいです。 
 

トム&ジェリー

2009-01-26 20:19:46 | Weblog
 毎週木曜日に栃木テレビ(栃木のローカルTV)でアメリカのアニメ「トム&ジェリー」が放送されています。別にそれに合わせてテレビをつけるということはないのですが、なんとなくテレビをつけたときにやっていると思わず見てしまいます。
 子供の頃、「トム&ジェリー」や「ポパイ」をよく見ていました。もちろ子供の頃もおもしろかったのですが、いま見てもおもしろいですし、それプラス子供の頃には感じなかった、なんておしゃれなアニメなんだということを凄く感じます。何がおしゃれかと具体的に上げろと言われても困るのですが、とにかくおしゃれなのです。それでいて「お笑い」「バラエティー」と言うよりは「コメディー」「ユーモア」なのです。この辺はニュアンス的で感覚的なものですが、いまのお笑い番組のように大笑いではなく、どちらかと言うとクスクス笑う感じです。そういうのがとてもおもしろいです。
 一時期、ビリー・ワイルダーの映画(ビデオ)を見まくっていたことがありました。ビリー・ワイルダーとはオードリー・ヘップバーンやマリリン・モンロー全盛の時代の映画監督として有名ですが、おしゃれで、それでいてユーモアセンス抜群な作品を作っていました。ちなみに三谷幸喜なんかはおもいっきりビリー・ワイルダーの影響を受けている人だと思います。
 話がだんだん違う方向に行きそうですが、何を言いたいかというと「トム&ジェリー」然り、ビリー・ワイルダーの作品然り、おしゃれだけどユーモアがあるというのはある意味、カフェにも共通する部分だなと思いました。真面目すぎてもつまらないですし、かと言ってふざけすぎても不快になるだけ、真面目にしつつも、かといって硬くなり過ぎず、ちょっとしたおしゃれとユーモアのセンスがお店には、そして人生には必要なのかなと思います。
 前にも書きましたが、ちょっとした遊び心を大事にするということは、特にお店をやっている人間には必要なことではないでしょうか?
 そんなわけで、これからも栃木テレビの「トム&ジェリー」を見て人生勉強?したいと思います。・・・ついでに「うたの王様」も見ようかな(おもいっきり栃木ローカルネタでスミマセン・・・)。 

あいさつの話(お客として編)

2009-01-22 19:14:57 | Weblog
 先日書いた挨拶についてのお話ですが、今日はあえて逆の立場で書こうかなと思います。
 挨拶というものは、本来は決して迎える側のお店だけがしていればよいというものでもないと思います。挨拶というものは本来コミュニケーションであるわけで、お店だけが一方的にするものではなく、お店がすればお客さんだって挨拶を返すのが本当の正しい姿なのかなと思います。
 ただ、先日書いたようにお店側の挨拶がマニュアル化すればするほど、お客としては挨拶が返しづらくなるものです。今、スーパーやコンビニに行って挨拶をして入るお客さんはいないと思います。お店に限らず今の世の中は、ありとらゆるものと言ってもいいくらいのものが自動で買うことができます。その気になれば挨拶だけでなく、人と会話をしなくても生きていこうと思えば生きていける世の中です。本当に怖い世の中です。
 ・・・と、話が反れていきそうですが、これはだいぶ前にも書いたことがあるのですが、10年以上前の話にになりますが、ビデオレンタルでバイトをしていたことがありました。その時、無言でレジに来る人と「お願いします」とひとこと言ってレジに来る人がいました。この「お願いします」の一言があるかないかだけで全然お客様に対する印象が変わりました。僕もそれまでは無言でレジに来る人間だったのですが、それから買い物をする時は出来る限り「お願いします」とか「スイマセン」と言うようにしています。一言あるだけで受け止め方が全然違うものだということをビデオレンタルのアルバイトをしていたときに学びました。だからできるだけ、レジのお会計の時もそうですが、チェーン店やそれこそファーストフードのお店に行っても出てくるときは必ず「ごちそうさま」と言って出てくるようにしています。
 僕だって益古時計から一歩外にでれば、ひとりの客ですし、いち消費者にすぎません。もちろん普通にスーパーやコンビニにも行きます。お店を営む人間だからいうのではなく、ひとりの人間として、挨拶というものに気をつけるようにしています。
 けっしてお客様を分け隔てするつもりはないのですが、益古時計で働いていても、お会計の時「ごちそうさまでした」とか「ありがとうございました」とほとんどの方がおっしゃってくださるのですが、中には無言のまま事務的な感じでお会計を済ませ帰っていかれる方も中にはいらっしゃいます。ちょっとした一言があるかないかで正直全然印象が違います。カフェでも、オーダーされたメニューをテーブルに運んでいった時、「スイマセン」とか「どうも」とひとこと言ってくださるかどうかで正直印象は全然違うものです。それこそ「おいしそう」とか「ワァァー」と感嘆の声を挙げてくださると心からうれしく思います。
 世の中がマニュアル化すればするほど、挨拶はただの義務となり、前述のように本来挨拶とはお店とかお客とか関係のない、人と人のコミュニケーションであり、双方向であるべきものだと思うのですが、、本当に最近は一方向のものになっているように思います。
 先日、益古時計のあいさつのイメージは抽象的ですが「やさしい挨拶」でありたいと書きましたが、益古時計として、お店側の人間として、僕やスタッフがただ挨拶をするのではなく、お客様も挨拶を返したくなるような、そんな挨拶をするということが本当の挨拶なのかなと思い、それこそが益古時計のイメージする挨拶なのかなと思いました。
 というわけで、「挨拶を返したくなるような挨拶をする」ということを目標にしつつも、でも本当はそれだって、いたって普通のことですし、本当は意識的にやるものではなく自然にできるのが当たり前なんですよね。
 挨拶のことばかり長々と失礼しました。でもやっぱり「たかが挨拶、されど挨拶」ですよね。

「北の人名録」

2009-01-20 22:31:47 | Weblog
 今日は「北の国から」が好きな人にはおもしろい話だと思うのですが、そうでない人にはあまりおもしろくないかもしれないというお話です。
 先日、あいもかわらず本屋をブラついていたら、文庫の新刊コーナーに「北の人名録」がありました。「北の人名録」とは何ぞやと言いますと、「北の国から」の脚本家である倉本聰が書いたエッセイなのです。もう少し詳しく説明すると倉本聰が富良野に移住した当初の、富良野の人たちとの交流を通して得た体験を描いたエッセイで、もうかれこれ30年近く前に発行された本です。しかし何故に30年近く前に発行された本が、今更文庫化されて再発行されたのか意味不明ではあるのですが、たぶんに「風のガーデン」の影響もあるのかなと思います。
 かくいう僕は、だいぶ以前からこの「北の人名録」のハード本を持っているので文庫本は買う必要はないのですが、そこは僕自身元来オタク気質があるもので、文庫化にあたり「あとがき」が加筆されており、それを読みたいがために、文庫本も思わず買ってしまいました(その辺のオタク気質というものは、男性諸氏には理解してくださる方が多いのですが、女性陣には理解されないことが多いです・・・)。
 その辺のことはさておき、僕の人生において読んできた数多くのエッセイの中で、この「北の人名録」はベスト1と言っていいくらい好きな本です。「北の国から」が好きだからというのはもちろん前提にありますが、まさに「北の国から」の元になったであろうエピソードが随所に出てきます。と言うか「北の国から」というドラマが倉本聰の実体験をもとにして書かれているということがよくわかります。またこのエッセイの中に出てくるエピソードに「風のガーデン」に使われたもととなった話も出てきます。
 そして何よりも、都会にはいない富良野という地で生まれ育った、とても魅力的な人たちを、都会からやってきた倉本聰ならではの視点で描かれている、富良野の人たちと倉本聰とのやりとりが実におもしろいのです。この感覚は、ある意味、他所から益子に移住してきて、いっぱい素敵な人・おもしろい人に出会った僕自身の体験にも近いものがあるような気がします。
 と、語りだせばきりがないので、この辺で辞めておこうと思いますが、大げさに言えば「北の国から」以上に、僕はこの「北の人名録」が好きです。まさに「北の国から」の原点でもあるエッセイですので、「北の国から」が好きな人にはぜひ読んでほしいと思います。
 てなわけで、今日は至極個人的な話になってしまいましたが、「北の国から」が好きな人はもちろんですが、そうでない人にも充分おもしろいと思うのでよろしければ読んでみてください。
 写真は文庫本とハード本、それに「冬眠の森」という「北の人名録」の続編(パートⅡ)です。

あいさつの話(マニュアル編)

2009-01-16 20:29:36 | Weblog
 前回に続き挨拶の話をしようと思います。前回も書いたように挨拶ひとつでお店の印象というのはガラリと変わってくるものだなと実感しながら日々営業しています。ハード面(設備)がどんなにすばらしくても、ソフト面(挨拶を含む接客など)が悪いとそのお店にはもう行こうとは思いません。逆にソフト面がすばらしければ、多少ハード面がよくなくとも許せるものです。
 挨拶がすばらしいと感じるお店ももちろんいっぱいあるのですが、最近はチェーン店はもとより、個人店でもマニュル的な挨拶だなと感じることが非常に多くなりました。正直、益古時計のスタッフにも過去に何度か注意したことがあります。とくに益古時計に来る以前に、販売や飲食の仕事をしていたことのある若いスタッフは、本人は意識していなくともマニュアル的な感じが抜けていないなと思うときがあります。そういうところで仕事をしたことのないスタッフでも、今の若い人たちは子供の頃からコンビニやファミレスが当たり前にあった中で育ってきているので、マニュアル的な挨拶が染み込んでいるように感じることが多々あります。
 最近とくに気になるのが、ひとりのスタッフが挨拶をすると他のスタッフがそれに続いて挨拶をするというのがごく当たり前にマニュアル化していることです。それがダメというわけではないのですが、中にはお客様に対して挨拶をしているというより、ひとりのスタッフの挨拶に、ただあわせてマニュアル的に声を出しているだけと感じることが多いです。思い出せば誰にでも心あたりはあると思うのですが、お客さんの方を見るわけでもなく、ひとりのスタッフの挨拶に他のスタッフがただ声をあわせて声を出しているだけ、そういうお店って最近特に多くないですか?
 以前スタッフに「ながら挨拶」はするなという話をしました。作業をしながら手を休めるでもなく、ましてやお客様の方も向かないで、他のスタッフの挨拶に声を合わせるだけだったら、時と場合によってはしない方がましだと言ったことがあります。ただ、作業によってはなかなか手を止められない場合もあるのですが、せめてきちんとお客様の方に顔を向けて、他のスタッフが言ったからそれに合わせるのではなく、あくまで自分のタイミングで挨拶をするようにと心がけています。
 前述のように挨拶ひとつでお店の印象って大きく変わります。ましてや益古時計のようにスタッフが何人といる中で、マニュアルではない挨拶の共通意識を持たせることって思いのほか難しいものだなと経営者として感じています。
 「たかが挨拶、されど挨拶」挨拶の大切さを感じつつ、かつその気持ちを常に忘れないでいたいと思います。居酒屋的なテンションの高い挨拶でもなく、デパートやホテルのようなかしこまりすぎた挨拶でもなく、ましてやチェーン店のようなマニュアル的な挨拶でもなく、益古時計らしい挨拶を心がけてこれからもお客様に接して行きたいと思います。
 ところで益古時計らしい挨拶ってどういうのでしょうね?抽象的な言い方ですが、しいて言えば「優しいあいさつ」ってところでしょうかね・・・。

 写真は先日書いた秘密の場所(牧場)に行く途中の小道です。車の通ることのできない落ち葉が敷き詰められた道を歩くということは、今の世の中それだけでとっても贅沢なことだなと思いました。

あいさつの話(鼻詰まり編)

2009-01-14 16:31:19 | Weblog
 年末に体調を崩し、それ以降どうにも鼻の具合がよくありません。熱や体のだるさはないのに、どうにも鼻だけがよくならず昨日耳鼻科に行ってきました。説明を受けたのですが、あいもかわらずボッーとしているので、いまひとつ先生が何を言っているのかよくわからなかったのですが、まあたぶん軽い蓄膿症だと思います。子供の頃から鼻があまりよくないので、ちょっとでも風邪をひくと鼻だけがいつまでも治らないということがしょっちゅうです。ついでに自慢じゃないですが、いままでに3回鼻の骨を折っています・・・、まあそれは関係ないとは思うのですが・・・。
 そんなわけで、鼻が詰まっているといわゆる鼻声になります。鼻声でも声が出ているうちはよいのですが、本当に詰まると声も出しづらくなります。お店に立っていると、1日に何十回と「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」を繰り返し言っています。鼻が詰まっている時、けっこうこれがつらいです。ただでさえ、何回も繰り返していると口が回らなくなるときがあるのに、鼻が詰まっていると自分では言っているつもりでも声になっていないときがあります。
 もちろん「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」は心を込めて丁寧に言いたいと思っています。商売をやっていてつくづく思ったのは、同じ「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」でも声の大きさやニュアンスによって印象がまったくもって違ってくるということを実感しています。心を込めて言っているか、ただマニュアル的に言っているかがニュアンスひとつですぐにわかります。そして挨拶ひとつでお店全体の印象もガラリと変わるものだということを日々実感しながら営業しています。
 それぐらい挨拶というものは大事なものだと思うのですが、いかんせん鼻が詰まっている時の挨拶は、お客さんにいい印象を与えていないのではないかと思うときが多々あります。そんなわけで、結局のところいつも言っているところに戻るのですが、鼻詰まりも含め、健康こそがいいお店の第一歩であるということをつくづく思っている今日この頃です。
 とりえずはこの鼻詰まりをなんとかしたいのですが、多分直ったなと思った頃に今度は花粉症がやってくるわけでして・・・、僕の鼻詰まり生活はしばらくは留まることを知らなそうです・・・。そんなわけで、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」が何か変だなと思っても、僕としてはきちんと心を込めていっているつもりですので、どうかご了承くださいますよう何卒よろしくお願い致します。
 

秘密の場所

2009-01-10 19:52:36 | Weblog
 前回の自転車ネタに続き、運動不足解消ネタ?から・・・。
 最近は自転車とともに、時間があれば歩くようにしています。本当は軽快にジョキングといきたいところですが、とりあえず今の僕には歩くことからです。
 そんなわけで今日は秘密の場所の話をしようと思います。益古時計から徒歩1分くらいのところから横道に入っていくと林道があります。実際は益子のメインストリートからもそんなに離れていないのですが、うっそうとした木で視界が遮られているので、山奥にでも来たような気分になるようなところです。そんな道を10分くらい歩くと突如視界が広がり、そこには牧場があるのです。途中までは民家もあるので、砂利道ではあるものの車が通れるようになってはいるのですが、その先は徒歩でしか行くことができず、地元の人でもその道を通る人はまずいないですし、散歩をしても100%と言ってもいいくらい人とすれ違うことはありません。
 写真は早朝でまだ陽が昇る前だったのですが、朝陽が射しこむ時間に行くと本当に綺麗です。誰も来ることがない場所で、この景色を眺められるのは何物にも変えがたいくらいの爽快感があります。益子であって益子でないような、こんな場所が益古時計からちょっと歩いただけであることに幸せを感じます。
 前述のように車で通れない道なので、近辺に住む本当の地元の人しか知らないような場所だと思いますし、まさに秘密の場所と言った感じです。
 自分にとっての「よい場所がある」かどうかというだけで、大げさに言えば人生まで変わってくるのではないでしょうか。
 そんなわけで、今日は僕のお気に入りの散歩コースのご紹介でした。
 

自転車に乗って

2009-01-08 20:24:17 | Weblog
 去年は本当に仕事に追われ、運動らしい運動をほとんどすることなく、そんでもって犬が死んでしまってからは散歩することもほとんどなく、すっかり運動不足になり、すっかり体重も増えてしまいました。
 このままではいかんと、オフシーズンということもあり多少なりとも今は時間が取れるので、出来る限り運動するように心がけています。運動不足を実感し始めた去年の秋、知り合いの自転車屋さんに、益古時計がオープンして以来ほとんど雨っさらし状態になっていた自転車を修理してもらいました。そんなわけで、運動不足解消を目指し、これからは時間があれば町内の用事は自転車で出かけようと思っています。ちなみに自転車はだいぶ前にもこのブログで紹介しましたが、10年以上前に、ぼくが東京に住んでいた時に「木梨サイクル」で購入したものです。
 というわけで、昨日はカフェが定休日だったので、前日からの宿泊のお客様を送り出してから、郵便局と銀行の用事(ついでにツタヤに寄り道と)を自転車で周ってきました(カゴがないので後ろの荷台にカバンを縛り付けて・・・)。いつもは車でしか行かないので、自転車で行くとさぞ遠いだろうと思っていたのですが、思ったよりあっけなくつきました。これくらいの距離ならばこれからはいつも自転車で行こうと思います。
 それにしても、普段車でしか通らない道を自転車で通ると、視点が全然違い、車からでは気づかなかったことにいろいろ気づくことができました。例えば道路脇に小さな川が流れていることは知っていても、流れがどうなっていて、どこの川に合流するかと言ったことは、車に乗っていると考えすらしなかったことが、自転車からだと見え、感じ、考えることができました。
 昨日は天気もよかったですし、いい運動にもなったとともに、いい気分転換にもなりました。そしてちょっと視点を変えれば、こんなにも見えてくるものが違ってくるのかと感じられたことが何よりの収穫だったように思います。
 てなわけで今後、益子の町で颯爽と風を切って走っている僕を見かけたら、どうぞ声をかけてくださいね・・・と言いたいところですが、本当はゼエゼエと息を切らせて死にそうになっていると思うので見て見ぬふりでお願いします・・・。

ミルクティー

2009-01-06 20:18:33 | Weblog
 今年より、一部値段を改定したことはお伝えしていますが、カフェのドリンクの中では、唯一改定したのがこのミルクティーです。冬のドリンクメニューの中では多分一番人気のメニューです。
 ただ、ミルクティーに関しては、単純に値上げしたというのではなく、値上げした分、分量を以前より多くしました。もともとの分量が益古時計の他のドリンク類に比べるとやや少なめだったので、もっとたっぷり飲めるようにした方がよいのではないかというスタッフの意見もあったので、ボリュームアップしたというわけです。
 それに伴い、今までは阿久津雅土さんのカップを使用していたのですが、3年以上たち、人気商品がゆえに使用頻度もかなり高いため、だいぶくたびれてきたので、秋にスープカップ(兼パフェカップ)として作ってもらった栗谷昌克さんの大きめのカップに変更しました。よくよく考えると、織部のカップで出すカフェなんてのも、昨今のカフェではあまりないと思うので、焼き物の町のカフェとしてはなかなかよいかなと思っています。
 ちなみにミルクティーの茶葉はマリアージュフレールの「ウエディング・インペリアル」という茶葉を使用しています。こんなことを言うと怒られちゃいそうですが「ウエディング・インペリアル」は普通に飲んでもあまりおいしいとは思わないのですが、ミルクテイーにすると抜群においしいです。自分で言うのもなんですが、これよりおいしいミルクティーを出すカフェに出会ったことはありません。
 てなわけで、冬の寒空にミルクティーはぴったりの飲みものですので、ぜひこれからはボリュームアップのミルクティーをお楽しみ下さい。

植田昌子陶展

2009-01-04 18:31:33 | Weblog
 1月2日より地下スペースにて、2009年最初の催し「植田昌子陶展」が始まっています。
 焼き締め・緋襷(ひだすき)・灰釉による普段使いの器を中心に、箸置きなどの小物から花瓶まで数多くの器が並んでいます。
 昨年の夏至の頃にご主人である、植田隆治さんの個展を開催したのですが、今回は奥様である昌子さんの個展となります。
 会期は25日までとなりますのでよろしければぜひ足をお運びください。