益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

原風景

2006-07-19 23:12:24 | Weblog
 先日よりお伝えしております、アダム3部作(いつから3部作になったのかは不明)も今日で最終回になりました。といっておきながら今日はアダムの話というよりは、アダムが作陶して、登り窯を焚いた窯元の話です。
 先日も書きましたがこの窯元の息子さん(多分4代目)とは時々フットサルをいっしょにやる知人です。そんなご縁?もあり今回の一連の活動をちょっとだけ拝見させてもらうことができたのですが、この窯元はお話を伺ったところ江戸時代から続く窯元であり、益子でもかなり古い方です。益子は人間国宝だった濱田庄司がはじまりのように思われがちですが、もちろんそれ以前に窯元は何軒もありその窯元はそのうちのひとつだったようです。この窯元は益古時計から歩いても5分とかからないくらいですし、それこそ毎日のように前の道を車で通っているのですが、お宅自体は道より100mくらい入ったところにありほとんど見えません。僕自身もお宅まで入って行ったのは今回が初めてでした。正直、感動しました。益子に来て益子参考館に行ったことのある人はわかると思いますが、そこはまさに参考館にも匹敵するくらい素敵で情緒あふれる建物とお庭が広がっていました。益古時計からこんなに近いのにいままで知らなかったのが悔やまれるくらいそこだけ別世界のような空間が広がっていたのです。お庭も素敵ですし、お宅も素敵な上に、広い工房とガス窯、それに今回の登り窯があり、さらにいまでは使うことのなくなったより巨大な登り窯がありました。話を聞くと、かっては美術の教科書に載ったり、JRか何かのキャンペーンポスターにも使われたことがあるとか。本当にすべてが古く、逆に新鮮で、すごく素敵だったのですが、これらを維持管理していくのは相当大変だとも思いました。フットサル仲間の息子さんも言っていましたが、庭の手入れだけでも相当なものです。だからといってそう簡単に壊したり規模を縮小するわけにもいかないと思いますし、僕自身もよそ者だから無責任に綺麗で素敵なんて言っていられますが、そこに住むのは大変なことだと思います。
 益子の陶芸家さんのお宅とはえてして、おもしろいお宅が多く、いわゆる住宅展示場などにあるような普通の家はひとつもなく、お宅めぐりをするだけでも楽しいのですが、益子自体は移住者の焼き物屋さんが圧倒的に多いので、今回のような代々続く焼き物屋さんの家というのは僕自身ほとんど行った記憶がなく、ある意味本当に新鮮でよかったのですが、でもどこかに原風景のような懐かしい気持ちがよみがえりました。
 実は僕の母方の実家は、正直に言えば益子以上に田舎といってもよいようなところで、実際数年前、裏山でクマに襲われた人が血を流しながら助けを求めにきたという伝説!?もあります。さらにはもう15年くらい前になるでしょうか?母の実家の隣のお宅はまだ五右衛門風呂があり、TVドラマのロケで武田鉄也が入ったなんて伝説!?もあるようなところです。母の実家自体は数年前に家を建て替えたのですが、昔の家は増改築はもちろんされていましたが、それこそいろりがあったりしましたし、いまでも庭には大きな池があります。よくTVや小説などで原風景などという言葉を耳にしますが、僕は原風景という言葉を聞くと、なぜか母の実家を思い出すことが多いです。僕にしてみれば原風景という言葉がぴったりくるようなところです。今回、その知人の窯元にはじめていったわけですが、たしかに新鮮で驚きもいっぱいあったのですが、頭の中では母の実家のことを思い出し、なんだかとっても懐かしい気分に浸っていました。母の実家は雪国ですし、益子の窯元は工房もあり窯もあるので、まったく違う造りといえば違うのですが、どこかただようまさに言葉にするなら原風景という言葉がぴったりくるような空気は一緒でした。
 いまは古いものブームとでもいいますか、古民家を再利用したり、古材を使ったりしているお店や建物も増えていますが、移築したり再利用したりするのとは違い、代々そこで受け継がれ、そして大事に守られてきたものには、どんなにデザイン性に優れた空間でもやっぱりかなわないものがあるなと思いました。
 前々回はアダムという人との出会いをとおして益子で出会う人のおもしろさについて、前回は登り窯をみて感動したこと、そして今日はその窯元の原風景的な素敵さについて書きましたが、それらはすべて益子でお店を営み、益子で出会ったいろいろな素敵な人がいたからこそです。そんなことに感謝しながら、これからも益子にて、素敵なことがありますようにと願いながらお店を続けていきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿