前に僕は「ロハス」が嫌いとストレートに書いたことがありました。これに対し不快に思われた人がもしかしたらいるかもしれません。正確にいえば「ロハス」を提唱し、それらの活動そのものは決して嫌いではなく、逆に尊敬しています。ただ「ロハス」という言葉が嫌いなのです。
先日、ある方のホームページを拝見しました。その方はいまの田舎暮らしブームの先駆けといってもいい、その世界ではかなり有名な方です(仮にAさんにしておきます)。Aさんが月に一度、メールマガジンとして配信されているものがあり、それがそのままホームページにも転用されているのですが、Aさんの考えやいろいろなことが書いてあります。先日の記事にこのようなことが書かれていました。僕は「のんびり」で生きてきました。それがいつしか「スローライフ」という言葉が生まれ、最近ではいうにことかいて「ロハス」とまでいうらしい・・・。環境にやさしいビジネスとして「ロハス」はアメリカではいまや40兆円市場だそうで、日本で「ロハス」のビジネスを名乗るならば、まずはライフスタイリストなる資格を取得せねばならず、六本木ヒルズのビルにて講習会を受講し、さらにはカナダに研修にいかねばならないらしく、もうわけがわからない・・・。
僕自身ライフスタイリストなる資格がどういうものかまったく知らないので一概に批判はできませんが、またしても都会のど真ん中の冷房の効いた部屋で、しかも机上の空論を叩き込むのがいまの「ロハス」なのでしょうか?
Aさんを訪ねてきたある雑誌の女性編集長はAさんが「僕はのんびりです」といったら「じゃーもうリタイヤ生活ということですね」といったそうです。その編集中は「忙しい」が基準であり「のんびり」=リタイヤという風にしかとらえることができないような人らしく、そういった感性しかもてない人の作る雑誌はどうかと思う・・・と思っていたらその雑誌は案の定廃刊になったそうです。
話がそれましたが、Aさんは「ロハス」はおろか「スローライフ」はおろか「田舎暮らし」という言葉が世に出回る前からそれらを実践してきた人です。Aさんは、僕は「ロハス」でもなく「スローライフ」でもなく断固として「のんびり」なのだといっておられました。
僕自身は何がいいたいかといいますと、現代は「ロハス」も「スローライフ」もそれに「スローフード」も「オーガニック」もそれらの言葉がブランド化しているということが嫌いなのです。カタカナを並べればかっこよくなるというのが現代社会の認識らしいのですが、すべては「のんびり」でいいじゃないかということです。
誤解を招いてしまいそうですが、僕自身は決して「ロハス」とか「オーガニック」とか、そのものが決して嫌いなのではありません。益子にもそういったことを志す方が大勢いますし、お客様にも大勢いらっしゃいます。それらの取り組みをしている人は本当に素敵な人が多く、尊敬の念すらいだいています。ただ「ロハス」とか「オーガニック」という言葉が独り歩きしてしまっているといいますか、本質を見極めず、まさにブランドのように扱われるのが嫌いだということです。
言葉というものは本当に難しいものです。同じ内容のことを言っているつもりでも、例えば「のんびり」と書くのと「ロハス」と書くのでは今の人は受け止め方が違うのだろうなと思います。
ちょっと話がずれますが、昔は「ストーカー」なんて言葉はなかったですし、「ニート」なんて言葉はここ2年くらいで一気に広まったと思います。そういった言葉が世に出回る前に、すでにそのものは存在していたはずなのですが、そんな言葉が生まれると余計に「ストーカー」も「ニート」も増えたように思います。「ロハス」にしてもここ最近広まった言葉ですし、言い出した人が当然いるわけだし、僕にはそういった最近できた言葉というものは、どこかでビジネスの臭いがするような気がしてしょうがないのですが・・・。
なんだか話がまとまらなくなりましたが、けっして「ロハス」を批判するわけではないのですが、僕自身も「ロハス」よりは「スローライフ」、「スローライフ」よりは「のんびり」でやっていければなと思っています。
先日、ある方のホームページを拝見しました。その方はいまの田舎暮らしブームの先駆けといってもいい、その世界ではかなり有名な方です(仮にAさんにしておきます)。Aさんが月に一度、メールマガジンとして配信されているものがあり、それがそのままホームページにも転用されているのですが、Aさんの考えやいろいろなことが書いてあります。先日の記事にこのようなことが書かれていました。僕は「のんびり」で生きてきました。それがいつしか「スローライフ」という言葉が生まれ、最近ではいうにことかいて「ロハス」とまでいうらしい・・・。環境にやさしいビジネスとして「ロハス」はアメリカではいまや40兆円市場だそうで、日本で「ロハス」のビジネスを名乗るならば、まずはライフスタイリストなる資格を取得せねばならず、六本木ヒルズのビルにて講習会を受講し、さらにはカナダに研修にいかねばならないらしく、もうわけがわからない・・・。
僕自身ライフスタイリストなる資格がどういうものかまったく知らないので一概に批判はできませんが、またしても都会のど真ん中の冷房の効いた部屋で、しかも机上の空論を叩き込むのがいまの「ロハス」なのでしょうか?
Aさんを訪ねてきたある雑誌の女性編集長はAさんが「僕はのんびりです」といったら「じゃーもうリタイヤ生活ということですね」といったそうです。その編集中は「忙しい」が基準であり「のんびり」=リタイヤという風にしかとらえることができないような人らしく、そういった感性しかもてない人の作る雑誌はどうかと思う・・・と思っていたらその雑誌は案の定廃刊になったそうです。
話がそれましたが、Aさんは「ロハス」はおろか「スローライフ」はおろか「田舎暮らし」という言葉が世に出回る前からそれらを実践してきた人です。Aさんは、僕は「ロハス」でもなく「スローライフ」でもなく断固として「のんびり」なのだといっておられました。
僕自身は何がいいたいかといいますと、現代は「ロハス」も「スローライフ」もそれに「スローフード」も「オーガニック」もそれらの言葉がブランド化しているということが嫌いなのです。カタカナを並べればかっこよくなるというのが現代社会の認識らしいのですが、すべては「のんびり」でいいじゃないかということです。
誤解を招いてしまいそうですが、僕自身は決して「ロハス」とか「オーガニック」とか、そのものが決して嫌いなのではありません。益子にもそういったことを志す方が大勢いますし、お客様にも大勢いらっしゃいます。それらの取り組みをしている人は本当に素敵な人が多く、尊敬の念すらいだいています。ただ「ロハス」とか「オーガニック」という言葉が独り歩きしてしまっているといいますか、本質を見極めず、まさにブランドのように扱われるのが嫌いだということです。
言葉というものは本当に難しいものです。同じ内容のことを言っているつもりでも、例えば「のんびり」と書くのと「ロハス」と書くのでは今の人は受け止め方が違うのだろうなと思います。
ちょっと話がずれますが、昔は「ストーカー」なんて言葉はなかったですし、「ニート」なんて言葉はここ2年くらいで一気に広まったと思います。そういった言葉が世に出回る前に、すでにそのものは存在していたはずなのですが、そんな言葉が生まれると余計に「ストーカー」も「ニート」も増えたように思います。「ロハス」にしてもここ最近広まった言葉ですし、言い出した人が当然いるわけだし、僕にはそういった最近できた言葉というものは、どこかでビジネスの臭いがするような気がしてしょうがないのですが・・・。
なんだか話がまとまらなくなりましたが、けっして「ロハス」を批判するわけではないのですが、僕自身も「ロハス」よりは「スローライフ」、「スローライフ」よりは「のんびり」でやっていければなと思っています。
”スローライフ”も違和感ありましたが
さらに”ロハス”は超!違和感(笑)
ただし”のんびり”も。。。?
このところかなり縁遠い言葉の一つになっているみたいですから。。。(苦笑)
ところで先日は奈良からのお客様が、大変お世話になりました。益古時計さんのおかげもあって、すぐにでもまた研修に来たいとおっしゃっています。その折はまたよろしくお願い致します☆
私が益古時計を気に入っている理由が少しわかった気がします。
たしかに「のんびり」も違和感はあるといえばあるかもしれません。実際田舎暮らしをはじめた人は多分それまで以上に忙しい(充実してる)人が多いと思います。ただ、「スローライフ」や「田舎暮らし」という言葉が出来る前は、そこにあてはまる言葉は「のんびり」しかなかったのかなと思います。
ブログに書いたAさんは、多分物凄く忙しい人なんだと思いますが、「忙しい」という言葉が嫌いだそうでだから極力「のんびり」と言っているようです。
お互いなんだかんだいっても忙しい日々ですが、マイナスな「忙しい」ではなく、充実したプラスな「忙しい」日々を送れればいいですね。
都会と田舎でもサービス業は基本的には同じですよね。
ただ、ミヤモトさんのブログに書かれていたような、ファミレスの店員さんのマニュアル化されたオーダーの受け方といったようなこと、僕自身もすごく最近気になっています。
益子にはファミレスやファーストフードはまったくないので、いわゆるマニュアル化されているお店を、僕自身都会のお店とついつい位置づけて思ってしまうのかもしれません。もちろん本質は同じサービス業なのですが・・・。
長いものには巻かれない、自分の信念を貫きとおせるほど偉くもないのですが、流行には流されたくないといいますか・・・流行しているものが嫌いといいますか・・・。う~んやっぱり、ただ歳をとったということなのでしょうか・・・。