益古時計の日々

カフェ&ギャラリー&ステイ(宿泊)の益古時計から送る日々の徒然

登り窯

2006-07-17 21:54:16 | Weblog
 昨日書きました記事ですが、アダムの一連の活動がひと段落したので、過去形のようになっておりますが実はまだ続いており、今日がそれらの一連の活動の最終工程とでもいうべき窯出しが行われました。小生も窯出しを見に行きたかったのですが、祭日なので外にでる余裕はなく残念ながら見に行くこができず、出来上がりの結果もまだ知りません。無事に作品ができていればよいのですが・・・。
 昨日も少し書きましたが、アダムは普段は電気窯で焼成しています。電気ですとある程度計算できるといいますか、コントロールできるものができるのですが、登り窯ですとそれこそできてみないとわからないという部分が電気に比べはるかに増し、それこそまさに神頼みしながらといった感じです。だからこそ時として、電気やガスの窯では作れないものができるのです。そんなこともあってか、登り窯を焚くというのはまさに儀式であり、より神聖な気分にさせてくれます。電気やガスでもそうやる人は多いですが、窯を焚くときはそれこそお清めをし、そこにはお酒だとか塩だとかが必ず用意されています。
 僕自身、焼成中の登り窯を見たのは、正直今回がはじめてでした。いまはそれこそガスや電気が主流となり、登り窯は減ってきてはいるのですが、それでも益子には何十もの登り窯が存在します。登り窯は大変手間のかかるものなので窯の大小やその人のやり方にもよって全然違うので一概には言えませんが、年に1回焚けばよいほうだったりもします。そんなわけでいままでは見るチャンスがなかったわけではないのですが、逆にいつでも見られるという思いもあり、気がつけばそういえばいままでみたことなかったなと気づいたわけです。
 そんなわけで、今回初の登り窯焚きを拝見させていただいたのですが、正直、素人目からみれば、簡単にいえばただ薪を窯につっこんでいるだけといえばだけなのですが(もちろん薪を入れるタイミングや温度管理などいろいろ難しいのだと思いますが素人にはわからないので・・・)、その場の空気感がなによりもよいのです。それはまさに祭りのようなのです。窯焚きはそれこそ夜も寝ないで火の番をしなければならないですし、夜はえてして酒盛りになったりもするようですが、その場にいると、男たちの仕事に賭ける想い、情熱が伝わってきますし、うまく表現できませんが、その場にいるとなんだか不思議な高揚感に包まれます。
 今回はアダムと彼の活動をサポートしているスタッフの人たちと、その益子の窯元の人たちと、それに益古時計の玄関のタイル等を作ってくれた工房がわんさんも協力していたのですが、そこには同じものを作り上げる連帯感みたいなものがすごく感じられました。僕は部外者といえば部外者であり、ただ見せてもらっただけですが、その空気に触れられただけでも本当によかったと思える出来事でした。
 昨日の記事はどちらかといえばアダムの人としての素敵さについて書きましたが、今日は今回の一連の活動にちょっとだけですが、関われたという事が本当によかったということを皆さんにお伝えしたいと思います。