ぢょんすの美術館

切符、カードコレクション等、広く浅く紹介します。

♪カラスの勝手でしょう

2006-10-29 23:18:28 | Weblog
どんなマヌケな烏でも「かわい、かわい」とは鳴きません。ということで、夕べは引退する車両についてでしたが、新庄の他にも、この人も引退ですね。画像は'91年のカルビーのカードから読売時代の川相昌弘内野手です。一番脂が乗ってる時期だったかも知れません。

「90年代の読売で2番打者と言えば?」と問うと必ず川相が出てきます。言わずと知れたバント職人で積み重ねた533本の犠打は世界記録。守備も一級品で90年代を代表する選手でした。1度は引退するも、読売の人事を巡って引退を撤回して中日へ。選手兼相談役(メンタルアドバイザー)として今年の優勝にも貢献しました。
非常に子煩悩で子沢山の家庭。インタビューで子供の名前を叫び「パパ頑張ったよ~。」と珍言を言ったことも。反面、非常に喧嘩早く、富山でのヤクルト戦で本塁のタッチを巡っての乱闘の時はジャンピングヒップアタックをかましたことや横浜のヒゲ魔人こと五十嵐の危険球を巡ってつかみかかったことも…。ただ、いずれも珍プレーの番組で苦笑いしながら謝罪するので、非常に憎めない人だったりします。本当にお疲れ様でした。


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3 コメント

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Unknown (勘吉)
2006-10-30 06:33:38
90年代の読売は生え抜きの野手を育てていたのになぁ。

川相は職人堅気やったなと。
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たしか7人家族だったはず (ハムたか(懲罰中))
2006-10-30 19:15:26
よく、やくみつる氏に「勇太、拓也、成美のパパ」といじられていましたね

ただ、上のお兄ちゃんはもう高校生なんだよね

来年からは内野守備コーチになるみたいですのでまだまだ青い川相が見られるよ
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Unknown (ぢょんす@野球バカ)
2006-10-31 00:11:45
>勘吉君

鴻野、勝呂との遊撃手争いは熾烈だったけど、当時の藤田監督のお気に入りの選手だったね。読売のコーチ時代に川相を育て、この時期大洋の監督をやった須藤氏が一番対戦を嫌がったのも分かるなぁ~。



>ハムたか氏

子供の名前は当時の人気ドラマのキャストみたいですなぁ~。そんな時代でした。
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