marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(618回)  少しばかり、神を伝えることの手段について思う(その2)

2020-01-29 12:34:28 | 日記

◆第一に僕らは、自分のことばであの世界のベストセラーを読めと言われたところで、歯がたたない。情観的には決して書かれていないそれは、まったく面白くない。思うに6年ほどでそれが了解しようなどということは実に不可能なことなのである。だからこそ、数え切れないほどのその主人公に関する本が巷にはあるという訳なのであった。「世界の終わりになって人々は多く知識を求めるであろう、そしてわたしの存在を知るようになるだろう」と神は言われる。

◆2019年 九州宣教フォーラムでインマヌエル綜合伝道団の竿代照夫牧師が次のように(◆)と述べたと言われた。それは、youtubeのハーベスト・タイムという聖書の学びのサイト内のことである。僕は仙台で彼の教会に一時、通っていたことがあった。今は東京の主都中央教会でその教団のトップになられたか。仙台教会はその後、田中敬康とう先生であられたが、仙台あたりの都市だとレベルの高い先生がやはり居られたなぁ、いずれもケニア伝道を経験された先生で、竿代先生(お兄様も東大出でその教団の上に立たれておられた)の祖父はあの柔道家の嘉納治五郎の弟子だったと聞いたことがある。教派的には、メソジスト、ウエスレーである。基本的な伝道をする(していた)、ビラ配りや、路傍での証、車での宣伝、開拓ではチンドン屋のような行列もあったしキリスト教が公認されてからまったくスタンダードな伝道をしていた。なぜ、そんなことまでするのか・・・それは彼が地上に来た意味を知り受け容れてほしいとの宣伝である。 世界のベストセラーが語っていることは事実だから、あるいは、それを受け容れなければ僕ら人類は絶望であるからである。僕らは、その後者の意味を今後世界の動きで体験していくであろう。

◆さて、その現代の宣教について ①教職、信徒の宣教協力 ②プロ、アマ意識(聖書ではそのようなことはないのだから)の撤廃、③役割の違いはあるが上下関係はない 今後の宣教は、そうならなければいけない、と。僕は思わずメモをしてしまった。この言葉には、現状の組織の”しがらみ”から抜けきれない、牧師への警告でもある。大いに賛成ではあるし時代の要求でもあると。現代は求めようと思えば、ネットでも大いに学べる、肉の次元でその知識としては・・・。

◆残されるは礼拝を第一にして、他者との交わり、群れとしての形成の中での学びであるが、言われた来た周知のキリスト教のイメージをまずは払しょく。あまりに手垢が付きすぎた。僕はそれらをブログで”しがらみ”と言ってきた。自分の今の言葉で、聖書をまずは読むことである。M・ルターは、まずは、「ヨハネによる福音書」と「ガラテヤ人への手紙」を読みなさいと奨めているのである。あぁ、僕はブログを始めた当初に戻った感がある。そうなのだ、「必要なのは多くはない、いや、ただひとつなのである」とイエスは言われたのである。それは、「永遠の命」に連なるものなのだ。・・・ Ω 



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