marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

マルコ(その4)あぁ、愛すべきマルコ

2022-08-19 09:00:00 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

   レオナルドダヴィンチの描いた「最後の晩餐」の家は、マルコのお母さんの家だったろうと言われています。絵とは違って実際は、寝そべって食事をするのが普通でした。左側には体を傾けている女性のように描かれている人がヨハネで、聖書ではイエスの胸元に頭があったような配置が想像されますから、女性のように描かれた絵のヨハネをイエスの横に右にずらせると、ちょうどイエスの左肩に頭を傾けているように見ることができます。ヨハネ伝では、自分は愛された弟子であったと書いてますから、この辺も性別関係なくその辺を何等か暗示させている絵なのかもしれません。

ペテロが牢獄から天使が解放された時、立ち寄って扉を開け皆が祈っていたのを見たのもそのマルコの家だったろうと思われます。おそらく宿屋など営んでいたか、弟子たちの集会所になっていたものと思われます。(聖霊降臨が起こった場所も、この集会所ともなっていたであろうマルコの母の家だったという言い伝えです。)

さらに、パウロとともに伝道をした皆から慕われていた教師であるバルナバは、マルコのいとこであった、と書かれていますから、マルコは小さな頃から熱心に聖書(旧約)のことは学ばされていたことでしょう。(レビ族<神職>の家系といわれる)

バルナバはマルコに語る。この方が救い主であろう、目を決して離すことがないようにと言われていたに違いありません。12弟子ではなかったマルコは、第三者目線でのイエスの生涯を見続け、初めての福音書記者となったことになります。最終は、ローマに向かったペテロに付き従いもしましたから、ローマの信者達の依頼で永久に記憶が残るようにとの願いもあり、ペテロからよく話を聞き及んでそれで福音書を書いたというのが定説です。

最後の晩餐の夜、イエスと弟子たちは食事を始めた。この過越の食事をするという、教会の聖餐式の土台となったその場面を初めて書き表したのが、第三者目線のマルコだったということになります。・・・弟子達は、ここでそのまま休むであろうとマルコは思っていたのでしょう。その後、疲れて早めに床に入ったということが想像できます。・・・ところが、物音がしたかと思うと、食事をしたところには誰も居ない。(以降、少し想像が入ります。)

イエスと弟子達がそそくさと宿から出かけ、ゲッセマネの園の方面に歩いて行くのが見えたので、床からの起きがけにそのま毛布を裸の体に巻き付けて急いで追いかけます。あるいは、眠りこけてしまってかなり探したのかも知れないが、いつも外で祈る場所は決まっていたので、マルコはそこに向かったのだと考えられます。・・・やはり、彼らはいました。といってもそこに居たのはイエスの他、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ以外は解散とともにそれぞれの家に帰ってしまっていたのです。

ゲッセマネの園でイエスは血の汗を流すように、今までにないような非常なる恐怖を感じている祈りをしているのをマルコは見ます。しかし、付いてきた弟子達は疲れで眠りこけていた。イエスに二度も起こされるが、三度目に戻られたイエスはまだ眠っている三人の弟子に声をかける。「・・・時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」(マルコ伝14:41-42)・・・この後、イエスは捕縛されます。

ここに、初めて読むと何の事かと思う二節が挟み込まれています。これが、後から追いかけ第三者目線で見ていたマルコその人であろうと言われて居るのです。付いてきていた弟子達は、眠りこけていたのですから、イエス捕縛以前のこの時間は何も見てはいないのです。

その二節は、その場から、一人の若者が逃げると題して書かれたところです。「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについてきていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった。」(マルコ伝14:51-52)  

無論、これは学問的には推論の域をでません。しかし、これは創作ではない、現場にいて、見ていた自分マルコが書いているのだ、とその事実を当時、読んだ誰でもが、確証としてその挿入文を承認していたのであろうと思います。 

幼い頃から皆に愛されて育ったマルコ。その福音書は、あまりうまくないギリシャ語で書かれていると言われます。パウロとともにバルナバはマルコをつれて伝道にでかけますが、厳しい現実にマルコは一人エルサレムに帰って、パウロに叱られたりし、その後、バルナバに連れられパウロとは別れて伝道をしますが、後年、ギリシャ語ができたヨハネ・マルコは、ペテロに私の息子などと呼ばれ慕われて、ペテロやパウロの伝道を大いに助けたのでした。 

使徒ペテロよってエジプトのアレキサンドリアのに派遣されて初めてそのちに地に福音を伝えたとの言い伝えがあり、そこで殉教したと言われています。『マルコ(Marcus)は、<重い槌>を意味するmarcoから来ているとも言われている。英語ではMark. 』・・・



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