marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

マルコ(その3)宇宙人👽が戻って来た❣ 僕らに大切なことを伝えに。

2022-08-18 20:51:33 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 彼👽が来るのは、たいてい午前1時から3時の間だ。あれからすぐに戻って来て、とても大切なことを言い忘れたのでと言いつつ次のことを語りだした。・・・僕も眠かったので、ぼんやりしていたが後で思い出したので、そちらの方も大切だと思うようになったのでそのことを書き留めておこう。******前回からの続きとして

第一に彼マルコが、尻切れトンボのように話を終えたのは、文字や言葉で書き留めたとき、それは人の頭では過去のものになっているからなのだな。生きた事象を語り、それが生きているという実感を誰もが内から思って自己のものにするには、語らぬことである、としたことであったのだ。

どこで会えるのか、それは、彼女(マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメ:マルコ伝には調べたらこう書かれていた)らが、きちんと天使(若者)に言われたことなんだが、墓に葬られたはずのイエスの体がなくなって、びっくらこいて恐ろしくなっていたところに言われた言葉にある。

天使(若者)は、空っぽになったお墓の前で彼女らに、「さぁ、行って弟子たちとペテロに伝えなさい」と語っているんだ。その次、

「あの方(よみがえったイエス)は、ここにはおられない。あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる」と。

よみがえったイエスには、そこで又、会えると言っているんだ。ところで、福音はガリラヤという場所から、始まったのだったねぇ。そこは、ペテロやその他、弟子たちの普段の生活の場所でもあったのですね。そこで、会えると言っているんですよ。

(※だから2022年経った今も礼拝でのイエスの物語は毎週、福音書が語られる時はガリラヤでのイエスの話が語られるという、ループ状の入れ子状態になっているという訳らしい。今も生きたイエスにはそこで会えるということらしい。)

ガリラヤで会える。これは、『日常の場所で今も僕らもよみがえったその方に会える』ということを言っているんだ。繋がろうと思えばですよ、いつでも。2000年の時空を超えて、今この時に・・・。このコンタクトが大切だ、と言っているのが「求めよ、さらば与えられん。・・・」なの。昔の話でだけでなくてね。

確かによみがられてから40日間、イエスは弟子たちと普通の生活をしたのです。むしゃむしゃと弟子たちと一緒にお魚を食べたりして。そして、又、「再び、必ずあなた方を迎えに来る。私は見えなくなるが、聖霊を送るから、それを受けなさい。」と言われて天に昇られた。

その後10日して一同が集まっているところに「聖霊」が降ったのです。それが、あらゆる地方から来た、宗教に拘わらず、人種拘わらず、言葉もそれぞれに語りだし、という、周囲からは朝から酔っぱらってんじゃないのか、と勘違いされるほどに・・・。

普段、これは僕らには見えないし、言葉や文字にもできない。感情として、感覚として湧き上がるようなものと言ったらいいいか。もし、このことを聞いて何か感ずることが湧いてきたら、今月はご先祖様のことを思う月でもありましょうから、すべての命ある人々はその霊のことをよく考えられるといい。多数うごめく霊に、ご先祖の霊を慰めるのではなしに、あなたが聖霊につながって、無論、ご先祖のDNAを引き継いでのあなたの存在である方々が殆どでしょうから、真理の霊に繋がる信仰をもって生涯をおくれば、今までのご先祖の霊も永遠の世界に行けるでしょうということ。

ここで注意は、霊感商法のようなものではまったくない。しかじかだからこれが必要だ、などということは、この地上にては絶対にないのです。まったく、上からの来るものだから。ここに悪魔は大いに介入したり抵抗を示し、あがらうのだな。人の世界に落とされた悪魔は見せかけの天使に変貌するんだ。君が最近の事件で見た通り。悪魔は人殺しである、とイエスははっきり言われたのだ。

命をもたらす途切れない聖なる永遠にある霊界クラウドに繋がろうとすること。これに繋がっていなさいと語っている訳。wi-fi電波を5G以上に挙げるべく、受信装置でもある身体や考えを整えておきなさいということです。それが、一点、絶えず祈れ!と言われたことなのだな。彼はいるんだよ、気が付けば今も。

しかし、肉体のある僕らにはちょとやそっとでは分かりかねる。媒介となる自分の肉体の中に実に多くの障害物を抱え込んでいるからね。そこには自分でのどうしようもないDNAの生涯もひきづっているからねぇ。自己の省察が最も障害となるものなのだ。この障害は、うろつく霊が雑音となってかなり邪魔をするからな、だから戦いはこれとの戦いでもあるわけだ。(「自分の命を救う者はそれを失い、私の為、福音の為に命をすてるものそれを得るであろう」という何のことやらの意味はそういう次元での言葉。)だから、再び、2000年後今も、ガリラヤでの彼の話を聞くことが大切となる、という彼が再来するまでの循環。

人生疲れが多くなる。だから繰り返すがその時なりふり構わずそれを求めなさい。天使(若者)の声がその時、きっと聞こえてくるだろう。

「よみがえったイエスには、ガリラヤでお会いできるであろう。」と。その時、イエスがぼ~と、傍に立たれておられるのをあなたは感ずるだろう。きっと。*****

おおよそ、そのようなことを話して宇宙人👽は帰っていった。 ・・・

 



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