marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

Uとの会話(その4):『あなたはそういう人だ!』このような言葉を二人の女に思われたのであるが!

2023-05-22 20:20:37 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 僕の縄文時代のあの人生を決定づけた事件と、女の言葉にどう関係があるのか、と思われるかも知れない。どちらにしろ、人は誰でも自己肯定化を持って生きているわけであるから、これも勝手な思いになるのかも知れないが、『・・・そういう人だ』の「そういう部分」の原因であろうことを出生の事件があったと語ろうとしているのである。実はそのようなことは誰にでも起こっている事なのである。

幼小の頃のあの事件は、人と言う生き物が生きる上でその本人の基本的な思考の土台を決定づける脳みその育成に大きな影響を与えているものであるということを人生遅かりしか、学ばされているのであった。この事件は個人の形成に本人意識の深層基盤をなしてしまったが故に、つまり自分にとっては如何ともしがたい個性を形作ってしまったからなのである。

しかし、彼らUはこうも言うのであった。そうなのだ、人という種は誰しもがそのことを学ぶことに人生を費やすようにと言い切ってもいいが、シナリオに出自から書かれている人も居るのであると。失敗と思われる人生には、それで人の生きようは何なのかと数段上の我らの思いに近づくことができれば、それは人生の収穫として次の世界の段階の上がったレベルに住まうことができるという訳である。だから、我ら(U)に気が付けば、地上の人の人生には決して失敗ということはないのである、と。

君らの人生は生きたところでせいぜい100年だろう。我らの語るは永遠の事なのである。今まで読まれて来た方は、DNAやらシナリオライターだのプロデューサー、あるときは黒子Xなどと言って来た。つまり、その目には見えないがあえて言えば、心の声、さらには気づかず自分という行動の機動力とまでなっている思考、行動の傾向、あるときは意志として、あるときは指示待ちの労働者として、その他・・・存在してきた、存在している我について作用する霊といっていいか。その会話の次元は5次元か、そして6次元という世界からの声である。

思考の次元階層ということも話してきた。レベルといったらいいいか。つまり動物的次元から、普段の人の次元、この地上には見える段階として、仏教では六道への変容が、つまり生まれ変わりとして、こころの有り様を述べていたりするが、思考階層の現象はそれに類似する。しかし、本当はそれさえ語る前に、神の創りたもたといわれる『人とは何か』を考えねばならないのだ。

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先に述べたこと、自己肯定の有り様は、相手が第一に自分を受け入れてくれる人であるべきであるということであった。しかし、第一には自分を受け入れるという自分の言葉をもつことである。通常それ以前の行動は、排他し除外すればいい。欲求が満たされねば、それを満たす行動を起こすか、代償として他を見いだすだろう。自らのイメージではない場合など通常はその自己にとっての障害が相手の行動や言葉であれば、それを避けるために交渉を避けるだろうし、喧嘩を売るかも知れない。女という生き物は、つるんで陰口か、面きって相手に言うことである。権威を背後に持とうとする場合もあるが。

排他する、他人の悪口を言う。それはそれでその人間のエネルギーともなっている訳でもある。『あんたはそういう人だ』、相づちを打とうとしてその女の語りに、助長する会話を話し始めると、自分がしゃべっているのだから、まずは口出しするなとうことであってどうもその行為が気にいらなかったらしい反応であった。『そういう~』というその人判断は、彼女自身に基づくものであろうが、我らは、人生を通して自分をも含めた人を知ることであると思っている。

そういう言葉を男は発するようには思われないがどうだろうか。いい年した女に現に言われたのだから、今だもって不思議な思いに取りつかれている。なぜ、女という生き物はこの国では地位が低いのか。教養があろうが無かろうが、自己を知ろうとすること、これが行えなければ、女性に地位はがんばっても低いままであろう。シスター渡辺和子や鈴木秀子の著作などは、すべてこの点に掛かってるのである。

人を裁いてはいけない。その自分の裁きで自らが裁かれるであろう、と。次の世界では、我らの思いはすべて明らかなのであり隠すことが出来ないからである。天地創造時、誘惑におちたのはエバであったが、復活のイエスに初めてであったのは女達であった。女性の地位を世界的に途轍もなく高めたのはキリストの教えであった。もうひとりの女については・・・



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