marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(422回目)寄り道その一:新しい時代の始まり、三浦朱門さんと佐古純一郎さんこと

2017-08-27 10:36:24 | 日記
 ここ数日のブログお休みは、親の介護のあれこれと、先週信者の方からこの5月に発刊されたばかりの本(「聖書を読んだ30人-夏目漱石から山本五十六まで 鈴木範久著<日本聖書協会>)をいただいて、それと合わせて本棚から探し出して評論家佐古純一郎の「文学をどう読むか」という文庫本を再読していたこと。無論、月から金の仕事有りで、少々・・・疲れ気味であった。それに、信者さんのお一人住まいの高齢者の方の体調が心配である。・・・という諸々の事情はさておいて、
◆三十数年前、僕が宮城県仙台市に住んでいたときに広瀬川たもとに建つ市民会館(現在はトークネットホール仙台とかになっている)で掲題、お二人の講演会があった。主催は、カトリック関係であったと思いますが詳細は忘却。そのとき、YBU(カトリック教会が経営)という語学に少し通っていたことがあってそのときの紹介だったか・・・。それで記憶に生々しいのは、開演前に受付後、だいぶ早めだったので周囲に人はいなかった時、神父さん(めがねをかけた背の高い外人さん、髪がシルバーで頭頂、髪は薄いが長くしており例の独特の白い丸襟を出して独特の長い黒衣であった)受付の様子を見に来られたとき、そこに三浦朱門さんが現れ、僕の前でいきなり一万円を財布から取り出し、「神父さん、取っとけよ」といいって、神父さんの手をつかみその一万円をわしづかみに握らせたのを目撃したのであった。神父さんは「とんでもない」と遠慮しようとしたのだが、朱門さんが「いいから、いいから」いってお金を握らせた腕を神父さんの懐に押しつけたのであった。
◆僕は、まだそのとき律儀なものと思い込んでキリスト教なるものを信じようとしていたので、いささかびっくりと同時に、作家の遠藤周作さんが三浦朱門さんや、北杜夫さんらの付き合いを「孤狸庵」なる雅号をもつ遠藤周作さんがそのエッセーで、面白おかしく書いていたので、いささか逸脱しているようなその行為を見て、孤狸庵閑話などのエッセーに書かれていることは本当なのねぇとおかしく少し気が楽になった思いがしたものだった。純文学の本は1960年代、きちんとハードカバーであって、それに装幀も結構お金をかけていた、そんな本を書かれる方が実際の日常は、何もかしこばらなくてもいいのよぅ~と、実際生活での現実のわたしはこうですと普段着姿のエッセーからのギャップは、やはり自分の言葉で、素直に自分の言葉でキリスト教を学んだ人の姿なんだなぁ~と妙に関心したものだった。
◆三浦朱門さんの奥さんは作家の曾野綾子さんだが、暑い夏の季節の電車の中での出会いは時折、今も何かの物語に挟まれていたかと思う。とても暑い夏、混んだ電車の中で窓を開けていて、そこに曾野綾子さんが座って彼女は髪を直すのだけれど窓から風で髪がなびいて何度もウザそうに彼女の顔に掛かってくる。混んだ列車の中で彼女の前に立っていた朱門さんが、そんな姿を見て、席替わってあげましょうかと言ったというのだ。・・・確かそんな話、(自分が涼しくなりたかっただけだろうと)考えると笑える。
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映画「沈黙-サイレンス」のことは、前に書かせていただいた。僕の感動は2場面、窪塚洋介なるキチジローが踏み絵を踏んでおろおろとその場面から去るところ、彼はふんどし一つで裸なのだ、その場を下向きにおろおろと小走りに走り去る場面。そして、やはり最後は、転びバテレンとなったロドリゴが、最後に亡くなって火葬されるときに、日本の妻を与えられていたが、日本に上陸して住んで村の長とみられるモキチ(彼も殉教する)の大切にしていた小さな木彫りの十字架をお棺の中のロドリゴの手に握らせていたことである。
◆イエスの父なる神は、我々人の思いを遙かに超えて全宇宙を支配されるという。今、時代は大きく変わりつつある。そして、この映画の暗示も。あれから禁教の時代、それでも最後の宣教師が日本に来ていた。2016年東京文京区などは、江戸時代の切支丹拘禁施設「切支丹屋敷」(小日向一丁目東遺跡)跡地の発掘調査に関し重大な発見をした。禁教下に来日し、正徳4年(1714年)同屋敷で獄死したローマ教皇特使のジョバンニ・バッティスタ・シドッチとみられる遺骨は発掘されたというのだ。あれから時代がかなりの時を経て地球西回りでアメリカ大陸から宣教師が来られイエスの言葉が日本に伝えられた。
◆イエスはこう言われている「世界の端まで福音が伝えられる、そして終わりがくる。」と ・・・ 続く 

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