marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(747回) (その5)『知性(理性)は情念の奴隷である』:D・ヒューム

2020-09-29 08:39:48 | 日記

◆表題からずれて来た。”思考の整理学”より以前に”頭脳の生理学”だとういうことは、僕の心中でブロックがかかったようだ。人の頭脳のありようはその生物学的にはみな同じでも(神経系の配線具合が同じでも)、その電気系統の繋がりやすさやルートはその土台となる肉体が様々な影響を受けて誰でもに対して一般化できないからだ。しかし、一応目指すべくは東大生あたりの方が、その土台がもともとしっかりされているのであろうからということで模範化されるわけだ。こういう人がいるのだから脳みその繋がらない神経系を努力してつなげてね、という具合に。何度も学習して訓練すればつながるようになるよ、と勉強する。僕ら凡人はそれ以前のその土台の不安定さとそれに載っかかる脳みそが素直にリンクしないという実情がある。その間隙に人の様々なドラマが生まれるわけなのである。しかしその間隙は、実は僕らはロボットではない生物であるので誰でもがあるものでもあるのだ。◆デビット・ヒュームと言う哲学者がいた。1711年にエディンバラに生まれ。1776年(この年はアメリカがイギリスから独立を勝ち取った記念の年だったかな、確か)に没した。僕の好きな彼の考えを要約するような言葉『”知性(理性)”は”情念”の奴隷である』がある。その”情念”という人の生きるていることの動物でもあり、機械的なことも考え道具を作り、操り、今や頭脳の役割の代替えのメカ、コンピュータを作り、ロボットを作り、再生細胞まで作れるようになった。そのひとりの生物から、その個人と集団から政治の在り方、人が思考することのさらに考えを突き詰めた哲学、理神論経由し、そして、社会学、心理学・・・・など人に関する諸々の事柄は、又、僕個人の勝手な思いかはともかくやはり「昔、神の独り子と言われたイエスという男が我らの”罪”のために十字架にかかった」という事実、その基点から、僕らはその意味を考え、非常に重い責任が我々人類にかかっているという模索の系譜を示している事柄などと思わざるを得ないのである。・・・「イエスのなさったことはこの他にまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文章を収めきれないであろうと思う。」(ヨハネ伝21:25)・・・続く



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