marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(608回) ノーベル賞受賞に思ったこと

2019-12-11 08:38:23 | 日記

◆リチウムイオン電池での発明がノーベル賞を受賞し、吉野さんの受賞場面がニュースで流れる。メディアへの対応の言動から、この方は科学者だなぁと思ってしまう。日産の前社長もものつくりの方だからいろいろ叩けれたけれど、その対応には理科系のメリハリのあるはっきりした応答には、やはり論理的思考をされる方だなぁと思ってしまった。それに対して政治家は一つ上のどうなんだというような、あいまいさがいつも付きまとう。これは仕事柄というか、対象となる相手が人から切り話された理屈の通るであろう物の機構に対して(それは科学的にということだが)、多様な思惑のある人、およびその集合体では、また、全体の意味合いが異なってくる人の仕組みを相手にする政治や文学においては、どこまでも抽象的な言葉で濁さないわけにはいかないというようなところがある。

◆またまた、文学賞のことを思い出してしまった。前年度はボブ・ディラン。僕はこのほとんど語りの詩に曲を付けたCDをほとんど持っているし、まぁ、その中には日本語での歌詞のリーフレットも付いているが、その言葉数の多さには普段の歌手とはことなってというか、それは開けば文字だらけ・・・どこからこんな多くの言葉が湧いてくるのか、そのことにまずは驚かされた。それで、文学賞をもらった大江健三郎と、もらえない村上春樹なのだが、失礼ながら後者ムラキストには申し訳ないが、彼はもらえないと騒がれる前からブログに書いてきたのは、新聞記事の小さな記事を読んだときだったのである。

◆世界のベストセラーに起因するに、大江は海外詩人や文学者からの引用を多く自分の小説に取り入れる。海外では、思考の基本ベースはほとんどキリスト教からなりたっているから、その採用の意図を探れば人類の普遍性のようなものに行きつくのである。つまり、世界のベストセラー聖書 !。従って、彼(大江)が引用する文面は、その他の詩や文学などの言葉からインスピレーションを呼び起こされて、それをそのまま自分の文章に取り組む手法は小説家としてはアンフェアー(引照先も書くので別に法的にという訳では無論ない)だろうとも思われるが、世界中の読者には作者のおおもとのインスピレーションの基が言わずもがな理解されているのである。これは小説の是非ではなく、心情においてというあいまいな言い方がふさわしいかもしれない。なぜなら、一般の読者には、彼の後半期の小説は理解困難。僕の地方のBookoffにもそれほど彼の本が見つからないのは、数量的には読まれていないからだろうと。第一、当時の評論家の江藤淳やかの小林秀雄などからは「2ページ読んで君の小説を読むのはやめたよ」などと酷評されていたのだから。小林も東大仏文科でしたね、そういえば。

◆それに対しての、村上春樹なのだが、翻訳もされ海外でも読まれているのに・・・。過去のブログに書いたことなのだが僕は、当時の朝日新聞の小さな記事で感じたのだが、いまはネットでもその理由が読めるようだ。「エルサレム賞」で検索されたし。彼が、騒がれながらもノーベル賞がとれないのは、世界のベストセラーにつながっていないからなのであると言ったら言い過ぎになるか。ここで、世界に「人権」や「人格」というような言葉が流布され、世界的にも周知され、滑稽にも思われることだが隣国中国までこのことばを公言するようになっている来ているのは、世界のベストセラーに係わり、実際に彼らユダヤ人がその世界の歴史の中で大変な歴史を体現してきたからなのである。その経緯と深層的な歴史とあえて書こう。彼らの歴史は、この地球が創造されて以来からなのであって、その(神との)契約という思想に現れてきて民族の命を懸けてきたものだからである。紀元前1000年、ダビデ王がその地のペリシテ人と戦っていたことは彼らは忘れない。ペリシテとはパレスチナの語源となったものなのである。・・・