小さな日記

ワンクリック募金 毎日クリック!
http://clickbokin.ekokoro.jp/

現実の共有

2012年03月18日 | Weblog

東京にいた頃から時々電源が落ちていたわたしの携帯電話がうんともすんとも言わなくなって、充電もできなくなったので、きょうは、桂のソフトバンクショップに修理に行った。行ったら、ちゃんと電源が入ってしまって、不思議だったが、あれこれ説明したり待たされたりしていたら、やはり突然電源が切れてしまって、理解してもらえてよかった。代替機を貸してもらった。

森田玄さんが、ブログに現実の共有について書いておられた。http://moritagen.blogspot.jp/2012/03/blog-post_13.html

そう、去年の311以降、いろんなことが、みんなで共有できていないと感じることが多くなった。はじめのうちは、しかたないと思っていた。以前から、ヒバクについて知っているひとと全く知らないひととでは、温度差がある。つれは、あの311の地震直後、発した言葉が「原発大丈夫だろうか?」だった。だから、わたしたち家族は、メルトダウンを免れたという報道によっぽど運がよかったと思った。でも、後にメルトダウンどころか、メルトスルーだったことがわかったけれど。それにしても、国民全体が、この事故で原発やヒバクについて学んでいったら、放射性物質は拡散してはいけない、ひとつの地域に封じ込めて立ち入りを制限しなくてはならないと理解するようになるだろうと思っていたのは、甘い考えだった。

テレビでは、ずっと専門家というひとが出てきて、わたしがずっと昔から常識と思っていたことを覆すおかしなことを堂々と言っていた。ストロンチウムは重いから飛ばないんですよとか、多少のヒバクは健康に良いとか、あげればきりがないけれど。食べて応援というのもびっくりだった。それに乗じて「お百姓さんがかわいそう」と、我が家にお野菜を届けてくれたひともいた。

放射能汚染の身体への影響は、言葉にするのもはばかられるような恐ろしさもあって、なかなか話題にできないけれど、一言発して知りたいと言ってくるひとには、一生懸命情報を伝えた。けれど、日月がたち、本屋さんにもたくさんの放射能防御の本が並ぶようになってから、「わたしなにも知らないから~」と言うひとは、本当は知りたくないのだということがわかった。知って苦労するより知らないほうが希望があるという考えの人もいた。そのひとはそういう生き方としても、そのひとの子どもはどうなるのだと、暗澹たる思いだ。

また、「何処に行っても、何食べても、どうせ駄目でしょ!」という破滅型の考えもあった。これは、わたしは違うと思う。注意して行ったり食べたりするのがめんどうだというのは、自分の体を大切にしないことだと思う。農薬たっぷりかかったお野菜しか食べるものがなかったら、よ~く洗って食べようとするのに、放射能だと「どうせ~」になるのはどうしてだろう。

そんなこんなで、今、日本がどういう状況にあるのかの認識がひとそれぞれになってしまったこの一年だと思う。わたしは、京都に来ても、厳戒非常時だと思っている。地震も放射能汚染も、今のところ東京よりましではあるけれど、大飯原発再稼動、瓦礫処理受け入れで、よくない状態になってしまう。

現実認識が共有できるひとがそばにいないと、とても孤独で、つらいことだと思う。今回、わたしは、家族や少数の友人以外は、ネット上の意見が安堵の源となっていた。この引越しも、くじけそうになった時にはネットの情報に励まされていた。ありがとう。


最新の画像もっと見る