小さな日記

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愛だよ、愛!

2007年10月27日 | Weblog
社会学者、上野千鶴子さんは、京都大学卒業後、偏差値の低い大学の講師となった。漫画以外、本を読むこともない学生を前にして彼女は考えた。かれらは、考えるという作業を育む環境に育たなかっただけで、秀才としてここまで来た自分となんら変わりはない。自分も彼らもこの一年を有意義に過ごし達成感を持てる日々にするためには、社会学の用語や学者名を一切出さない授業をして、社会学のノウハウでたったひとつでもかれらが社会に出た時に役立つなにかを教えたい。個々が本当に興味を持つ日常の題材を決めさせ、全員にフィールドワークのノウハウを教えた。いわゆる学問的雰囲気はなかったが、それは確かに学問の技術だった。一年が終わり、ひとりの学生が上野さんに言った。「先生、ぼく、頭が悪いって思ってたけど違ったんだね。頭の使い方がわからなかっただけなんだ。この授業で少し頭を使えるようになったよ」

何回か、ブログに書いたかもしれないこの話、わたしが痛く感動したのは、知的エリートである上野さんが、かれらに、かれらがありのままでもわかるように自分の持つ知を伝えたことだ。「わからないのはあなたのせいだ、これくらいのことわかるように変われ!」と、言わなかったことだ。世の多くの「先生」は、自分に伝える術がないことを棚に上げて「困ったもんだ」と嘆息し、「もっと頑張れば変われる」と叱咤激励するしか能がない。知的レベルが本当に高いなら、相手がわかるように説明できるはずで、できないのは、自分も同程度ということ。

きょう、ふと、上野さんのこの向き合い方こそ、愛だと思った。相手を変えようとせずに、ありのままに受け入れること。ありのままでできることをさせてあげること。そして、その中で、自分の伝えたいことを伝えること。相手が伝わったと感じるように伝えること。彼女は、自分が大好きな学問の喜びと有益性をほんのちょっとでもかれらに伝えたかったし、かれらには伝わったのだ、確かに。

上野さんのすごいところは、「ありのままのかれら」をありのままに見た観察力だ。愛するには実はこれが一番肝心ではないか。幼い子どもが持つこの能力は、年を取るにつれ、余計な経験や知識から衰えていく。多くの大人は自分勝手な幻を見て、幻を愛したつもりでいる。

好きだとか、思っているだとか、こういうふうであってほしいとかを愛と勘違いしてはいけない、と、つくづく思う。
愛とは、ありのままを受け入れ、変えようとせず、それなのに、お互いの存在によって双方の命が輝きを増していく革命的変化のことだ。



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