ツイッターに、東京に住む若いおかあさんがつぶやいていた。
「3月15日に大変な量の放射能が東京に漂っていたと知りその日何していたのか恐る恐る日記を見る 息子と長い散歩をし公園で遊んでいた 空や花を指差し水道で遊びたがったと 何てことだと思わず泣いてしまった」
本当に、なんてことだ。こういう若い人たちに、こうなる前に止められなかったことが本当に申し訳ない。ごめんなさい。
でも、過去なのだから、起きたことに不安や恐れを抱くのではなく、今どうするかにフォーカスしよう。不安や恐れは免疫力を下げてしまう。
幸い、このおかあさんは、食事に気を配り、明るく頑張っていらっしゃる。
頑張れ!と今回は言ってしまおう。本当に頑張り時なのだもの。
10年以上先に、影響が出てくるというこの放射能汚染。漏れが収束してから10年、大変でも、わたしたちは、食事、環境に今まで以上に配慮して暮らすことで、被害を最小にしていかなくてはならない。特に子どもたちの体は、よく観察して、多くの被曝休息期間をとってあげたい。
「津波てんでんこ」を合言葉に釜石市では多くの小中学生が助かったそうだ。津波てんでんことは、それぞれが他人(親兄弟も)かまわずに、てんでんばらばら必死に高台に登れという教訓。
ヒバクもてんでんこで乗り切らなくてはならない。なぜなら、ひとの体は、それぞれ違うからだ。
よその子が平気でも自分の子が危ないと感じたら、逃げてほしい。
大人でも、不安や恐れを乗り越えられないなら、逃げてほしい。
他のひとが耐えているのだから、と、無理やり耐えることはない。
そして、津波てんでんこが定着し成功したのは、それが良いことだと、世間が認知したからだ。
学校でも教えたからだ。
放射能てんでんこも、世間に認知され、誰がどういう選択をしようと、それを尊重することが良いことなのだという常識を定着させよう。
被災地支援で、ヒバク食料は基準値以下ならたくさん食べますと言うひとがいてもいいし、口に入れたくないと言うひとがいてもいい。
でも、給食などで強制的に子どもに食べさせようというのはおかしい。
わたしのような50歳以上がヒバク食料を食べることにしたい。
とにかく、ヒバクてんでんこ。
それぞれの判断で、対処していくしかないし、その判断を非難したり無視したりは、とてもいけないことだ。
人を招いてお食事会するにも、とっても気をつけなくてはいけない時代になったのだ。
外食もしかり。今までのように、簡単に誘えないね。
そして、拒むことができるような誘い方をしてあげないとね。