小さな日記

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たたずまい

2009年08月12日 | Weblog
北海道の名寄という寒い町から札幌に引っ越したのは小学校5年になる春だった。札幌の木々や山は、名寄とは全く違って見えた。寒く厳しい自然の中、生き延びる植物は、枝ぶりが角張って力強い。札幌の手入れされた街路樹は、品よく優しくか弱かったし、山の形も柔らかい丸みがあった。

結婚相手の実家の奈良に初めて行ったときは、東京に住んで10年たっていたけれど、山はもっと丸々として葉っぱの形も小ぶりでかわいらしく見えた。北海道の自然は、人間に君臨する厳かな威厳だったが、奈良では人間に寄り添う恵みに感じた。

植物も環境に準じてそのたたずまいが変わるように、ひとも、暮らしと心持でたたずまいは違う。相手のたたずまいに感応して、心身が緊張したりリラックスしたりしている。身体の響きは音もなく伝わり、勝手に反応し伝播し、場の雰囲気を作っていく。

オノヨーコさんは、「愛してるって誰かに告げることは、世界中に告げているのだということを知っておいてください」とおっしゃった。
言葉にしなくとも、愛に満ちたたたずまいのひとがいれば、それは伝播して、道ですれ違う人に伝わり、その町が、愛に満ちた場になっていくだろう。

北海道の木も、奈良の木も、その環境の中、精一杯生きているたたずまいだ。どちらかがよかったり美しかったりするのではない。
人間は、「こう思われたい」欲とか、「自分はこうだ」という思い込みで、見た目を作ることがあるので、身体で伝わっていくものと、頭で伝わるものが相反してしまうことも多い。でも、よーく観察すると、たたずまいに出ないものはないのだろう。また、身体で伝わってくるものを無視しなければ、相手を誤解することもないのだろう。

言ってることと違うひとだとわかった時、相手のたたずまいを思い出してみる。相手から伝わってきた身体感覚を思い出してみる。きっと思い当たることがある。





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