旦那っちの実母は天に昇った。
旦那っちには母は2人。
生みの母と育ての母。
2人いるぶん、彼が受けた愛情は2倍とは言い難く、2人併せて1人?ともならかったのかな、、、。
その分、旦那っちは私という素晴らしき家族を得たのだろう。
だけどね、亡くなってしまえば、全てノーサイド。だよね。
私からしたら、そんな事情だったからこそ、『姑』という重さも感じることなく、良いとこどりで2人の義母とは友達みたいに付き合えた。
実母さんは、私が大阪に来た事である意味旦那っちとの親子関係を少しはリセットして、大人としての新しい付き合いを始められたのではないか。
しかし、
やはり別の家で別の人生を作った実母さんのことは、最期を看取ることもなく、荼毘にふされたあとの知らせが来たのみ。
旦那っちにしてみたら、それでも実母、複雑な思いはあったとおもう。
今日は、うちのお寺さんで、そんな事情を汲みとったお経を上げて頂いた。私達だけの実母さんへの弔い。
油がつきて炎が消えいるように静かに人生を終え、、、
今、この経の唱えが三途の川の舟となり、灯となる、、、
というお経の中の言葉に、涙が出た。この時間を設けたことを本当に良かったと思った。
ふわりとした宙ぶらりんな気持ちに最期の区切りができた。
旦那っちの顔に穏やかな明るさがもどり、とても嬉しい。
お義母さん、旦那っちを生んでくれて本当に、本当にありがとう。
親は人生の流れで何人も持つことはできるけど、生みの親はただ一人なんだよね。
お義母さんは「ただ一人」の人と、今は思っているよ。
どうぞゆっくり休んでくださいね。今は楽しく過ごした時間だけが浮かぶよ。
どうぞ、安らかに。
知らせを受けた日の朝だったかな、私、凄く美しい、光が幾重にも交差する山間の風景の夢を見たよ。
きっと、お義母さんはあの中を昇っている時だったのかな。
でも、お母様は、天国(浄土)で旦那っち様とリコ様を
守って下さってると思いますよ。
そうですね、最期は知らないでいたけど、供養はできたかなと思っています。まだ、49日までお線香あげて、色々話そうかと思ってます。
きっとみていてくれているでしょう。