おおかれ少なかれ、世の中の皆が、オリンピックというのをなんらかの軸にしてこの数年歩んできたのではいでしょうか。
選手とか、その関係者、企業などはもちろんだけど、
普通の人達も。
例えばうちの旦那っちなどは、冗談で東京2020を観るまではとりあえず生きていたいな、などと友人との何気ない戯言、挨拶がわりのように言っていた。
あながち冗談でなく、
そんなふうに自分の人生の喜びや張り合いの一つになっていたことでしょう。
日本人にかぎらず、世界中の人達にとっても。
ところが、そんなどころでない、コロナウィルスのパンデミック。平和の象徴の五輪をはねのける病魔という恐怖と霧。負の連鎖。
こんな状態で五輪を今年強行することは、普通に違和感や無理をかんじていた。
私は
インバンウドのど真ん中で仕事しているので、世界の人達の日本に対する思いや、優しい気持ちなど世の中が平和な時の親日のなかでぬくぬくいたけど、
生命の危機にあるなかで、だれもが優しい気持ちを優先できないこともあるだろうし、悲しみの矛先を何処かに向けたい心理などもわかる。
日本がそんな空気を読まずに五輪決行を言い続けるのがつらかった。
日本という国や国民が身勝手な所と思われるのが辛いという感じ。
ただ、
なくなってしまうのもイヤだった。これは色んな意味で、「困る」も含めてイヤだった。
ここまできたのだからね。
だから、1年延期の決断が出て本当に良かった。
この困難を乗り越えて、人類の平和の祭典のために、、、
よくできたシナリオだけど、今はこれが、素晴らしい目標だと本当に思う。
気分の霧がはれ、時間の余裕と期限がわかれば、私は走れる、がんばれる。
多分、世間さまもそうだと思うよ。
困難、難産のぶん、
東京2020により素晴らしい夢描き、まだまだ夢の途中で穏やかに動きが始まる。あちこちでまた始まる。
そう思う