七熊山に登り、家で、晩酌をして、就寝。そして、16日1時45分、緊急地震速報がスマホに届く、しばらくして娘から電話、「すごい地震で部屋は、めちゃくちゃ、停電で、今、公園広場にいる」との連絡。 それから、大変な一日が始まったのです。こまめに連絡をとりあう。近くの中学校体育館への避難、余震がひどく、避難者は、その度に外に飛び出したとのこと。スマホ充電がないので、連絡はメールでとのこと。 電気、水道、ガス、全てがたたれ、幸いにプールの水がためてあり、それをバケツで運び、水洗トイレで使ったとのこと。昼頃、「会社もめちゃくちゃで、仕事はしばらく休み、だから迎えにきて」との連絡。 それから、道路情報を収集して、14時自宅発、熊本へ向かう。高速は、交通止め、何十年ぶりだろうか、えびの市、人吉市、八代市と一般道を走行した。八代市から松橋まで、国道3号線は、南下する車で、大渋滞。 北上する私は、渋滞する車を見ながら、熊本市へ、渋滞もなく、すいすいと走れたが、目的地、後、4km地点で大渋滞、抜けるまで、1時間。公園や公共施設には、給水、食料待っているのだろうか、沢山の人が並んでいた。 避難場所、中学校へ20時着。この時間帯、停電が解消し、電灯が点灯してる。体育館では、おにぎり配布の時間であった。「子供、お年寄り優先で、配布します。今、炊き込みをしています・・・・」とスタッフ呼びかける。 スタッフは、避難者、と、娘に聞いた。娘も参加して、プールからバケツで、水を運んだそうだ。 中学校で娘を乗せ、アパートに立ち寄る、めちゃくちゃ、食器や、本や、雑誌や、服などが散乱している。片付ける気力もなく、とりあえず、重いの物だけ片付け、自宅へ向け出発。 熊本市内は、渋滞もなく、すいすいと走れ、国道3号へ、幸いに、八代ICまでは、高速が開通したようだ。ところが、八代ICまで20km地点から大渋滞。 我慢するしかない、辛抱、辛抱と走ると、後3km地点で、渋滞解消、なんで、と、思うほど、すいすい走れた。八代ICから都城IC、そして我が家に1時30分着。ひんだれたでした。 でも、帰る家がある人はいいけど、避難場所で暮らしている人のことを考えると、辛いですね。とにかく、一刻も早く、断水が解消することを願っています。今回は、被災者に配慮して、撮影しなかった。 ニュースによると、16日の地震が本震で14日のは前震とか、言い訳をしてる。14日、気象庁は、余震が1週間くらい続くでしょと、前震の言葉はなかった。 地震が発生して、地震学者がやたらマスコミに顔をだし、断層がどうのこうの、今後は、どうのこうの、と、述べるが、本震の地震予知は、どうなったのと、聞きたい。 年間数百億円の税金を使って、30年以上研究しているのに、地震予知ができない、地震予知連(金食い虫、地震学者のたまり場)は、解散し、予知連で使う税金は、地震発生を前提に、被災地支援金として、積み立てたほうが、役立つと、私は思う。
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