盆地を覆う雲間から、春の日差しが降ってきた。その瞬間、目の前のすすけた黒い石の壁が、虹色に輝き出した。
「カラミ石」という。鉱山の町・生野の風景に欠かせない名脇役だ。
熱して液状にした鉱石から銀や銅などを抽出する精錬の際、不要な岩石などが分離する。これがカラミ。
江戸時代は河原などへ捨てていた。ところが一八八〇(明治十三)年から銅の生産が本格化。カラミも急増し、捨て場所に困り始めた。
数年後、だれか知恵者がカラミを各辺数十センチの直方体に成型し、建材用にと一個二銭で売り出した。安さに加え石の中に残る金属成分の光沢も魅力だったか、家の土台に、塀に、水路にと町のあちこちで使われた。十九世紀末の「リサイクル事業」は当たった。
第一次世界大戦で銅の需要がさらに高まり、一九二二(大正十一)年、瀬戸内海の香川・直島で大精錬所が操業を開始。生野は鉱石を精錬せず送り出すようになり、カラミ石の生産は途絶えた。
一九九八(平成十)年、県は生野の口銀谷(くちがなや)地区を景観形成地区に指定した。カラミ石が風景に独特の彩りを与えていることが理由の一つに挙げられた。「見慣れたものに実は価値があることを、町外の人に指摘され初めて気づいた」
生野生まれの県ヘリテージマネージャー小島修一郎さん(44)は、そのときの驚きを覚えている。 今月、生野は周辺三町と合併し朝来市の一部となった。
(神戸新聞)
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こんな石・・始めてみました。長い事この石の価値にきずかなかったようですが・・
いまは朝来市というそうですが、
市役所など新市の中心部からは遠このような天然の複雑な色をなす資材はこれを使って色んなものが出来そうで・・・楽しみです。
確かにいまはここでしか見られないでしょうが・・・このカラミ石が輝く街並みの魅力は、ここでしか味わえない・・・のではなくてもっと多くの形を変えて様々な作品に生まれ変わって、この不思議な素材を生かしてこの土地が豊かな町になるために色んなアイデアをもっと積極的に行動しは如何?・・・