何年前だったか、
たまたま都内で仕事があった日に、
浅草線のメトロで浴衣姿の小さな女の子が母親の手に引っ張られながら、
大きなホウズキの鉢を持って乗ってきた事があった。
ホウズキの朱色が目に鮮やかで、
見ているうちに子供の頃、父方の祖母が連れて行ってくれた田舎の縁日を思い出した。
あれは、まだ私が小学生の頃だ。
祖母の家の中庭をぐるりと囲む縁側には、
夏になると、縁日で買ったホウズキ鉢が飾られ、そこに小さな風鈴がぶら下がっていて、
それが、時たま風に揺られチリンチリンと鳴っていた。
夏休みに祖母の家に泊まるたびに
眠りの浅い私は、風鈴がなる度に決まって目が覚めた。
その懐かしい音を、
つい最近、思いがけない場所で聞いた。
父が救急搬送された大学病院から
危篤の報せを受けた日の夜だ。
夜10時半ごろ病院の駐車場に車を停め、シトシトと小雨が降る中、
玄関に続く通路を小走りで通ったとき、
通路に飾られていた5、6個のホウズキ鉢の下に吊り下げてある風鈴がチリンチリンと鳴った。
ハッとしたが、
その時は、とにかく病室に行かなくてはと足早に通り過ぎた。
そして、
真夜中の0時過ぎだったか、
病院の地下出口から父の亡骸を乗せた葬儀社の車を見送った後、
再び病院の玄関を出て駐車場に続く通路を歩いて行く時にも…
風もないのに、どういうわけか通路の右側に並んだホウズキ鉢の風鈴がチリンチリンと鳴った。
まるで私が通り過ぎる瞬間に合わせて鳴らせているかのようだった。
その懐かしい音に、祖母の顔が浮かんだ。
きっと祖母が父を迎えに来たのだ…。
子供の頃、事情があって
実の親と一緒に暮らす事が叶わなかった父は、淋しい少年時代を過ごした。
そのせいか親に対する思慕が特別強い人だった。
私が小学生の頃、
会社勤めをしていた父に栄転の話があったときも「お袋が淋しがるから」と言って、転勤を断ったほどだ。
40年前に祖母が肝臓癌で亡くなったときも、
チューブに繋がれて苦しむ姿を見ていられないと言って、延命処置の中止を主治医に訴えたのも父だった。
きっと、そうだ…
ようやく祖母の元に父は行く事ができたのだ。
チリンチリン…と風鈴を鳴らせて、祖母がそれを私に報せてくれたのだ。
父の最期の衣装は、
看護師に促され慌てて購入した病院一階の自販機で売られていた三千百円の浴衣だった。
きっと父はあの浴衣を着て、祖母に手を引かれて、あの世に旅立ったのだ。
昔、祖母が私を縁日に連れて行ったように…。
その翌日の夜のことだ。
奇妙なことがあった…
夜10時過ぎ、
疲れ果てて寝ていた私の左頬に小さな虫が落ちてきていきなり噛み付いた。
思わず虫をつまんで、ティッシュに包んだが、
左頬は、しばらく腫れていた。
なんの虫だろうと、
ティッシュを開いて見ると
それは見たことのない小さな褐色の蜘蛛だった。
蜘蛛が人に噛み付く事があるのだろうか…。
私は蜘蛛が大っ嫌いだ。
その大っ嫌いな蜘蛛に噛まれた。
瞬間、父の顔が浮かんだ。
最期を看取らなかった事を恨んでいるのだろうか…。
翌朝、
左頬の腫れは跡形もなく引いていたが、
ゴミ箱には、ティッシュで包まれた蜘蛛の死骸が残っていた。
もしかしたら
近いうち、私はスパイダーウーマンになるかもしれない。
(~_~;)
なんだか支離滅裂な文章で、スミマセン…汗。