浅間山の警戒レベルが2となり
入山規制が依然と続いています。
ふと、今から230年前の天明の大噴火のことを思い出したのは
十数年前に、たまたま訪れた嬬恋村にある
鎌原観音堂を管理する地元のお年寄りから話を聞いた事があるからです。
とても印象に残る、生々しい話でした。
観音堂には、当時の噴火で亡くなった女性2人の顔の想像写真が展示してありました。
年配の女性と、若い女性です。
2人は、おそらくお姑さんとお嫁さんではないか、と地元のお年寄りは話してくれました。
浅間山の噴火で流れてきた火砕流から逃れるため、
お嫁さんが歩けないお姑さんを背負って逃げていた…?
観音堂まで辿り着いて、あともう少しというところで、
土石流に飲み込まれてしまったのです。
観音堂の石段の下の土の中から、背負ったままの姿で見つかったのは
昭和54年の発掘調査でのことです。
村人たちは、この二人を観音堂に祀り、
手厚く供養している様子でした。
嬬恋村観光協会のWebサイトでも紹介されています。
http://www.tsumagoi-kankou.jp/kanko/asama/kannon.html
Wikipediaでは、顔が似ていると書いてありましたが、
親子、姉妹である確証は今のところないようです。
観音堂を守る地元のお年寄りたちから直接お話を聴くほうが天明の大噴火の生々しい様子が、よく伝わってきます。
入山規制が依然と続いています。
ふと、今から230年前の天明の大噴火のことを思い出したのは
十数年前に、たまたま訪れた嬬恋村にある
鎌原観音堂を管理する地元のお年寄りから話を聞いた事があるからです。
とても印象に残る、生々しい話でした。
観音堂には、当時の噴火で亡くなった女性2人の顔の想像写真が展示してありました。
年配の女性と、若い女性です。
2人は、おそらくお姑さんとお嫁さんではないか、と地元のお年寄りは話してくれました。
浅間山の噴火で流れてきた火砕流から逃れるため、
お嫁さんが歩けないお姑さんを背負って逃げていた…?
観音堂まで辿り着いて、あともう少しというところで、
土石流に飲み込まれてしまったのです。
観音堂の石段の下の土の中から、背負ったままの姿で見つかったのは
昭和54年の発掘調査でのことです。
村人たちは、この二人を観音堂に祀り、
手厚く供養している様子でした。
嬬恋村観光協会のWebサイトでも紹介されています。
http://www.tsumagoi-kankou.jp/kanko/asama/kannon.html
Wikipediaでは、顔が似ていると書いてありましたが、
親子、姉妹である確証は今のところないようです。
観音堂を守る地元のお年寄りたちから直接お話を聴くほうが天明の大噴火の生々しい様子が、よく伝わってきます。