「白鳥の湖」のピアノソロのイントロを間違えずに弾く…当面の課題は、
それをどうやって練習するか、でした。
当時の私は音楽の練習だけしていればいい男性隊員とは異なり、
雑用(かっこよく言えば庶務)の仕事もしていました。
当然、長時間ピアノ室にこもって練習する事は許して貰えませんでした。
それでも休憩時間を惜しんで時間さえ
あれば練習しました。
東京の中央音楽隊に国立音大卒の女性隊員Hさんが入隊したと知ったのが、
ちょうど、その頃です。
『中央音楽隊所属、初の婦人自衛官』
と自衛隊広報誌だけでなく週刊誌にも
取り上げられていました。
実は、朝霞駐屯地で教育を受けていた
三ヶ月の間に当時の中央音楽隊長だったT三等陸佐から
「どうだ、うちに来ないか?」と
誘われた事がありました。
何故なら私は、その時点では防衛庁が公に認めていない音楽隊要員だったからです。
T中央音楽隊長の誘いを受ければ、Hさんではなく私が防衛庁が認めた女性の
音楽隊員「第一号」になったはずでした。
なぜ断ったのか...。
それには、私が入隊前に交わされた
中部方面音楽隊との暗黙の了解があったからです。
それをどうやって練習するか、でした。
当時の私は音楽の練習だけしていればいい男性隊員とは異なり、
雑用(かっこよく言えば庶務)の仕事もしていました。
当然、長時間ピアノ室にこもって練習する事は許して貰えませんでした。
それでも休憩時間を惜しんで時間さえ
あれば練習しました。
東京の中央音楽隊に国立音大卒の女性隊員Hさんが入隊したと知ったのが、
ちょうど、その頃です。
『中央音楽隊所属、初の婦人自衛官』
と自衛隊広報誌だけでなく週刊誌にも
取り上げられていました。
実は、朝霞駐屯地で教育を受けていた
三ヶ月の間に当時の中央音楽隊長だったT三等陸佐から
「どうだ、うちに来ないか?」と
誘われた事がありました。
春の駐屯地祭りの折りでした。
中央音楽隊の練習場に何度か顔を出す機会があり、私の存在を隊員から聞いていたようです。
その前後に一度、「音大卒の珍しい女性隊員」として、マスコミから取材を受けた事もありましたが、
一谷伸江さんがインタビューしてくださった私の記事は全てボツになりました。
中央音楽隊の練習場に何度か顔を出す機会があり、私の存在を隊員から聞いていたようです。
その前後に一度、「音大卒の珍しい女性隊員」として、マスコミから取材を受けた事もありましたが、
一谷伸江さんがインタビューしてくださった私の記事は全てボツになりました。
何故なら私は、その時点では防衛庁が公に認めていない音楽隊要員だったからです。
T中央音楽隊長の誘いを受ければ、Hさんではなく私が防衛庁が認めた女性の
音楽隊員「第一号」になったはずでした。
なぜ断ったのか...。
それには、私が入隊前に交わされた
中部方面音楽隊との暗黙の了解があったからです。