小林麻央さんの最期の言葉に
感銘を受けた一人です。
その言葉の意味を考えていて、
ふと、
最初に医師から告知を受けた日のblogに書かれていた事を思い出しました。
病院からの帰り途、
公園で遊んでいたお子さんや御主人の顔をみた時の気持ちを、
母親の顔ではなく、一人の女として
夫の腕の中に飛び込み泣きたいと思ってはみたけれど、
いつもの笑顔になり、
走ってくる子供達に両手を広げて抱きしめた…
と。
blogでは、いつも笑顔で
日々の小さな喜びを綴ってきた麻央さんでしたが
本当は、御主人の腕の中で思いっきり泣きたい日もあったのでしょう…。
最期の言葉は、
そんな御主人を思う“気持ち”を伝えたかったのではないかと…
私は勝手に想像しています。
つい最近、読んだばかりの
『音のセラピー』という
イランの工学博士が著した予防医学の本に
『病気治療は、脳が50% 心が30% 体が20%』
とありました。
そういう本を読むたびに感じることは、
「余命」とは、いい加減なもの
誰にも余命など、わからないということ…。
そう信じている私は、
麻央さんのblogを読みながら、
本当に、この人は奇跡を起こせるのではないかと
思っていました。
とても残念でなりません。
ただ、
葛藤の末に辿り着いたという
BBCに寄せられたメッセージにあった
“色どり豊かな人生”
という言葉の意味が
『KOKORO.』を読んでいると
よくわかります…
一生懸命、日々の出来事や想いを綴り
人生を色どり豊かなものにしようとしていた麻央さんの想いが、
伝わってくるのです。
もう、痛みを我慢しなくてもいいのですものね、
美しく生き抜いた麻央さんを私たち読者は忘れません、
どうぞ、安らかに…。
感銘を受けた一人です。
その言葉の意味を考えていて、
ふと、
最初に医師から告知を受けた日のblogに書かれていた事を思い出しました。
病院からの帰り途、
公園で遊んでいたお子さんや御主人の顔をみた時の気持ちを、
母親の顔ではなく、一人の女として
夫の腕の中に飛び込み泣きたいと思ってはみたけれど、
いつもの笑顔になり、
走ってくる子供達に両手を広げて抱きしめた…
と。
blogでは、いつも笑顔で
日々の小さな喜びを綴ってきた麻央さんでしたが
本当は、御主人の腕の中で思いっきり泣きたい日もあったのでしょう…。
最期の言葉は、
そんな御主人を思う“気持ち”を伝えたかったのではないかと…
私は勝手に想像しています。
つい最近、読んだばかりの
『音のセラピー』という
イランの工学博士が著した予防医学の本に
『病気治療は、脳が50% 心が30% 体が20%』
とありました。
そういう本を読むたびに感じることは、
「余命」とは、いい加減なもの
誰にも余命など、わからないということ…。
そう信じている私は、
麻央さんのblogを読みながら、
本当に、この人は奇跡を起こせるのではないかと
思っていました。
とても残念でなりません。
ただ、
葛藤の末に辿り着いたという
BBCに寄せられたメッセージにあった
“色どり豊かな人生”
という言葉の意味が
『KOKORO.』を読んでいると
よくわかります…
一生懸命、日々の出来事や想いを綴り
人生を色どり豊かなものにしようとしていた麻央さんの想いが、
伝わってくるのです。
もう、痛みを我慢しなくてもいいのですものね、
美しく生き抜いた麻央さんを私たち読者は忘れません、
どうぞ、安らかに…。