声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

感謝、そして後悔

2019-06-23 23:55:58 | Diary
電話があったのは朝7:20分

身に覚えのない番号の主は市内にある私が以前、通院していた事もある大学病院の救急センターだった。

「◯◯さんの長女さんでいらっしゃいますか?」

と電話の向こうで、やや緊迫した男性の声が聞こえ、

「◯◯さんは施設に入っているそうですが、今朝、倒れられて救急搬送されました…」

状況がよく分からないまま、

「これからすぐ行きます」

と伝えると

「どのくらいで来られますか?」

と矢継ぎ早に訊かれた。

「20分か30分くらいで」

と告げると

「発見された時には心肺停止で、その後、蘇生で人工呼吸器をつけているんですが血圧がどんどん低下しているので、来る途中にまた心臓が止まるかもしれませんが、その時はどうされますか?」

訊かれて、一瞬戸惑うが

「無理に延命はしなくて結構です」

と答えた。

実父は、まもなく91歳だ。



今朝5時にスタッフが部屋を訪れた時は、変わった様子はなかったらしい…

それから40分後に部屋を覗いた時にトイレで倒れていたという。


救命センターの医師によれば、
原因はクモ膜下出血…広範囲に出血しており、
手の施しようがなく、極めて危険な状態らしい。


モニターに表示される波形は周期的な曲線を描き続けているようにも見えるが、

血圧は、86/46で保っているかと思えば、急に50以下に下がったりを繰り返している。



毎日不満だらけで、

「痩せ細りそうじゃ」と訴えていたというが、
久々に見る父の顔は福々しく、以前より太って見える。

血の気がなく黄色みの強い顔色はシワもシミも少なくツヤツヤしていて、とても90には見えない。


好き勝手に生きた父であった。
年金だけでも十分に暮らしていけると自慢していた。

元気な時には、愛犬を連れてハンティングに出かけ、
イノシシを獲ったと言って

ぶら下がった大きなイノシシの横でツーショットで写真を撮っては、手紙に入れて送ってきた。

父と一緒に根津神社のツツジを観るバスツアーに行ったのは、いつのことだったか…。

あの頃は、まだ普通の“人の良いお爺さん”を演じていたのだが…

80を過ぎてから、だんだんと本来のわがままな性格が出始め、
人格障害とも思えるような言動が目立つようになった。

長女の私に

「おまえには最期までワシの面倒をみる義務がある」

と口に出して言うようになったのも80を過ぎた頃からだ。
被害妄想も日増しに強くなり、

1カ月前には警察に

「施設の人間がわしの通帳を勝手に持ち出して金を下ろしたようだ」と電話をかけ、

警察が施設に事情聴取に来ると言うトラブルを起こした。

それらも
全て、脳の中の血管が詰まったせいだったのか…


本人も「わしは100まで生きる」と豪語していたし、私も、そう思っていた。

なので、何も用意していなかった。

これから、どうしようかと漠然と考える。

遠方の妹や叔父は、今日中には来られないという。私は一番近くにいる唯一の親族である。

最期を看取り、始末する全てをやらなければならない。

仕事も早めに片付けなければ…

そう思いながら容体が急変したら連絡してもらうよう看護師に頼んで

一旦、家に帰って今日中に終えなければならない仕事を片付けていた最中だった。

再度、呼び出されたのは午後10時5分…


病院に到着したのは10時35分…


駆けつけた時は、すでに心臓は止まっていたが、

担当看護師の

「耳はまだ聞こえていますから話しかけてください」

と促され、

何を言えばいいのだろう…と一瞬戸惑った。


が、やっぱり、この言葉しかないなぁ。

「ありがとう、ごめんね」


6月23日22時47分…

90歳11カ月8日の人生だった。




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