声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

家族の視点

2015-09-17 17:57:52 | Diary
一昨日の夕飯は、何を食べましたか?

と訊かれて、

( ハテ、なんだったっけ?)

…と、考える事が多いこの頃です。

ただし、TVでも言っていましたが
何を食べたかより、

誰と食べたかを忘れるほうが危険なのだとか…


その点、我が家はいつも夫と二人で食べているので間違えようがない…ですね。


認知症のカウンセリング内容も病気の研究が進むにつれて、どんどん変わってきているようです。


カウンセリングといえば

実母が健在だった頃、
H大病院の「ものわすれ外来」に付き添った事がありましたが、

大勢の患者が集まる大病院で、認知症検査やカウンセリングを行う場合、

特に気を遣って貰いたいのは、周りの環境です。


実母の検査は、衝立てで仕切られただけの小さな診察室で行われました。

隣の診察室の患者と医師の会話もよく聞こえ

そのためなのか、母の前の医師は大声を張り上げて、母に質問をしていました。

背後には研修医らしき若者が3人、立っており
ザワザワと落ち着きのない

とても雑然とした場所でした。

当時の母は、耳はよく聞こえていたはずですが
そばで聞いている私は

なぜ、こんなに声を張り上げてなくてはならないような落ち着きのない場所で
検査やカウンセリングをするのだろう…と不思議に思ったものです。


最近になって、実父のかかりつけ医に付き添うたびに感心するのは、
個人病院なのでスペースにも余裕があるのはもちろんですが、

明るくゆったりした診察室で、世間話をしながら質問をして、

医師の癖なのかもしれませんが、
必ず最後に患者である実父の肩や腕をポンポンと軽く叩き、励ますようなスキンシップがある事です。


認知症の場合、気分に左右される事も多いわけですから、

流れ作業のように、
ただ多くの患者を診ればいいってものではないと思います。

介護も同じです。

多くの患者を預かる施設の中には
家族が見ていないのをいい事に充分なケアもできていないどころか、スタッフから虐待?とも思わせるような不適切な対応もあるという、

ルーティンワークでこなせばいいと言う施設側スタッフの安易な考えが、
川崎の老人ホームのような問題を引き起こすのです。

ニュースを聞くたびに辛くなります。

大きいから良いという事はないのです、

施設も病院も…。

今でも、H大病院でのあの時の困ったような実母の表情を思い出しては、

心が痛むのです。(~_~;)





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