声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

お茶汲みと付き人

2023-02-22 22:21:00 | 報道 ニュース ワイドショー




考えて見れば、不思議な出会いだ…

ナレーターとして雇われていた番組なのに、私の出番は最後の数分間。

毎回同じコメントだし別に録音でもよさそうなものだけれど、
今思えば、なぜ数分のために通っていたのか…

たぶん、ナレーションの数分は巻いたり延ばしたりできるようなクッション的な扱いだったのかもしれない。

とにかく、その当時
私は極々地味な視聴者プレゼントのナレーターとして、大阪市内の某所にあるそのスタジオに通っていた。

局アナを辞めて1年目だったか…
もちろん自分専用の楽屋などはなく、

2時間くらい前から収録スタジオのすぐそばにある控え室に詰めていた。

そこに入ってくる人は自己紹介をするわけでもなく、
関係者である事以外に何も情報がない。
どこの誰であるかなんて最後までわからないのが普通だった。

その控え室で、私はいつの間にか出入りするゲストやスタッフのためにお茶汲みをしていたのだ。

恐らく誰も私の事をプロのナレーターだなんて思わなかっただろう。

鶴瓶さんの収録の様子を見に松鶴師匠が奥様と一緒に来られる時だって、
誰からも「お茶!」なんて言われた事はないが、

隅にケータリングのセットが一式置かれているのに誰ひとりお茶を淹れる気配がないのが気になって、

手の空いている私が自主的に動く羽目になった…

たったそれだけの事なのだが、

40年近く経つのに当時の記憶が鮮明なのは、
地味なナレーターの私に負けないくらい
《その人》の存在が地味だったからだ。

当時は普通の黒縁メガネで黒髪…
最初のうちスポンサーか広告代理店のスタッフだと思っていた。

ある時、たまたま鶴瓶さんの着替えを手伝っているのを見かけて、
初めて付き人である事を知った。

ほとんど喋らないし、邪魔しないように気を遣ってか、
いつも隅っこの方でジッと鶴瓶さんと松鶴師匠のやりとりを聞いている…

当時は、それほど控えめな印象だった。

それが、いつの間にか、あれよあれよ言う間に売れて、
『噂の東京マガジン』などでレギュラー出演しメディアの常連になってからは、

当たり前だが、私の知る《控えめな人》は、もうどこにも居なかった。

無理もされていたのではないかな…。

66歳は早いが、恐らく濃い人生を送られたのだろう…

笑瓶さん、お疲れさまでした。









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