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8月13日(金)よっこらしょ

2010-08-12 11:40:23 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
8月13日(金)よっこらしょ

昨日台風4号の影響で怪しい空模様だったが墓参りに行った。両親が眠る郊外の墓地でポツポツ降りだした雨は2番目に訪れた市内のお寺で本降りになり、これは困ったことになったと空を見上げた。ところが3番目のお寺に着くころには小止みとなり、お参りを終えるのと符節を合わせるように雨はピタリと止んだ。最初の墓地から最後までおよそ40分ぐらいだった。

天気予報では台風4号は夜から今日未明にかけて東北地方を通過するということだったので、一度止んでもまた降り出すと覚悟していたのに家に帰り着くころには青空ものぞいてきた。夕方別の会合に出席するために傘を用意して出かけたが、それ以後は結局傘の出番なし。台風は夕方秋田県に上陸し青森県を経て太平洋に抜けたと言う。

仙台は今回の台風に関しては最も影響が少ないラッキーなところに位地していたことになる。仙台は大きな都市にしては自然災害の少ないところだとかねがね思っている。九州や四国のような台風常襲地帯ではないから大雨や強風の被害はほとんどない。今年の夏は特別暑いけれども、概して気候が温和で冬もさほど寒くはないし雪もほとんど降らない。

という訳で、仙台は地震の心配さえなければ安心して住める都市の一つだと思う。地震ばかりは予知が難しくどうしようもない。身を守るためには家屋の耐震化といざと言うときの身の処し方だけが頼りであるが、すたこら逃げ出そうにも年々素早い動作が出来なくなってきた。

立ち上がろうとするとき、ともすると「よっこらしょ」とか「どっこいしょ」などと掛け声をかけたくなる。声に出すのはいかにもじじむさいから言わないようにしているけれども、無意識に口をついて出るかもしれない。106歳で亡くなった母が晩年「何でからだが言うこと聞かなくなったんだか」と言っていたが、小生は80歳にして既にその心境である。お盆になると早く亡くなった父よりも、なぜか母のことを思い出す


8月12日(木)御巣鷹から25年

■日航ジャンボ機が尾翼を失って迷走の挙句、御巣鷹の嶺に墜落して520人の犠牲者を出した大惨事から25年の歳月が流れた。ときは過ぎ去っても犠牲者の遺族、関係者の心の傷は癒されることがない。遺族の多くは高齢になった。それでも杖を片手に今年も現場へ供養登山をした人、麓の川で灯篭を流して故人を偲ぶ人たちの姿が放映された。

■コントロールを失った大型機を必至に操ったコックピットの人々、乗客がパニックにならないように最善を尽くした客室乗務員、そして絶望と淡い期待の中で家族に残すメモを認めた犠牲者の気持ちを想像すると言葉を失う。何がなんだか分からないうちに一瞬にして命を失うのと違って、どんなに辛い思いをしたかと思う。

■航空機の発達は多くの乗客をより早く遠くまで運ぶことを可能にした。けれども安全については万全とは言えなかった。日航ジャンボ機墜落事故のような大事故は稀有とはいえ、国内だけでも多くの事故を記録している。

■速さは飛行機に敵わないけれども多くの乗客を運べる点では新幹線の方が上である。東海道新幹線が開通したのは昭和39年10月1日だった。10日に始まる東京オリンピックにようやく間に合った。それいらい新幹線は路線を伸ばし続け東北も青森まで新幹線で行けるようになった。

■この高速鉄道が開業以来脱線・転覆と言った人身に関わる大事故を一度も起こしていないことは世界に誇れることだと思う。自動車事故で毎年1万人を越える死者を記録していることを思えば、死者ゼロは如何に偉大な記録かが分かる。

■新幹線はこの記録をさらに伸ばして欲しいし、航空機も安売り競争よりは安全を売り物にして競争することを願っている