今回もまた前回に引き続き、マーリン・キャロザースさんの本より、「すべてを感謝し、神を讃美すること」について、証しのお話をご紹介したいと思いますm(_ _)m
>>あるクリスチャン夫婦に二人の息子がありました。一人はこの夫婦の自慢であり、喜びでした。彼は家にいて両親と同じあたたかい、喜びの信仰を持っていました。
ある日、私はこの家族と食事をしている時、上の息子が親にそむいて家出をしているという話を聞かされました。彼は大学を優秀な成績で卒業したのですが、両親と既成の社会に反抗して、今では人生に明白な目標を持たず、ヒッピーになって全国を流れ歩いていたわけです。その不幸な両親は私に助言を求めました。私は、神がこの夫婦にその息子さんを与えてくださったこと、またその子供の救いのために祈っておられる祈りに神は答えようとしておられることを信じます、ということを説明しました。
「もしあなたがたの祈りが真実であるなら、彼の現在の生活が、本人にとってもあなたがたにとっても、まさに一番よい状態であると神は見ておられるという確信が与えられるはずです」
父親が言いました。
「わかりました。私たちはただ息子にとっての最善を願っています。そしてこれが私たちみんなに対する神のなさり方であり、みこころであるに違いありません」
食卓のまわりに手をつないで私たちは神が最善と見ておられる方法で計画を実現しておられることを神に感謝しました。その後、両親は大きな解放感と新しい平安を得ました。
「あの時以来両親はたとえ理解に苦しんでも、息子の今日の生活ぶりを神に感謝し続けていた。ある日その息子がバイクの事故で片足にひどい怪我をした。びっこになって彼はしばらく帰宅することに決めた。彼は全国各地に未払いの請求書の残してきたことを両親に告げた。両親はそれについて祈り、息子の生活のあらゆることにおいて神が本当に働いておられるのであれば、その請求書のこともお許しになったのだと確信した。それから、その請求書の一枚一枚を神に感謝して全部を支払った。息子は驚いた。彼は叱られて『自分の借金は自分で責任をとれ』と言われるだろうと思っていた。予想に反して、両親は強いことも言わず、あたたかい態度を示し、彼の服装や頭髪の風変わりな姿をも怖れず受け入れていることを知った。
ある晩のこと、数人の若いクリスチャンの青年たちが弟のほうを訪ねてきた。兄のほうはそれを邪魔に思ってイライラしていたが、足が痛いので家を出られなかった。その青年たちは情熱に燃えて、イエス・キリストが自分のうちにしてくださったこと、また現にしてくださっていることなどを語りあい、感謝しあっていた。はじめの間、兄のほうはそれを、なんだ、ねんねの甘っちょろい人生観さ、と言って痛烈に批判したが、まもなく引きこまれるように耳を傾けるようになり、やがて本気で質問を次々にしてきた。そしてその晩のうちにキリストを信じて受け入れた」
この兄の生活に徹底的な変化がすぐ起こったことが、その両親からの手紙に喜ばしげに書かれていました。彼はイエスに従いイエスに仕えるために献身した。熱心に聖書を学び、二、三日のうちに聖霊のバプテスマ――イエスに従った人たちがキリストの死と復活の後、最初の五旬節の時に受けたあの経験――を求めてそれを受けた。その数日後、彼はひとりのクリスチャンの女性に出会った。二週間後に彼は婚約した。何ヶ月も心配し、気をもんで祈り続けても、この青年に変化は起こらなかったのです。両親が息子の現状を喜んで受け入れて神に向かった時にはじめて、彼らの全家族に対する神の完璧なご計画が達成される道が開かれたのです。
神はあなたの人生のために、そして私の人生のためにそれぞれ完璧なご計画を持っておられます。私たちは自分のまわりの状況を見て、自分はいつまでも、同じような苦しい立場に置かれていると思うことがあります。神に向かって助けを祈り求めれば求めるほど事態はもっと悪くなるようにすら思えるのです。転機が訪れるのは、ただ私たちが現状を取り去ってくださいと神に祈り求めることをやめて、その現状のゆえに神を讃美しはじめる時なのです。
ある若い婦人がまったく進退きわまる事態に追いつめられ、そのいきさつを手紙に書いてきました。一身上の困った事情のために彼女はまったく自尊心を失い、自分の身なりすらかえりみなくなったのです。
「食べることが私の気晴らしでした。まもなく私はどんどん太りだし、サーカスの化け物みたいになりました。夫は他の女性たちに心を向けるようになり、ある日家を出て離婚を求めてきました。請求書はたまる一方で、神経はギリギリまで張りつめ、自殺を思う回数もだんだん多くなりました。
この間、私は絶えず祈りました。聖書も読みました。教会へは門が開くたびに出席しました。そして知人の一人一人に私のために祈ってくださいとお願いしました。クリスチャンの友人たちは『信仰を持ち続けてください。負けてはいけません。明日は万事よくなるでしょう』と言い続けてくれました。しかし万事は悪くなる一方でした。その頃ある方が「獄中からの讃美」というあなたの本をくださいました。私はそれを読みました。はじめは、著者のあなたが言っておられることが真面目とは思えませんでした。その当時の私の色々なことをすべてひとつひとつ感謝するようにと勧めることなど、正気では誰もできなかったでしょう。しかしその本を読むほど泣けてきました。あなたの言われることが本当であるということがだんだんわかりはじめました。あらゆることを神に感謝することについてのあの数々の聖句を私はみな聖書で何回となく読んでいたのですが、その本当の意味を理解していなかったのです」
彼女はその時あらゆることを神に感謝してみようと決心しました。結局これ以上悪くなりようがないと考えたのです。あまりどんどん太ってきたので。いつなんどき心臓マヒを起こすかもわからない状態であることが、自分でもわかってきたのです。微かな希望の光を認めて彼女は居間にひざまずいて祈りました。
「神さま、私の生活はこの通りでございます。このあるがままを感謝いたします。私の今の問題のすべてはここに私を導くためにあなたから与えられたものでした。私にとって最善の道であると判断されなければ、あなたはこれらのどの一つも起こるのを許さなかったことでしょう。神さま、あなたは本当に私を愛しておられます。神さま、私にはそれが本当にわかります」
ちょうどその時、犬が郵便配達人に向かって吠える声で祈りが中断されました。毎日この犬は人が来ると激しく吠えたてたので、そのことも彼女の日々を耐えがたく、みじめなものにした多くの積もり積もった腹立たしい、些細な出来事のひとつでした。いつもの叱りとばす言葉で犬を黙らせようと立ち上がってドアのほうへ歩きながら、彼女はふと「どんなことでも神に感謝すべきだった」ということを思い出しました。
「わかりましたわ、神さま。犬が吠えるのも感謝します」
郵便配達人は一通の手紙を届けてました。彼女はその封筒の上の見慣れた筆跡に目を丸くしました。「まさか」と思いました。夫からは数ヶ月なんの便りもなかったのです。神さまでもこんなに早く働かれることはあり得ないと思いました。彼女は震える手でその封筒を開いて読みました。
「もしまだ君にその気があるなら、二人で問題を解決する道があるのではないかと思う」
神のタイミングは完璧だったのです。喜びに満ちて今やこの若いご婦人は、神が自分の人生に確かに益となるべく働いておられることを確信できたのです。体重もまるで熱いなべの上をすべるバターのようにどんどん減っていきました。友人たちも
「お元気そうね。どうなさったの、見間違えるわ」
と言うようになりました。
見間違える?確かに。しかし同一人物です。別人ではありません。しかし、今や信仰という新しい次元に生きる人でした。神が自分の人生のあらゆることにおいて益となるように働いてくださるということを知った人でした。夫も帰ってきて二人はまた一緒になりました。
手紙にはこう書かれていました。
「『ああ神さま。素晴らしい朝を感謝します。あなたを愛します』と言いながら朝、目を覚ますことがよくあるようになりました」
(「讃美の力」マーリン・キャロザースさん著、浜崎英一さん訳/生ける水の川出版より)
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