天使の図書館ブログ

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本の小部屋~名のない花~

2011-10-24 | 

 以前、別の記事でエリナー・ファージョンの詩を一篇ご紹介したことがあったのですが、実をいうとそれを思いだしたのって、点字図書館で「エリナー・ファージョン作品集」を見つけたからなんです♪(^^)

 子供の頃、もしわたしの目が見えても見えなかったとしても――まわりの大人がファージョンの童話を聞かせてくれたとしたら、どんなに胸をわくわくと躍らせたことでしょうか。

 といっても、日本で「エリナー・ファージョン」の名前を聞いても、結構「誰、それ?」っていう感じかもしれないので、点字図書館で彼女の作品集を見つけた時は、本当に嬉しかったです

 子供の心の養分として、ファージョンの童話って大人になってからも忘れられないものがある、というか(そして、大人になってから読むと、さらに別の味わい深さを感じることが出来るのです^^)

 ヘレン・ケラーは自伝の中で、自身の読書生活を振り返って、こんなことを書いています。


 >>初めてすじのあるお話を読んだのは、七歳の時でした。

 そのころ読んだ本は、子供のためのお話集という「初等読本」、それと「わたしたちの世界」という、地球について書いた本でした。

 この二つの本は、繰り返し繰り返し読みましたので、文字がすっかりすり減って、しまいにはもうほとんど読めなくなってしまいました。

 そのころ、サリバン先生が、いろんなお話や詩を、わたしの手に読みきかせてくださいましたが、読んでもらうよりも、やはり自分で読むほうが、何度も繰り返し読めるので、好きでした。

 本気になって読書をはじめたのは、最初にボストンへいった時からです。

 パーキンズ学院の図書館にいくと、わたしに読める点字本が、いっぱいあります。わたしは、ほとんど毎日図書館にいって、手あたりしだいに本をとりだし、読みはじめました。

 しかし、正しくは「読む」ということではなかったかもしれません。十の言葉の中には、必ずひとつやふたつのわからない言葉がありましたし、中には一ページの中にわかる言葉が二つ、三つというようなこともありました。

 そのころのわたしは、本の内容などどうでもよかったのです。言葉というものが面白く、珍しかったのです。ですから、一冊の本を、おしまいまで読みとおすということはなかったようです。たくさんの言葉や文章を、部分的にそのまま覚えこんでしまうのです。

 あとで、自分で話をしたり、書いたりするようになってから、このころに覚えた言葉や文章が、そのまま頭に浮かんできましたので、友達はわたしが大変な物知りなのだと、びっくりしたそうです。

 まとまった本を、ちゃんと理解して読んだのは、「小公子」が最初でした。

 ある日、わたしが図書館で、大人の小説を、例によって意味もよくわからないままに読んでいると、サリバン先生がこられて、

「面白いですか」

 とおたずねになりました。

 わたしは、わからないところのほうが多かったのですが、その小説の中に、ひとりの子供がでてくるところがあったので、そこを読んでいるのですと、先生に言いました。

 すると先生は、

「ひとりの少年のことを、ずうっと書いてある小説を読んであげましょうか。きっと、その本より面白いかもしれないわ」

 そう言って読んでくださったのが、「小公子」でした。「小公子」を読みはじめた時のことを、今もはっきり覚えています。八月の、夏もやがて終わりになるころでした。わたしは先生と、その夏ずっと海水浴にいっていたのです。

 ふたりは、家から少し離れた、松の木にかけたハンモックに、一緒にのっていました。バッタがときどきとんできて、わたしの読書の邪魔をしました。先生がそれをとってくださる間、お話が中断するのももどかしかったことを覚えています。

 お昼から夕方まで、先生はたっぷり読んでくださいました。

「ああ、もう指が疲れてしまったわ。今日はこれくらいにしておきましょう」

 先生がそうおっしゃって、読むのをやめられた時、自分で本が読めないのが、つくづく悔しくなりました。

 わたしは、先生が閉じられた本を手にして、なんとか自分で読めないだろうかと、ページを何度も指でさわってみました。しかし、点字ではありませんでしたから、ただ、すべすべしているだけでした。

 そののち、わたしがあまり「小公子」の話ばかりしていたものですから、アナグノス先生が、この長いお話を、点字にしてくださいました。わたしはそれを、そらで覚えてしまうほど、繰り返し繰り返し読みました。

(「ヘレン=ケラー自伝」、今西祐行さん訳/講談社刊より)


 ところで、ファージョンが生きた時代って1881~1965年、ヘレン・ケラーが生きた時代って1880~1968年とほとんど一緒なんですよね(^^;)

 といっても、ファージョンは作家としては遅咲きの花といった感があるので、ヘレンが若い頃に彼女の作品に触れるのは難しかったとしても……ヘレンが「小公子」に夢中になったように、もし彼女がファージョンの作品を知っていたら、どれほど夢中になって貪り読んだことだろう思います。

 エリナー・ファージョンについては、書きたいことたくさんあるのですが、とりあえず今回は「ムギと王さま」より、「名のない花」というお話をご紹介して、この記事の終わりにしますねm(_ _)m

 それではまた~!!



       名のない花

 ある日、とのさまの土地をたがやしている農夫のむすめクリスティが、かあちゃんのつくっている花畑の先の牧場にいって、花をひとつ、つみました。

 これは、ずっとまえのことではありますが、といって、それほど大昔のことでもありません。

 というのは、きょう、おこったことでもなく、この世のはじまりにおこったことでもなく、そのあいだのいつかということなのです。

 クリスティは、その花をつんで、大喜びしました。とても美しい花だったからです。クリスティは、かあちゃんを見つけにとんできました。すると、かあちゃんは、まるく植えこんだナデシコに水をやっているところでした。

「かあちゃん、あたしが見つけた、きれいな花見て!」と、クリスティはいいました。

 クリスティのかあちゃんというひとは、むすめが何かしてくれというと、いそがしくてできないなどと、一度もいったことのないひとでした。そこで、このときも、水いれを下におくと、その花をとって見ました。

「おや、ま、これはきれいな花だ」と、かあちゃんはいいました。

「ね、きれいだろ?その花、なんて名まえ?」と、クリスティはききました。

「そうさね、これは、」と、かあちゃんはいいました。「これはと――あれ、ま、わたしとしたことが、この花の名まえ知らないなんて。とうちゃんにきいてみな」

 クリスティは、とうちゃんのところへとんでいきました。とうちゃんは、かきねをなおしているところでした。

 クリスティは、じぶんがつんできた花をさしだして、ききました。

「この花、なんて名まえ?」

「まてよ、」と、とうちゃんは、手にした金づちをおいていいました。そして、一、二分、その花をながめてから、頭をかきました。「やれやれ、とうちゃんは、この花の名まえ、忘れたらしいぞ。もっとも、まえに知ってたとすればの話だが。まあ、とうちゃんに、この花、あずけといてくれ。モグラとりのことで、とのさまのご猟場管理人に会いにいく用があるからな。あのひとは、草木のことはくわしいから、知ってるべえ」

 とうちゃんは、管理人のところへ話にいったとき、その花を見せて、

「この花の名は、何でがしょう」とききました。

 管理人は、花をじっと見て、においをかいで、それから、ちょっと考えました。けれども、考えおえると、いいました。

「おれは、森でも、野原でも、沼地でも、かきねのふちでも、こういう花は見たことがない。名まえは知らん。だが、これからちょうどお屋敷へ出かけるところだ。もっていって、とのさまのご記帳係にきいてみよう。あのひとは若いが、学があって、あまりたくさんの本を読んだがために、めがねをかけておられるくらいだからな」

 さて、そのご記帳係は、たいていのことは勉強し、花のこともなかなかくわしい人でした。そして、じっさい、とのさまの図書室には、いままで花について書かれた本なら、どんなのでもあるのでした。そこで、管理人は、その人に会って、いいました。

「ここに花をもってめえりましたが、この花の名を教えていただきとうごぜえます」

 すると、ご記帳係は、

「わたしに見せなさい。教えてあげるから」といいました。

 けれども、その花を見たとき、ご記帳係は、そんなことをいってしまって、早まったな、と思いました。

「これはおかしい!」と、その人はいいました。「わたしは、世界中の花の名を、学名、俗名ともに知っておるのだが、しかるに、この花の名まえは知らない。ここへおいていくがいい、さがせるかどうかやってみるから」

 そこで、管理人は、花をご記帳係のところにおいてきました。ご記帳係は、それを押し花にしてかわかし、一年かかって、何かその花についての手がかりはないかとさがしました。ご記帳係は、その王国のいちばんえらい学者たちにもたずねましたので、このことは、海外にまでひろがって、外国のえらい人たちまで、その花の名まえのことで頭をしぼるということになりました。でも、その人たちにさえ、とうとう、その花の名を見つけることはできませんでした。

 そこで、十二か月がたって、管理人がやってくると、ご記帳係はいいました。

「いつかおまえのもってきた花は、名まえがないのだ」

「なんの花でがしたか?」

 管理人は、花のことなどすっかり忘れていたので、こうききました。

 ご記帳係は、去年のあの花のことを話してやって、いいました。

「世界のえらい学者たちの意見は、ただひとつ。つまり、こういうことだ。アダムは、神さまの創りたもうた花には、みな名まえをつけた。そして、あの花は、エデンの昔から名まえなしできたにちがいないから、おそらく、神は天地を創造なされたとき、この花をつくることをお忘れになったにちがいない。そして、イエス・キリストが、この花のことを思いだされて、お創りになったものであろう。しかし、アダムが、それに名まえをつけなかったがため、この花には、いまも名まえがない。そこで、えらい方がたは、あの花をこの世からなくしてしまわれた。名のない花を、おいておかれるかね?」

「それは、わたしにはわからねえことでして」と、管理人はいいました。「おまえさまのおっしゃることが、もっともなんでござんしょう」

 そして、管理人は、つぎの日、農夫に会うと、いいました。

「あのおまえの花な、名まえがなかったと」

「なんの花でがしたね?」と、すぐ、もの忘れする農夫はいいました。

 管理人は、去年の花のことを思いださせてやって、えらい方がたが、あれをこの世からなくしてしまわれたと話しました。

「いや、べつにそんをしたわけじゃなし」と、農夫はいって、夕食のときむすめにいいました。

「どうも、おめえのあの花はな、名まえはなかったようだ」

「でも、あたしの花は、どこにいったの?」と、クリスティはききました。

「えらい先生がたが、この世からなくしてしまわれたと」

 ふたりの話は、これで終わって、その日から、クリスティのほかに、そんな花があったということをおぼえているものは、ひとりもいなくなりました。

 けれども、クリスティは、一生、そして、ずっと年とってからも、ときどき、じぶんひとりでそのことを考えましたし、人にもいいました。

「わたしは、ちいちゃいとき、それはそれはきれいな花を見つけたんですよ」

 そして、それは、なんの花だったかときかれると、

「神さまだけが、あなたに教えてくだされるんです。名まえがなかったんですよ」とほほえんで、言いました。

 
(「本の小べや1~ムギと王さま~」石井桃子さん訳/岩波書店より)





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