【墜天使を駆逐する聖ミカエル】ラファエロ・サンティ
今回はちょっと真面目な記事というか、堅い系のお話かな~と思います(^^;)
いえ、今現在わたしと同じくらい「BASTARD!!」っていう漫画に萌えていて、なおかつしょっちゅうブログやサイトを更新されてる方って、どのくらいいらっしゃるのか全然わかりません
でもとりあえず、バスタの跡地っぽいサイトさんをいくつかお見受けしたところ、こういうことに興味のある方もいらっしゃるんだな~と思ったので、今回の萌え(?)お題はカルって預言者エリヤらしいけど、そのエリヤってなんやねん!的なことに軽く触れてみたいと思います。
記事タイトル、「クラス/エリヤ。」っていうことにしたんですけど、これはウィキのカルのところに>>「エリヤと呼ばれるクラス」って書いてあったので、いや、エリヤって職業とちゃうで!って思うんですけど、あえてそういうことにしようかなと思いました(そして、バスタの世界観に合わせるとしたら、それは別に間違いではないんだと思う・笑)
ちなみに、こみくす22巻において、べーやん☆がこんなこと言ってます。
>>「<アダム>とその助け手である<エリア>、そして<預言者>達は<神の力>で我々の活動を挫く……!!
恐るべき悪魔の敵なんだよ!!」
そしてその前の記述に、神は二千年に一度メシアを遣わすとあるんですけど、聖書ではそんなこと言ってないと思うので、これは「BASTARD!!」っていう漫画の世界観に合わせた、原作者様の創作だろうと思われます。
では、とりあえず「預言者エリヤ」ということに焦点を合わせると、エリヤという人は旧約聖書を代表する預言者のひとりであり、旧約聖書の列王記第Ⅰ、第17章に彼の登場シーンがあったり。
>>ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。
「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう」
(旧約聖書、列王記第Ⅰ、第17章1節)
このアハブという人は、イスラエルの王様なのですが、エリヤの仕える真の神ではなく、別の偶像を礼拝するという罪を犯していて、この言葉はその罪に対する神からの罰の宣告でした。
予言者というのはおそらく、未来を予言するいった意味でそう呼ばれると思うのですが、聖書でいう預言者というのは、「神からの言葉を預かる者」ということだと思うんですよね(もちろん、その中には将来的にこんなことが起こるといった、未来に対する預言も含まれます)。
んで、イスラエルの歴史というのは、このアハブ王だけではなくて――「預言者」と呼ばれる神からの言葉の預かり人が何度となく現れ、「神はこう言っておられる、だからこーしたほうがいい☆」的なことをその時の王様に進言するんですけど、その神の声に聞き従った王様は祝福され、頑迷に聞き従わなかった王の治世は乱れに乱れる……といったことの繰り返しといっていいと思います。
まあ、「どんだけ学習能力ないんだ、イスラエル民族ww」と言うのは簡単なんですけど、神がいくら奇跡というものを見せて救いに導こうとしても、その度に何度も人間は自らの罪ゆえに躓き倒れる……というのは、旧約聖書全体を読んでいても、同じ罪人として、物凄く理解できる気がします(^^;)
そしてこのエリヤという人が預言したとおり、この時イスラエルでは三年半の間、雨が降らなかったそうです。
何分、中東のああした砂漠の多い国で雨が降らないというのは、当然死活問題でした。
そこで、アハブは血眼になってエリヤを探すのですが、エリヤは神が「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう」と言った言葉を受けてから、自らアハブに会いにいくんですよね。
そしてアハブの仕える偶像の神と、自分の仕えるイスラエルの神のどちらが真の神かということで、エリヤは偶像神バアルに仕える預言者達と対決することになります。
>>エリヤはみなの前に進み出て言った。
「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え」
しかし、民は一言も彼に答えなかった。
そこで、エリヤは民に向かって言った。
「私ひとりが主の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である」
民はみな答えて、「それがよい」と言った。
エリヤはバアルの預言者たちに言った。
「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない」
そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。
「バアルよ。私たちに答えてください」
しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。
真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。
「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう」
彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
(※身を傷つけた=血を流すほどの熱心な献身を示し、神々のあわれみを請うた、ということ。)
このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
(列王記第Ⅰ、第18章21~29節)
偶像神バアルに仕える預言者たちは、この時、結局火を呼び起こすということが出来ませんでした。
ところがエリヤは、イスラエルの真の神、主の名において祈り、見事天から火を降らせることに成功します。
>>「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらすべての事を行なったということが、今日、明らかになりますように。
私に答えてください。主よ。私に答えてください。
この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください」
すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめつくしてしまった。
民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。
(列王記第Ⅰ、第18章36~39節)
そして、このことがあってのち、イスラエルにはずっと待ち望んでいた雨が降ってきたのでした。
ところが、偶像神バアルを拝むことに関して、アハブ王以上に熱心であったと思われる妻のイゼベルは、そのことを王から聞いて激怒します。
>>イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。
「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちの一人の命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように」
彼は恐れて立ち、自分の命を救うために立ち去った。
(列王記第Ⅰ、第19章2~3節)
この時、イゼベルの怒りを恐れたエリヤは逃亡し、主に願ってこう祈ります。
>>「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残されましたが、彼らは私の命を取ろうと狙っています」
主はおおせられた。
「外に出て、山の上で主の前に立て」
すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。
「エリヤよ。ここで何をしているのか」
エリヤは答えた。
「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私の命を取ろうと狙っています」
主は私におおせられた。
「さあ、ダマスコの荒野へ帰ってゆけ。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。
また、二ムシの子、エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。
ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの手をのがれる者をエリシャが殺す。
しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である」
(列王記第Ⅰ、第19章10~18節)
ここは、列王記の中で、わたしが特に好きな箇所なんですけど、まあそのことはとりあえずいいとして……大まかなことを言えば、こののち、エリヤは主の御言葉どおり、シャファテの子エリシャに油を注いで、預言者としての自分の後継者にします。
そして、このエリシャはエリヤが生きたまま竜巻に乗って天に上げられる(死を味わわずに天国へ行く)のを目撃することになるのでした(列王記第Ⅱ、第2章)
それからのちは、このエリシャがエリヤにかわる預言者として活躍するんですけど、この記事はとりあえず、カル=エリヤについてのお話なので、一旦ここでお話を切っておくことにしますね(^^;)
なんにしても、これが旧約聖書に描かれている預言者エリヤで、もっと細かいところまで知りたいと思った方がいらっしゃいましたら、旧約聖書の列王記第Ⅰ、第17章から、列王記第Ⅱ、第2章くらいまでを読まれることをおすすめしますm(_ _)m
そんでもって、ここまで書いておいてなんなんですけど(汗)、バスタの世界観でいうカル=エリヤっていうのはたぶん、預言者エリヤ=洗礼者ヨハネっていうことなんだと思うんですよね
そんなわけで、次回はこの洗礼者ヨハネについて言及してみようかなって思います。
それではまた~!!
今回はちょっと真面目な記事というか、堅い系のお話かな~と思います(^^;)
いえ、今現在わたしと同じくらい「BASTARD!!」っていう漫画に萌えていて、なおかつしょっちゅうブログやサイトを更新されてる方って、どのくらいいらっしゃるのか全然わかりません
でもとりあえず、バスタの跡地っぽいサイトさんをいくつかお見受けしたところ、こういうことに興味のある方もいらっしゃるんだな~と思ったので、今回の萌え(?)お題はカルって預言者エリヤらしいけど、そのエリヤってなんやねん!的なことに軽く触れてみたいと思います。
記事タイトル、「クラス/エリヤ。」っていうことにしたんですけど、これはウィキのカルのところに>>「エリヤと呼ばれるクラス」って書いてあったので、いや、エリヤって職業とちゃうで!って思うんですけど、あえてそういうことにしようかなと思いました(そして、バスタの世界観に合わせるとしたら、それは別に間違いではないんだと思う・笑)
ちなみに、こみくす22巻において、べーやん☆がこんなこと言ってます。
>>「<アダム>とその助け手である<エリア>、そして<預言者>達は<神の力>で我々の活動を挫く……!!
恐るべき悪魔の敵なんだよ!!」
そしてその前の記述に、神は二千年に一度メシアを遣わすとあるんですけど、聖書ではそんなこと言ってないと思うので、これは「BASTARD!!」っていう漫画の世界観に合わせた、原作者様の創作だろうと思われます。
では、とりあえず「預言者エリヤ」ということに焦点を合わせると、エリヤという人は旧約聖書を代表する預言者のひとりであり、旧約聖書の列王記第Ⅰ、第17章に彼の登場シーンがあったり。
>>ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。
「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう」
(旧約聖書、列王記第Ⅰ、第17章1節)
このアハブという人は、イスラエルの王様なのですが、エリヤの仕える真の神ではなく、別の偶像を礼拝するという罪を犯していて、この言葉はその罪に対する神からの罰の宣告でした。
予言者というのはおそらく、未来を予言するいった意味でそう呼ばれると思うのですが、聖書でいう預言者というのは、「神からの言葉を預かる者」ということだと思うんですよね(もちろん、その中には将来的にこんなことが起こるといった、未来に対する預言も含まれます)。
んで、イスラエルの歴史というのは、このアハブ王だけではなくて――「預言者」と呼ばれる神からの言葉の預かり人が何度となく現れ、「神はこう言っておられる、だからこーしたほうがいい☆」的なことをその時の王様に進言するんですけど、その神の声に聞き従った王様は祝福され、頑迷に聞き従わなかった王の治世は乱れに乱れる……といったことの繰り返しといっていいと思います。
まあ、「どんだけ学習能力ないんだ、イスラエル民族ww」と言うのは簡単なんですけど、神がいくら奇跡というものを見せて救いに導こうとしても、その度に何度も人間は自らの罪ゆえに躓き倒れる……というのは、旧約聖書全体を読んでいても、同じ罪人として、物凄く理解できる気がします(^^;)
そしてこのエリヤという人が預言したとおり、この時イスラエルでは三年半の間、雨が降らなかったそうです。
何分、中東のああした砂漠の多い国で雨が降らないというのは、当然死活問題でした。
そこで、アハブは血眼になってエリヤを探すのですが、エリヤは神が「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう」と言った言葉を受けてから、自らアハブに会いにいくんですよね。
そしてアハブの仕える偶像の神と、自分の仕えるイスラエルの神のどちらが真の神かということで、エリヤは偶像神バアルに仕える預言者達と対決することになります。
>>エリヤはみなの前に進み出て言った。
「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え」
しかし、民は一言も彼に答えなかった。
そこで、エリヤは民に向かって言った。
「私ひとりが主の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。
彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。
あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である」
民はみな答えて、「それがよい」と言った。
エリヤはバアルの預言者たちに言った。
「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない」
そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。
「バアルよ。私たちに答えてください」
しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。
真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。
「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう」
彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
(※身を傷つけた=血を流すほどの熱心な献身を示し、神々のあわれみを請うた、ということ。)
このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。
(列王記第Ⅰ、第18章21~29節)
偶像神バアルに仕える預言者たちは、この時、結局火を呼び起こすということが出来ませんでした。
ところがエリヤは、イスラエルの真の神、主の名において祈り、見事天から火を降らせることに成功します。
>>「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらすべての事を行なったということが、今日、明らかになりますように。
私に答えてください。主よ。私に答えてください。
この民が、あなたこそ、主よ、神であり、あなたが彼らの心を翻してくださることを知るようにしてください」
すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめつくしてしまった。
民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。
(列王記第Ⅰ、第18章36~39節)
そして、このことがあってのち、イスラエルにはずっと待ち望んでいた雨が降ってきたのでした。
ところが、偶像神バアルを拝むことに関して、アハブ王以上に熱心であったと思われる妻のイゼベルは、そのことを王から聞いて激怒します。
>>イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。
「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたの命をあの人たちの一人の命のようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように」
彼は恐れて立ち、自分の命を救うために立ち去った。
(列王記第Ⅰ、第19章2~3節)
この時、イゼベルの怒りを恐れたエリヤは逃亡し、主に願ってこう祈ります。
>>「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残されましたが、彼らは私の命を取ろうと狙っています」
主はおおせられた。
「外に出て、山の上で主の前に立て」
すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。
地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。
「エリヤよ。ここで何をしているのか」
エリヤは答えた。
「私は万軍の神、主に熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私の命を取ろうと狙っています」
主は私におおせられた。
「さあ、ダマスコの荒野へ帰ってゆけ。そこに行き、ハザエルに油をそそいで、アラムの王とせよ。
また、二ムシの子、エフーに油をそそいで、イスラエルの王とせよ。また、アベル・メホラの出のシャファテの子エリシャに油をそそいで、あなたに代わる預言者とせよ。
ハザエルの剣をのがれる者をエフーが殺し、エフーの手をのがれる者をエリシャが殺す。
しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である」
(列王記第Ⅰ、第19章10~18節)
ここは、列王記の中で、わたしが特に好きな箇所なんですけど、まあそのことはとりあえずいいとして……大まかなことを言えば、こののち、エリヤは主の御言葉どおり、シャファテの子エリシャに油を注いで、預言者としての自分の後継者にします。
そして、このエリシャはエリヤが生きたまま竜巻に乗って天に上げられる(死を味わわずに天国へ行く)のを目撃することになるのでした(列王記第Ⅱ、第2章)
それからのちは、このエリシャがエリヤにかわる預言者として活躍するんですけど、この記事はとりあえず、カル=エリヤについてのお話なので、一旦ここでお話を切っておくことにしますね(^^;)
なんにしても、これが旧約聖書に描かれている預言者エリヤで、もっと細かいところまで知りたいと思った方がいらっしゃいましたら、旧約聖書の列王記第Ⅰ、第17章から、列王記第Ⅱ、第2章くらいまでを読まれることをおすすめしますm(_ _)m
そんでもって、ここまで書いておいてなんなんですけど(汗)、バスタの世界観でいうカル=エリヤっていうのはたぶん、預言者エリヤ=洗礼者ヨハネっていうことなんだと思うんですよね
そんなわけで、次回はこの洗礼者ヨハネについて言及してみようかなって思います。
それではまた~!!
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