天使の図書館ブログ

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世に与えた彼女の手紙。

2014-07-17 | 


 村岡花子先生のことは当然、ずっと昔の少女時代から好きだったのですが……今回、朝ドラで「花子とアン」が放映されると知った時、あらためて村岡先生の訳された本を読みたくなり……ウィキで訳書のところを見てみることにしたんですよね。

 そ、そしたら。。。


「世に与えた彼女の手紙」エミリー・ディッキンソン


 とあり、胸に超のつくパルピテーションを感じてしまいました

 そんな訳で、早速密林さんを検索して入手した次第です(3,150円+送料で♪^^)

 モンゴメリはきっと、村岡先生にとって実際にお会いしたことはなくても著作を通しての心の友、腹心の友に等しい方だったと思うのですが、わたしにとってはエミリー・ディッキンソンがそうでした(^^;)

 最初、「世に与えた彼女の手紙」というタイトルを見た時、エミリーの書簡集の抜粋したものを村岡先生が訳されたのかなと思ったのですが、ポリー・ロングワースさんによる伝記でした。

 自分的に一読した印象としては、以前読んだ





 こちらの本のほうが、伝記としてかなり優れているといった印象だったと思います(村岡先生のお訳がどうこういう以前に、原著者様の書き方の点において^^;)

 とはいえ、アメリカやイギリスといった海外ではエミリー関連の本は星の数ほども出てると思うんですけど、日本では絶版になっているものが多く、ゆえにこれからもエミリー関連の本は「日本では売れない☆」として、復刊する可能性は極めて低いものと思われます

 でも、↑の本の他に、ディキンスンの評伝としてトーマス・H・ジョンスンさんの書かれた「ディキンスン評伝」もわたし持ってるのですが、「エミリー・ディッキンソンの生涯」にも「ディキンスン評伝」にも出てこないエピソードかあったりして、ポリー・ロングワースさんの本は読んで本当に良かったです

 いえ、わたしにとって何より一番嬉しかったのは、「村岡先生がエミリーをご存知だった」という一語に尽きると思います。

 彼女は詩人として、死後に極めて高い名声を得たものの、生存中にはそのような世俗的栄光に浴しなかったという女性で、詩人として目覚めようかという頃に、ベンジャミン・ニュートンさんという方から文学的な手ほどきを受けたといいます。

 まあ普通は「詩人になりたい」なんて誰かに言おうものなら、基本的には笑われて終わり☆といったところがあると思うのですが、このエミリーより九つ年上の青年はエミリーの詩を誉めて励ましてくれたのでした。

 けれども、彼が若くして亡くなったことにより、詩人として蕾がふくらみつつあったエミリーは、ニュートンの死のショックののちに他に自分の師となってくれそうな人を求めることになりました。友人として親しかったサミュエル・ボウルズや自分の詩が「息をしている」かどうかと、手紙を送ったヒギンスン大佐がそれに当たると思うのですが、彼に宛てた手紙の中でエミリーはこんなふうに書いています。


 >>子供の頃、一人の友達がわたしに不滅を教えてくれました――でも、彼自身、あまりにも不滅に近づきすぎて――戻って来ませんでした。その先生が亡くなったあと――数年のあいだは、辞書が――わたしの唯一の友達でした。

(「ディキンスン評伝」トーマス・H・ジョンスン、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社刊)


 ここの「辞書が友達」というところ……なんとなく村岡先生にも通じるところがあるような気がして、嬉しくなってしまいます

 もちろん、ドラマの花子がそうであるように、エミリーにも辞書以外友達がいなかったというわけではなく、彼女が言ってるのは「詩に関して文学的な指導を求めたりできるお友達がいなかった」ということなんですよね(^^;)

 花子はわからない英語の言葉がわかった瞬間というか、ぴったりな英訳が見つかった時に「パルピテーション」を感じるということでしたが、そういう意味では自分的にエミリーの詩こそ、わたしにとってはパルピテーションの嵐を呼び起こすものでした。

 ではでは、最後にエミリーの詩をいくつかご紹介して、この記事の終わりにしたいと思いますm(_ _)m

 それではまた~!!





       1

 もしわたしが一人の心の傷を癒すことが出来るなら
 わたしの生きるのは無駄でない
 もしわたしが一人の生命の苦しみをやわらげ
 一人の苦痛をさますことが出来るなら
 気を失った駒鳥を
 巣に戻すことが出来るなら
 わたしの生きるのは無駄ではない


       2

 幾度か思ったのだ ついに心の安らぎを得たと
 だが それはまだまだ遠かった
 ちょうど海のただ中で難破した人たちがおぼろに陸地を認め

 もがく手を休めても
 絶望とわかるだけのこと――
 わたしとて同じだ 何度の幻の島影か
 港のひとつさえなくて――


       3

 苦痛には空白という要素があって
 苦痛がいつ始まったとも
 苦痛のない日が一日でもあったかとも
 思いだせないもの

 苦痛に未来はない ただ「いまある」だけ
 だがその無限のひろがりは過去を含み
 新しい苦痛の時代を見つけようと
 あかあかと輝いている


       4

 一度だけ! ああ とても小さなお願いです!
 金剛石の心だって拒めないはず
 めったに口にすることもない
 小さな小さな恩寵への求めを
 こんな苦しみの言葉を――
 火打石のような神様だって
 歎きの声がひとつ 天国の遥か遠くを
 落ちていったのにお気づきにならないなんてことがあるでしょうか
「やさしい神さま ただ一度だけ」と――


       7

「可能性」の中にわたしは住んでいる
 それは「散文」よりも美しい家
 窓はたくさんあり
 扉も並より優れたもの――

 部屋はみんなヒマラヤ杉の森と同じこと
 眼ではとうてい見通せない
 果てしなく続く屋根は
 空のつくる切妻屋根――

 訪問者は美しい人たち
 おまけにわたしの仕事といえば
 この狭い腕をいっぱいに広げて
 天国を集めること―― 


(「エミリ・ディキンスン詩集1~4集」(中島完さん訳/国文社刊)より)






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