天使の図書館ブログ

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動物たちの王国【第一部】-6-

2014-01-21 | 創作ノート
【ラザロの復活】15世紀ロシアのイコン


 さて、今回はまた<脳死>のお話の続きとなります(^^;)

 突然ですけど、平成23年に使われた医療費は38兆5850億円にものぼるのだとか

 何しろ超高齢社会なわけですし、この数字がこの先減る見込みっていうのはほとんどない気がするのはわたしだけではありますまい……みたいな話ですよね

 あの、ぶっちゃけた話、<脳死>状態に至った患者さんをそのまま生かし続けても、この医療費が膨らむばかりであって、国の医療費を減らしたいと思うならこうした<脳死>のような患者さんをまずは切り捨てよう……といった国の思惑っていうのは、どこかにあるような気がしています。

 第1話のところに、娘さんが首を吊ってしまって哀しむお母さんが出てくるんですけど、彼女がそこで<脳死>を受け容れざるをえなかったのは何故かというと、ただ単純にお金がなかったというそれだけでした。

 その、救命センターみたいなところに運ばれると、一桁金額違うんじゃないのっていうくらい、お金をぼったくられるらしいんですよね。ぼったくられるなんていう言い方はひどいですけど、仮にお医者さんや看護師さんがどんなに素晴らしい医療を提供してくれても、請求書みた瞬間に目玉が飛びでることとそれは別の話ですから

 つまり、わたしたちの社会っていうのはそうした<脳死>の方、あるいは脳死患者さんじゃなくて植物患者さんにとっても、優しくない社会なんだろうなという気がします。「脳死の患者さんを長期療養型の病院で診てもらうにしても、月々これだけかかるんですよ?それだったら今ここで……」といったように話を持っていかれたりすることもあるんじゃないかなあ、なんて。

 そこで、もし仮に――あくまでも仮にですけど、「脳死は人の死ではありません。ですから植物状態の方と同じく、脳死の方も出来る限り生かし続けていきましょう」っていうことになると、これもまた実はとても大変だと思うんですよね

 脳死状態の方は、一般に遠からずお亡くなりになるってよく聞きますけど、その「遠からず」って、正直いつなのかわからなかったりもしますよね。お医者さんが最初は長くて二週間くらいって言ってたのに、その後何年も生き続けておられたといったことが、実際にあるわけですから。

 でもその数年の間、国がどんだけ医療費負担してるかわかりますか?どこかの長期療養型病院のベッドが空くのを、何十人という他の患者さんが待ってもいるんですよ……いいですか、脳死の方というのは植物状態の方と違って、万にひとつも望みはないのです。悪いことは言わない、今のうちにお諦めなさい。それよりもこうなった以上は何より人助けです。移植医療については当然よくご存知ですよね……お国側の事情っていうのは、ようするにそういうことだったりもするのかなと思ったり(^^;)

 まあ、でもこれはあくまで「医療費38兆5850億円」という、数字上の計算的なことをいえばそうなのかもしれないというお話であって――もしその人に無尽蔵に医療費を費やせるなら、あなたは相手にどんな医療を施したいと考えますか?という問題がまだ残っているような気がします。

 では、次回はそこのことについて少し。。。

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第一部】-6-

 唯がこれまでとは百八十度違って、結城医師のことを尊敬の眼差しで見上げるようになった時――翼の周囲でもある若干の変化が生じようとしていた。

「結城先輩。先輩はなんであんなに羽生さんのことを目の仇にするんですか?彼女、手技のほうはちょっとノロいところがあるけど、熱心で一生懸命じゃないですか」

「あいつの鈍くささを「ちょっとノロい」とだけ形容するあたり、おまえも相当あの女にイカれてんな」

 翼が後輩の堺悟にそう突っ込みを入れると、彼は少しだけ顔を赤らめていた。実をいうと以前より、似たような訴えは後輩の医師・研修医などから上がっていたことではある。

「そうだな。これまであのお嬢ちゃんのことで俺に抗議してきたのは、おまえで七人……いや八人目か?意外に競争率高いみたいだから、本気でモノにしたいんなら堺も少し考えたほうがいいぞ」

「ぼ、僕のはそんなんじゃありませんよ。ただ単に同僚としてですね、結城先輩の羽生さんに対する横暴ぶりは目に余るものがあると、そう思っただけのことです。第一、彼女はきちんとおつきあいしてる人がいるそうじゃないですか」

 翼が<兵士宿舎>と呼んでいる救急部医師の仮眠室には、二段ベッドが左右にそれぞれふたつずつある。そのひとつに松本浩一という研修医が眠っているが、彼は三十六時間ぶっ続けで働いたのちにここで眠り、再び数時間後には起きて勤務に就かねばならないという、なんとも哀れな境遇だった。

「ま、そういうことはあんま関係ねえんじゃねーの?女ってのは現金なもんだからな。今つきあってる男より堺のほうが年収が高くて安定した職に就いてるなんぞと思ったら、意外とおまえに靡くかもしれんし」

「けしかけないでくださいよ、先輩。でも告白なんてした日には、僕はいい笑いものになるかもしれませんよ。特に『今つきあってる人がいるんです。ごめんなさい』で終わった日には……」

「まあなあ。あのお嬢ちゃんは周囲にそういうことをベラベラしゃべるタイプじゃないだろうが、リンリンさんや峰岸さん、それと藤森あたりは、そのへんの匂いを猟犬みたいに嗅ぎつけて事の真相を探りだそうとするかもな。院内で職場恋愛なんて、俺だったら死んでも御免こうむりたいところだな」

 冷め切ったコーヒーをすすり、翼は誰かが持ってきたと思しき漫画雑誌に目を通していた。カーテンを閉め切った日当たりの悪い部屋には、二段ベッドの他に書き物机とテーブル、それにパイプ椅子が何脚か置かれている。

「ですよね。僕だって羽生さんのことは可愛いなと思うけど、そのために他の看護師連から笑いものにされる危険だけは犯せないです。ましてや、彼氏がいるとなったらなおさら……」

(へえ。ただの軽い冗談として振っただけなのに、意外にこいつ、あのお嬢ちゃんに本気なのか)

 もちろん翼は「ではここで我こそが一肌脱ごうぞ!!」などという天然のバカでもなければお節介野郎でもない。ただ、これまで翼に羽生唯に関することで苦言を呈してきた医師が揃いも揃って似た反応を示していたことから――これから救急部でちょっとしたいざこざでも起きれば面白いなと、人事のように思っていたというだけである。

(まあ、日本人の中で源義経を嫌いな奴はいないっていう、そういう心理もあるんだろうがな)

 某青年誌に連載中の日本の歴史絵巻を読みつつ、翼は大学病院内にあるスターバックスで買ったミックスサンドイッチを頬張った。つい先ほど後輩のひとりに命じ、昼飯として購入させたものである。

 つまり、翼が何を言いたいかというと、源義経は兄・頼朝に疎まれたことにより、最期には自害し果てねばならなかったわけだが――このような「理不尽な扱い」を受けた人間に対しては普通以上に過剰に応援したくなる心理が働くものである。言うなれば羽生唯は結城医師より不当な迫害を受けており、その姿が一種「可憐な一輪の花」といったように医師たちには見えているのだろう。

(やれやれ。なんだってこの俺があのお嬢ちゃんのモテ度に貢献しなきゃならねえんだ)

 そのことに軽く苛立ちを覚えた翼は、椅子の後ろにかけた白衣に腕を通すと、「いつもの場所にいるから何かあったら呼んでくれ」と堺に言い置き、救急部の裏口から大学病院の中庭へ出た。

 中庭、などといっても、大学病院の敷地はおそろしく広いものなので、翼はその広い中庭の目立たぬ片隅に立っていたというそれだけではある。煙草を吸いたい時には一応医師専用、あるいは患者専用の喫煙所があるとはいえ、そこへ行くのが面倒くさいがために、救急部の裏口そばで煙草を吸う医師は多かった。

 翼が救急部の建物の壁に寄りかかり、気分転換に煙草を吸っていると、そこからはすぐ真横に十五階建てのビルにも似た褐色の病院が曇天を背景に聳えている。そして少し間を置いて並ぶのが薄いグリーンの壁の医科大学であり、このふたつの建物は旧大学校舎を通して繋がっていた。

(まったく、なんだってこんな変てこな造りにしたんだろうな)

 翼がまだ医学生だった頃、大学の校舎から大学病院へ行く際には、常に旧校舎の古びた廊下を歩いていったものだった。まったくもってよくある話ではあるが、夜に旧校舎を歩いていると幽霊が出るという噂が伝統的に語り継がれていたが、そのような存在に遭遇したことは翼は一度としてない。

(まあべつに、好きだからいいんだけどな)

 翼が言っているのは幽霊が好きということではなく、救急部の裏口から見える旧校舎のうらぶれた雰囲気が好きだという意味だった。色落ちがした壁には蔦が我が物顔で一面に伝い生えており、今の季節はそれが色鮮やかに紅葉、あるいは黄葉していて、とても綺麗だった。

 救急部の裏口のそばには大きな栗の樹が植わっているのだが、そこから今年も栗がいくつも地面に落ちている。角を曲がっていくとイチョウやカエデの並木道が近くにあり、翼は時々気分転換として煙草を吸いがてらそこを散歩するということがあった。

(もしかしたら今は、一年のうちで一番空気のうまい季節かもしれねえなあ)

 地面にしきつめられた枯葉から漂う香気を吸いながら翼がそんなことを思っていると、視界の隅に病院の清掃員とボランティアの姿が見えてきた。彼女たちは熊手でかき集めた枯葉をゴミ袋の中に次から次へと放り込んでいる。

 そして翼が(さて、そろそろ俺っちも仕事しますかね)と、煙草を吸うのをやめようとした時のことだった。すぐ近くで金属製の扉がガチャンと開き、そこからひょっこり一人の看護師が顔を出したのである。

「先生、やっぱりこちらだったんですね。わたし、結城先生とふたりきりでお話したいことがあって……」

 緊張のためか、頬を赤く染めて羽生唯はそんなことを言った。

(ふたりきりでだって?)と、翼は思わずおかしくてたまらなくなる。何故といって、堺あたりに同じことを言ったとすれば、おそらく奴は意味を勘違いするだろうと、そう思ったせいだった。

「お嬢ちゃん、仕事のほうは一体どうした?」

 今は昼の二時半だった。医師とは違い、看護師のほうはある程度昼前後に交代で昼休みを取れるものだが、この時間に羽生唯がここにいるというのはサボリとみなされても仕方ない行為である。

「あの、わたし今日ICU担当で……ちょうどお昼時間に色々あって、休憩がすっかり遅くなったんです」

「ああ、そういやそうだったな」

 色々、というのは、急患が飛び込んできて、満床のICUから急遽患者を出し、場所を空けなくてはいけなかったことをさしている。翼自身もそのせいで今日は昼食を取るのが遅れていた。

「それで、俺に話ってのは?」

 時間があまりないので、翼は茶化さずそう聞いた。

「蜷川さんのことなんですけど……なんていうかわたし、結城先生のことを誤解してました。本当に、ごめんなさいっ!!」

 唯はここで一度、翼に対し腰を曲げて一礼する。

「結城先生は結城先生で、深いお考えがあってしたことなのに、それをわたしは誤解してました。結城先生はわたしのことが嫌いで憎たらしいから、それで蜷川さんを贔屓にするんだとか、そんなふうに思ってたんです。あとから徳川師長に話を聞いて、わたし、自分が恥かしくてたまらなくなって……それでどうしても一言、結城先生にあやまっておきたかったんです」

「べつに、おまえの言ってることは正しいと思うがな」

 翼は二本目の煙草に火を点けながら言った。

「俺はおまえのことが嫌いで気に食わねえ。だから不当なくらい意地悪をしてしごいた。その一方、看護師として仕事の出来る蜷川のことはお嬢ちゃんの比較対象とするかの如く手取り足取り色々教えて可愛がった……おまえは俺を責めこそすれ、べつにあやまる必要はないんじゃねえの?」

(お、もしかしてまた泣くか?)

 翼は煙を吐きだしつつ、目の前の華奢な看護師が、紺色のカーディガンをもじもじいじる姿を見下ろした。

「あ、あの、でも……結城先生はわたしのことを嫌いでも、今回の件でわたしは結城先生のことを好きになりましたっ。最初はなんて意地悪で嫌な人だろうと思ったし、お医者さんとして腕は良くても人間としてどうなんだろうってずっと思ってたんです。でも、結局わたしも結城先生に怒鳴られる回数を減らそうと思って色々頑張ったし、結果として結城先生は正しいことをされたんじゃないかなって思います。だから、これからも至らないところは多々あると思うけれど、同じ救急部の同僚としてよろしくお願いします!!」

(おまえ、馬鹿なんじゃねーの?)と、翼が突っ込みを入れる隙さえ与えず、唯は真っ赤な顔をしたまま、自分の言いたいことだけを言い、分厚い金属製のドアの向こうへ姿を消した。

 とはいえ、当の翼のほうも、自分がポロリと煙草を落としたとも気づかず、それを口許まで持っていこうとして――初めて目当てのものが地面に落ちていると気づいたのだった。

「やれやれ。まったく、変な女だ」 

 そう言いながら翼は、火を点けたばかりの煙草を靴の裏で揉み消し、ひとつ溜息を着いてから羽生唯のあとを追うように院内へ戻った。

 他の医師や研修医ならばいざ知らず、翼自身はこうした類のことを自分の都合のいいように解釈するつもりは一切ない。普通であれば、あれほど赤い顔をした若い娘が「好きです」などという単語を口にした時点で、少しばかり勘違いするかもしれない。けれど羽生唯はただ純粋に、自分のことを上司・医師として「好きです」と告白したのだと翼にはわかっていた。

 不意に翼の中で、羽生唯がもじもじと長い睫毛を伏せていた姿と、蜷川幸恵が自分に褒められて嬉しそうな顔をしていた姿とが重なる。

 翼は上履きのサンダルに履きかえると、この時もう一度大きな溜息を着いた。

「間違ってたのは、確かに俺のほうだったのかもしんねえなあ」

 それからボリボリと頭をかき、新しくICUの住人になったばかりの患者を見て回った。透明な窓越しにサクションチューブで痰取りをしている唯の姿を認めると、翼は彼女から患者の経過を聞き、カルテに目を通したのち、二三指示をしてからナースステーションへ向かう。

「リンリンさん、なんか俺、間違ってたみたい」

 翼がそうボソリと力なく呟いただけで、同僚として長いつきあいのある鈴村には何を言いたいのかがすぐわかったらしい。

「そうよ。あんたは間違ってたのよ。けどまあ、蜷川さんのことではあたしたちも間違ってた。なんでも来月、何故か季節外れにも新人看護師が三人、入ってくるんですって。あんたも同じことを繰り返さないように気をつけなさいよ」

「ふあ~い」

 翼はどこか気の抜けた返事をすると、鈴村と同じように電子カルテの整理をはじめた。そう――この時、ある意味人間関係の大きな嵐のようなものが、救急部からは去ったのかもしれない。けれど、またもうひとつの小型、あるいは中型の慢性的に居座り続ける嵐が、救急部には近づきつつあったのだった。



 >>続く。





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