天使の図書館ブログ

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カルテット。-9-

2012-12-17 | 創作ノート


 今回もまた、シシリー=メアリー=バーカーの「にわの妖精」よりといったところです♪(^^)


       ゼラニウム

 赤い、赤い、朱のような赤い色

 つぼみや花を 堂々とあたまにのせて!

 世界じゅうどこにだって これ以上明るい赤で

 かがやいている花はない

 その名は――だれでも知っているゼラニウム

 鉢の中でも花壇でも

 どこで咲いていても幸せな

 赤い、赤い、朱のような赤い色

(「にわの妖精」シシリー=メアリー=バーカー詩・絵、新倉俊一さん訳/偕成社より)


 ゼラニウムって、薔薇とはまた別の意味ですごく癒される花ですよね。

 薔薇がもし百花の女王であるとしたら、ゼラニウムはもっと素朴な村娘といったところ(笑)

 しかも薔薇ほど気難しくもなく、さほど手入れもせず放っておいても、綺麗に咲いてくれるところも、ゼラニウムの魅力的なところかもしれません♪(^^)

「赤毛のアン」のアンが、確かゼラニウムに「ボニー」という名前をつけてたと思うんですけど、最初に本を読んだ時はわたし、てっきりこのゼラニウムのことだとばかり思ってたんですよね。

 それとは少し別の「アップル・センティッド・ゼラニウム」という、林檎の香りのゼラニウムだと知ったのは、二度目にアンを再読した時のことだったでしょうか。。。

 ちなみに、ゼラニウムの花言葉は<真の友・育ちの良さ・愛情・友情>、赤いゼラニウムは<君がいて幸せ>。

 花屋さんではこの時期、ポインセチアがもしかしたら一番の売れ筋かも、と思うのですが、横にシクラメンやゼラニウムの鉢などが置いてあると、何故か一括りにみんな「同じ仲間」のように見えてしまうのは、わたしだけなのでしょうか(^^;)

 それではまた~!!



       カルテット。-9-

「何やってんだよ、おまえ」

 寝室の薄暗がりの中で浴衣を乱しながら、壁の紙コップに耳をつけ、隣室の様子を伺う男……客観的に見た場合、翼はおそらく誰の目から見ても、性犯罪者にしか見えなかったに違いない。

「いや、なんでもないよ。今隣じゃスパゲッティやらラザニアなんかを食事中なのかなって妄想して、ハァハァしてただけ」

「やれやれ。おまえがそんなことをすることになった事の顛末を、是非とも聞かせてもらいたいもんだね」

 よっと!とばかり、勢いよくベッドから飛び出、翼はその段になって初めて、ようやく驚いた。さっきは薄暗がりから友の姿を見たせいで、要が顔に怪我をしていること、アルマーニのスーツが泥で汚れていることには、まるで気づかなかったのである。

「要、おまえこそどうした?まさか、泥沼でワニと格闘するか、道端でカンガルーに殴られたってわけでもないんだろう?」

「西園寺圭に殴られたのさ。駐車場でね」

 要は緩んだネクタイを外し、ブランド物のカフリンクスを投げ捨てるようにしてクローゼットへ放りこんだ。それから泥で汚れたスーツを脱ぎ捨て、ホテルのクリーニング袋に入れている。

「一体、何が原因でそんなことになった?」

「話すと長いけど……いや、逆か。むしろ短いかな。ここからコンサートホールまでは、歩いて七分くらいのものだろう。けど僕は、翼に雨のことを忠告されてたから、白樺林を歩いていかずに、車でコンサートホールまで行くことにしたんだよ。で、美音さんが第二ヴァイオリンを務める<死と乙女>を聴いた。あの事件がコンサートホールでどんな影響を与えてるかなって思ったけど、およそ無問題だったよ。多くの人間は彼女の転落事件を知らないか、あるいは知っていても、美音さんみたいに「救急車が来て運ばれていったから、助かったのだろう」と思ったらしい。亡くなったということを伝えたら、彼女、ひどくショックを受けてたよ」

「そんで、どーなった?」

 親友が、このちょっとした暴力事件を楽しんでいるらしいと知り、要は浴衣を着ながら、ふっと顔の表情が緩むのを感じた。自分のほうの話が終わったら、紙コップで隣室の様子を伺っていた理由について、今度は翼のほうから是非とも説明してもらわねばなるまい。

「そのあと僕は、少しばかり美音さんと話しこんで――彼女のことを車で送っていくということになった。で、助手席のドアを開けて、彼女にそこへ座ってもらおうとしたら……左利きの西園寺氏に、右頬を思いきりぶん殴られ、無様にも泥で汚れた駐車場に転がったというわけだ」

「それにしても、西園寺の奴はなんでまた、そんなことをしたんだ?」

 冷蔵庫からアイスペールを取り出すと、トングでグラスに氷を入れ、翼はウィスキーを注いでやった。とどのつまりは、夕方の返礼である。

「さあね……というのはもちろん嘘で、一応心当たりらしきものはあるよ。といっても、それは僕がある程度鋭い感性みたいなものを持ってるから、そう推測するというだけの話で――殴られたのがもし他の男だったら、西園寺氏が何故あんなことをしたのか、まるでわけがわからなかったろう」

「うん。俺もさっぱり、わけわかんねえ」

「つまりさ、彼女は愛人なんだよ。西園寺圭の」

「えーっ!?」

 自分でも思った以上に大きな声を発してしまい、翼は指揮棒で合図された時のように、突然ピタリと黙りこんだ。先ほど盗み聴きしていて思ったのだが、あまり大きな声で話すと、話の内容はわからないにせよ、<会話の雰囲気>といったものはある程度伝わるらしいと、わかっていたせいである。

「ふう~ん。あんな初心そうに見える子がねえ。西園寺圭の愛人かあ。息子の麻薬騒ぎで、一時期マスコミに叩かれてた時、色んな噂があったよな、奴さんも。イタリアでオペラ歌手と寝た翌日は、ベルギーで新進気鋭のピアニストと一晩を過ごし……みたいなさ」

「おそらく話は多少誇張されてるだろうけど、それに近いことは実際あったんだろうね、その昔。僕の勘によれば、あのふたりはここ一年くらいの関係とか、そんなふうには見えなかったな。つきあい自体は結構長いんだろう。『西園寺先生、モーツァルトの協奏曲の、ここの解釈がわかりません』とか言って教えてもらってるうちに――初心でなんにもわからない彼女は、彼に言われるがままになった……そんなところかな」

「なるほどねえ。自分にも奥さんや、他に愛人がいたって過去があるにも関わらず、よその男に取られそうっていう段になると、渡したくないっていう奴なのかね」

 口内の傷に酒がしみたらしく、要が顔をしかめる姿を見て、翼はまるで他人事であるかのように笑った。この憎らしいくらい容姿の整った男は、およそ親友の自分の前ですら――無様な失態というのをほとんど見せたことがない。そう思うと、翼としては少しばかり何かが愉快だった。

「たぶんね。というか、彼には他の人間であればわからないことがわかったんだよ。僕の気のせいでなければ、彼女は今日、僕のためを思ってというか、それが言い過ぎなら、少なくとも僕のことを意識してヴァイオリンを弾いていた。西園寺圭にはそのことがわかったんだと思う。いつもは、自分が客席の最前列にいる時は――<それ>は彼に向かってすべて捧げられていたんだろうからね。けど、その目に見えない音楽の流れというか、魂の流れみたいなものが、今日に限っては自分に向けられていない。美音さんは、男を嫉妬させようとして何かその種のことを計算して出来る女性じゃないからね。どうやら、自分以外に他に気になる男が出来たらしい……そいつはどこのどいつだと思っていたら、僕だということがわかった。それで殴った。そんなところかな」

「すげえな、要。おまえと西園寺圭って、ニュータイプかエスパーなんじゃねえの?」

「翼、前におまえが言っていたことがあったろう?僕と西園寺圭にはどこか、キャラ的に被ってるところがあると思うって……つまりはそういうことなんだよ。西園寺圭の目から見れば、僕は彼の出来の悪い二世のように見えたかもしれない。ようするに、自分との違いはどこかといえば、西園寺圭本人よりも若いということとか、結婚してないっていうことくらいだろう。そんな男にオリジナルである俺が負けてたまるかとでも思ったんじゃないかな」

「けど、向こうには要が誰かなんて、まだわかってないだろう?」

「不幸なことにね――僕は時司なんていう、珍しい苗字なんだよ。それだけでもう勘の鋭い西園寺氏には、僕が何者であるかがわかったんじゃないかな。社会的地位も金もある、自分より若くて未婚の男……それってたぶん、彼がもう一度手にい入れたいものなんじゃないかと思う。翼、僕、珍しくもちょっと燃えてきたよ」

 隣に座る親友が、不敵な笑みを浮かべる姿を見て、翼もつられるようににやっと笑った。要が対等にやりあえる男など、この世にそうはいないと翼は思っているが、どうやら珍しくもその好敵手となる男が現れたらしい。

「まあ、奴さんにはまだ、社会的地位と金はあるだろ。ある意味ではおまえ以上にさ。名声のほうは一度ズタボロになったとはいえ、それと音楽っていうか、芸術ってのはまた別の話だからな。つくづく思うけど、俺らの友情が長く続いてるのって、互いに女の趣味が被ってないからだって気がするよな。要のいい女の基準ってのはあれだろ?魂から音楽が聴こえてくるのがいい女とかいう、極めて曖昧なやつ。ところが俺ときたら、おまえのその音楽とやらがまるで聴こえない女としか、つきあったことなんかないからな」

「翼の場合は、あまりにも趣味が即物的すぎるんだよ。僕もそういうのは嫌いじゃないけど、一過性で終わるような恋ばかりしてたら、いい絵は描けないからね。それより翼、今度はおまえの番だ。なんで紙コップで隣の部屋の様子を盗み聴きなんてしてたんだ?それと、僕がこの部屋を出ていく前に言ってた<検証>ってことについても、是非とも説明してもらいたいもんだね」

「ああ。俺のほうの話はさ、ニュータイプやエスパーが絡んでこないから、極めて単純なんだよ。俺は要がコンサートに出かけたあと、例の死んだ彼女が仰向けに倒れてたのが解せなくて、ホテルのプールの飛び込み台まで行ったんだ。猫じゃないんだからさ、最初は真っ直ぐ飛び下りたのに、途中で一回転して正面見てから死ぬことにした……なんて、出来るわけねえだろ?そんで、まず最初に真っ直ぐ前を見て、「南無三!!」って唱えてからどぼーんと水に飛び込んだんだ。いやまあ、こっちのほうはどうってこともなかったな。「ぼぼぼ、ぼく、怖くなんかないよ、ママ」とかどもりながら、それでも飛び込めるって感じさ。けど、後ろからプールに落ちるのは、マジで怖かったぜ。今度要もやってみろよ。下手なホラー映画なんか見るより、よっほど足が震えるってえか、これがマジな話、こえーのなんの。<検証>なんていう馬鹿らしいことはやめて、部屋に戻ることにしようと思ったくらいだった。ところが、下のほうで何も知らない小学生のガキどもが「あのお兄ちゃん、ビビってる」なんてほざくもんでな。「馬鹿を抜かせ!」と思って飛び込んだわけだ。いやあ、死ぬことはないとわかってても、死ぬかと思ったぜ。それで俺、この時確信したわけ。もし俺が自殺するにしても、背面からは絶対ありえんなって」

「普通に考えたって、誰でもそうだろうよ」

 要はおかしくてしょうがないといったように笑いながら、そう合いの手を入れた。傷口に酒がしみるので、右側の頬をすぼめ、口内の左側に液体を流すよう意識する。

「まあ、そう言うなって。で、俺が「ありえん、ありえん。アリエナイザー!!」とか思って一階のロビーを歩いていくと、ヅラの支配人が髪を乱して近寄ってきてな。死んだ女性が誰だかわかったと言うんだ。1527号室の首藤朱鷺子って女で、フリーのジャーナリストだったらしい。で、支配人の話じゃ、水道の出が悪いだの、従業員の接客態度がなってないだの、何故おまえはヅラなんだだの、色々口うるさい客だったって話なんだ。あのあと、黒部巡査と1527号室を訪れたら、ホテルの悪い点を箇条書きにしたメモが見つかったってことだから、そんな女性が自殺するか?Not,ありえへん!!ってことで、ヅラの支配人と俺の意見は一致したってわけ」

「1527号室……ミオンさんと水上ゆう子の部屋の隣じゃないか。それに、首藤朱鷺子って、聞いたことがある気がする」

 要は、うっかりまた酒を傷口に染み込ませてしまい、歯痛に悩む患者のような顔つきをしながら、書斎机の上にある、ノートパソコンの前までいった。回線を繋ぎ、検索ワードとして<首藤朱鷺子>と入れる。

「流石にウィキペディアに名前はないか。けど、アマゾンで彼女の本を検索すると、結構出てくるな。『クラシックはお好き?』、『クラシック・あ・ら・かると』、『クラシックといい男は生が一番!!』……そういえば僕、彼女の本は読んだことないけど、音楽誌にのってる彼女の評論は読んだことがあると思う。彼女の著作ってのは題名から察するに、クラシック初心者に向けてわかりやすく解説したような本なんだろうけど――音楽誌にのってる評論のほうはね、すごく専門的でかなりのところ辛口なんだ」

「へえ……そういえば首藤朱鷺子は、その昔東京オーケストラの楽団員だったって、ヅラの支配人が言ってた気がする。そこを辞めたのちに、音楽評論家っていうか、フリーのジャーナリストになったらしい」

「翼、おまえ、今僕とまったく同じこと考えてるだろ」

 寝室にある書斎机の後ろから、ノートパソコンの画面に見入る友人を振り返り、要は再び、不敵に笑った。

「僕たちがここ、<南沢湖クリスタルパレス>にやって来た翌日――西園寺氏の細君は、何者かに電話で脅されていた。ホテルの内線でそんな話はしないだろうから、首藤朱鷺子の携帯電話の履歴を見れば、そのあたりのことははっきりするんじゃないか?」

「ははっ。さっすが、要。我が友よ!!って感じ」

 要の後ろからマウスを操作し、翼はネット上で読める首藤朱鷺子の本をすべてダウンロードしはじめる。

「翼、まさかとは思うけどおまえ、彼女の本、全部読むつもりか?」

「いや、つまんなかったら二~三冊読んで終わるかもしれん。けど、彼女の本は多くがクラシック初心者向けみたいだから――これぞまさに今の俺にうってつけじゃん。死人に口なしって言うからな。少なくとも彼女の本を通して、首藤朱鷺子の人間性ってもんには軽く触れておく必要がある気がする。偶然とはいえ、彼女の死に関わって、その本当の死因を究明したいと思う者にとってはね」

「わかったよ。そういうことなら、僕も協力する」

 要はそう言って居間のほうへ戻り、クローゼットにしまったボストンバッグの中から、タブレット型の端末を取り出している。

「クラシック初心者向けの本の他に、中~上級者に向けた本も何冊かあるみたいだから、そっちのほうは僕が読むよ。あと、おまえが隣の部屋の様子を伺ってた理由だけど……」

 と、要がそこまで聞きかけた時、突然バタンと、隣の部屋のドアが閉まる音がした。翼はダウンロード中のファイルを放置したまま、素早く居間のほうへ飛んでいき、追いかけてきた要に「しっ!」と人差し指を立てた。時計の針を見ながら頃合を計り、やがて部屋の外へ飛び出す。

 流石にすぐ廊下に出たのでは、不自然すぎる――が、この二十階にはエレベーターがなかなかやって来ないのが幸いした。翼は何食わぬ顔をして長身で肩のがっしりした黒髪の男に近づくと、イライラした振りをしはじめる。

「まったく、ここのエレベーターはなかなかやって来た試しがない。時々、階段でそのまま一階まで下りていこうかと思うほどですよ」

 すると相手の男は、翼のユーモアを解するように、優しく微笑んでいた。

「素晴らしいヤマト魂というか、サムライ根性ですね」

 そこで翼は、男の顔をあらためてまじまじと見上げた。後ろから見た時には、あの美貌の奥方の愛人だから、よほどの美男子なのかと思いきや――彼はどこかアンバランスな顔の持ち主だった。太い眉の下の瞳は黒く、日本人離れした彫りの深い顔立ちをしているものの、どこか国籍不明で、ちぐはぐな印象を見る者に与えるとでも言ったらいいだろうか。

「どうかなさいましたか?」

「いえ、以前どこかでお会いしたような気がしたもので……」

「よくそう言われます」

 ――もしこの場に要がいたとしたら、今の翼の言葉が、いかに間抜けなものであったかがわかったに違いない。なんにしても、ルカという男が<15>の四角いボタンを押すと、「何階ですか?」と口を開きかけた彼を制して、翼はダッシュで<16>のボタンを押していた。

 流石に同じ階で下りたのでは、不自然すぎるだろう。その点、十六階で下りておけば、すぐに階段で一階分下りていけばいいだけの話である。

 翼は軽く会釈して十六階で下りると、エレベーターのドアが閉まると同時、階段まで全速力で走っていった。とはいえ、右と左に棟が別れているため、そのどちら側にルカという男が泊まっているのかがわからない。ついでに、ここで相手に顔を見られるわけにもいかないゆえに、翼は首藤朱鷺子のいた部屋、1527号室の見える廊下のほうを、姿を隠して見張ることにしたのである。

(おお、なんかキターーーッ!!)

 なんていうことを思いつつ、翼はルカという男が消えた部屋の前まで、速攻飛んでいった。

(1529号室……よし、イチゴと肉はどっちが好き?っていうふうに覚えておこう)

 翼はここまでの確認作業を終えると、スキップしながら三つあるエレベーターのうち一基に乗り、二十階にある自分の部屋まで戻っていった。

 そしてそこで、要に向け、西園寺紗江子の愛人が首藤朱鷺子殺しの犯人に違いないという大風呂敷を広げてみせたのである。

「いやあ、あの面構えはまさに、THE殺し屋って感じだったね。ゲジ眉の下で、死んだ魚のような目が光っててさ。ただ、なんかちょっとおかしいんだよなあ。俺がここのエレベーターはなかなかやって来ないから、そのまま階段で一階に下りようと思うことがあるって言ったら、「素晴らしいヤマト魂、サムライ根性ですね」なんて言うんだ。ありゃたぶん、世界を股にかける、相当やり手の殺し屋かなんかだね。生まれも育ちも日本じゃなくってさ――アメリカのスラムで育って、汚い仕事しか就職先がなくて、最後に殺し屋にまでなっちまって……ある程度金が貯まった時に、自分のルーツである日本までやって来たんじゃないかな。「Oh,フジヤマ、ゲイシャ、ニッポンの伝統スバラシイね~!!」みたいな」

「あのさ、翼。僕も最初のうちはおまえの話、結構真面目に聞いてたんだけど……今の話でふと思ったよ。僕の考えじゃ、そのルカって男は殺し屋じゃなくて、西園寺夫人が少しばかり金を貢いでるホストか何かなんじゃないかって気がしてた。で、そういう利害関係から「やっておしまい」みたいなことになったのかなって……でも、そのルカって男、こういう顔してなかったか?」

 そう言って要は、ベッドサイドから書斎の椅子に座る翼の元までいき、タブレットの拡大画面を見せた。

「あーっ!!なんで知ってんだよ、要!!こいつだよ、こいつ!!俺がさっき一緒に<クリスタル・シャングリラ>に乗ってたのは!!」

(やっぱりな)というように、要は深い溜息を着いている。

「本名、ルカ・ドナウティ・ミサワ。父親が日本人、母親がイタリア人の、有名なピアニストだよ。確か、五年くらい前だったかな。ショパン・コンクールで入賞して、半分日本人だから、日本でも結構話題になってたはずだよ。まあ、クラシックにまるで興味のない人間にとっては、右の耳から左に抜けてくような情報かもしれないけどね」

「そっか。なんか俺、今すごい探偵気取りで、これで事件は解決したー!!ってくらいに思ってたのにな。同じ十五階の、首藤朱鷺子の隣の隣の部屋に泊まってるだなんて、出来すぎって気がしたしさ」

「翼が興奮する気持ちは、僕にもわかる。けど、少し冷静になればわかるはずだよ。もしそういう殺害目的ありきで宿泊したんなら――ターゲットと同じ階の、それも一部屋あけただけの部屋になんて、泊まるはずがない。なんにしても、ルカ犯行説はこれで消えたも同然だな。仮にもしいくら彼が西園寺紗江子を愛していたにしても、社会的地位やピアノに対する情熱を投げうってまで、人殺しなんてするはずがない」

「だよなあ。それじゃあ、さんざんっぱら犯人が誰かわかんなかった揚げ句、主治医が安楽死させたっていう推理小説みたいだし」

「なんにしても、僕たちもここで初心に立ち戻ったほうがいいのかもしれない。そもそも僕らはここへ、休暇を楽しみに来たのであって、殺人犯探しをしに来たわけじゃないんだし……まあ、どっかの誰かさんはアドレナリン中毒患者だから、退屈の虫が疼くあまり、今のこの状況を楽しんでるんじゃないかって気はするけど」

「うん、当たり」

 翼は居間の壁にかけてあったダーツ板を、寝室の壁に設置し、そこに向けて憂さでも晴らすように、矢を投げはじめる。

「事件に直接関係はないかもしれないけど」

 と、自分の推理が外れてがっかりしている親友を慰めるように、要が続けた。

「翼が下手な探偵よろしく、尾行してる間にさ、僕も首藤朱鷺子の書いた文章の中に、少し気になる段落を見つけたんだ。これは彼女が女性向けファッション雑誌に連載してた、エッセイなんだけど――」

「おまえ、俺にはわかんないような小難しい本のほうを担当するんじゃなかったっけ?」

「いや、そう思ったんだけど、先に本の目次だけチェックしてて、気になる項目があったんだ。彼女が東京オーケストラでヴァイオリニストをしてた頃の話がいくつか書かれてて……>>百人以上も団員がいたら、それなりに人間関係も色々ありますよって書いてる箇所がある。それから、自分もそれで辞めたってことを匂わせてるんだけど、残念ながら肝心な理由のほうについては書かれていない。本の巻末にのってる著者プロフィールの生年月日によると、首藤朱鷺子は三十七歳だったらしい。で、東京オーケストラを辞めたのが今から約十年前の二十七歳頃。西園寺圭が東京オーケストラで、首席指揮者の地位に就いた頃と合致する。よく考えたら僕たちは「昔、そんなこともあったっけ」くらいに思ってるけど――西園寺夫妻の息子が麻薬で逮捕されてから、まだ五、六年しか経ってないんだよな。そこで僕が立てた推理は、こうだった。首藤朱鷺子は、東京オーケストラを辞めてフリーのジャーナリストになった。でも、彼女の著作のタイトルや、目次なんかを見ていて思うに――こういう仕事で得ていた首藤朱鷺子の収入っていうのは、そう大したものじゃなかったんじゃないだろうか。クラシックに関する音楽ネタなんて、五年も本にしてれば、そのうち書くことがなくなる。で、彼女はあくまで匿名っていうことを条件に、週刊誌に西園寺圭に纏わる色々な話を売ったんじゃないか?もともと、西園寺夫妻の息子が麻薬で捕まったっていうこと自体は、それほど大きな事件じゃなかったんだよ。西園寺圭自身もおそらく、そうした火消しに相当金を使ったんじゃないかって思うしね――でも、その小さな火を大きくしたのが首藤朱鷺子だった。僕が想像するにはね、首藤朱鷺子っていう人は、有名音楽大を出ているだけあって、なかなかプライドの高い女性だったんじゃないかと思う。けど、指揮者の西園寺圭って男は、スパルタで有名な男だよ。ベテランのコンマスに対しても、歯に衣着せぬ物言いで、大恥かかせるっていう話だ。もっとも、最近では大分人間が丸くなったって噂だけどね……なんにしても、僕もテレビのドキュメンタリーで、西園寺圭がひとりの団員を集中攻撃してるのを見たことがある。「おまえの代わりなぞ、いくらでもいるんだぞ!」とか、「その程度の演奏で、自分を一流だなどと思うな!」だの、まあ凄かったね。一度なんか、指揮棒を床に叩きつけて出ていったり――テレビ向けのパフォーマンスなのかと思いきや、「彼はいつもああだ」って、顔色の悪いコンマスが首を横に振ってたりとか。たぶん、首藤朱鷺子は何か、ヴァイオリニストとして侮辱的なことを西園寺圭に言われたんじゃないだろうか。もちろん、それが彼女が東京オーケストラを辞めた直接の原因ではなかったにしても……マスコミに彼のことをすっぱ抜くことに対し、首藤朱鷺子が良心をまったく痛めなかった理由くらいにはなる」

「う~ん、流石だな、要ってば。俺の早トチリ大推理とは違って、すげえ重みと説得力がある」

 翼は要の話を聞きながら、ダーツの矢を十数本放っていたが――そのうちの何本かは、的を外れて枕のまわりに散らばっていた。

「でも、あくまでもこんなのはただの憶測だよ。証拠となるようなものは何もない」

「俺さ、今の翼の話を聞いてて思ったんだけど、もしかして……」

 ストッと的の中央付近に、赤い羽を付けた矢が止まった瞬間のことだった。先ほどルカ・ドナウティ・ミサワが出ていった時とは比にならくらいの大きさで、バタン!!とドアの閉まる音が聞こえる。

 西園寺紗江子が部屋から出ていったのではなく、指揮者の西園寺圭その人が帰ってきたに違いなかった。

 翼と要は互いに顔を見合わせると、大人に就寝時刻を注意された子供よろしく、パッとそれぞれのベッドへ潜りこんでいる。

 だが、男の声が何かを怒鳴り散らし、夫人も負けずに金切り声に似た声を発している以外は――残念ながら、会話のほうで聞き取れる言葉はないに等しかった。

 そして、暫くして要がポツリとこう言った。

「僕、なんで翼が紙コップ持って壁に当ててたのか、今すごくわかった気がするよ」

「だろだろ?けどさあ、何をあんなに熱心に怒鳴りあってるんだろうな。お互い愛人がいて、それでも世間的メンツみたいなものを保つために、合意の上で別れずにいるわけだろ?だったらもう、寝室も全然別にしちゃって、たまに顔を合わせた時くらい仲良くしよう……なんてふうにはならないもんなのかね」

「ならないだろうね」と、要はくすりと笑って言った。「夫婦なんてそんなものだよ。本当にそこまで割り切れたら、むしろその時にこそ離婚してるって。西園寺氏は怒鳴り散らして、プライドの高い夫人を言うなりにさせたいというくらいには情が残っており、夫人もまた同程度か同程度以上に、夫に対して未練があるんだろうな。この激しい喧嘩の言い合いから察するに、そんな気がする」

「ま、怒鳴りあってるのはわかるのに、会話がまるで聞き取れないっていうのが、なんとも残念だがね。もしかして、このふたりの喧嘩の原因って、おまえなんじゃないのか、要」

「なんで僕が関係あるんだよ」

「だからさ、ミオンって子をおまえに取られそうだから、離婚しようって西園寺圭が夫人に言い出して……」

「流石にこの短時間で、それはありえないだろ」

 ここで、再びバタン!!と舞台の効果のような、恐ろしい音をさせてドアが閉まった。出ていったのは、西園寺圭か、それとも夫人のほうか――そう翼と要が耳を済ませていると、やがて女のすすり泣く声が聴こえ、夫人がひとり部屋に取り残されたことがわかった。

「なんにしても、素晴らしいVIPルームでござるな、我が友よ」

「まったく同感だね――ホテルの案内に挟まってたアンケートに、こう書いておかないと。当ホテルの一番良かった点、寝室の壁がとても厚かったこと、みたいにね」

 翼と要はゲラゲラ笑いあうと、そのあとはどちらからともなく寝息を立てはじめ、ふたりは翌日の正午を過ぎるまで、ぐっすりと快適な睡眠を脳と体に補給したのだった。



 >>続く……。





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