天使の図書館ブログ

 オリジナル小説サイト「天使の図書館」の付属ブログです。

手負いの獣-14-

2013-03-12 | 創作ノート
【夕暮れ】ウィリアム・アドルフ・ブグロー


 今回の言い訳事項は、中央材料室についてでしょうか(^^;)

 中央材料室、略して中材は、手術器具をはじめ、色々な医療器材のすべてが置いてあるところといっていいと思います。

 とはいえ、中材専属の看護助手になったことがあるわけじゃないので、詳しいことはわかりません。

 ただ、夜勤になると病棟の消毒して洗浄した医療器具類はすべて、暇な時に数を数えて翌朝の八時ちょい過ぎくらいに伝票と一緒に出さなきゃならないんですよね(つまり、中材の職員さんが出勤した頃を見計らって出すというか)。

 で、この種の物品管理についてはどこの病院でも厳しいとお聞きしました。

 夜勤の終わった翌八時頃というと、大抵「ほろひらへ~☆」という感じになってるので(ちなみに二交替制でした☆)、こういう時に器械バットの鑷子が一本足りないってことになると大変です(^^;)

 とにかくちゃんと数が合ってないと、全部突っ返されて、「ハイ。やり直し」ってことになるというか。

「こちとら夜勤終わりで疲れてんだぜ。そこをなんとか」というような理屈はまるで通じず、おしなべて例外は許されぬ形で必死こいて探さねばならない……ということになると聞きました(幸い、自分の時には医療ゴミを全部引っくり返して探すとか、そういう不幸に遭遇したことはないです

 ええとまあ、わたしの↓の書き方だと誤解されそうなんですけど、病院の医療器材のすべてが事細かくチェックされてるっていうことではなく、看護師さんが「こりゃもう駄目だね」と判断して捨てるものもあれば、「それの数が合わないなんて絶対おかしい」ってものがあるというか(^^;) 

 たとえば、器械バットに入ってる鑷子が一本足りないからといって、他の単品の滅菌済みのを一本足せば済むとか、そういう誤魔化しがきかなかったりとか、色々あった気がします(他の単品のとは若干サイズが違うので絶対バレる☆)

 まあ、もしかしたら病院によってそこらへんは違いがあるかも、なんですけど……わたしが助手としてよく言われてたのは、救急で患者がやって来たらとにかくすぐルンバールセットをICUに持ってけっていうことでした。

 わたしも随分昔のことなのでもう忘れてますけど、こういうものの中にはルンバールの中にしか入ってないものとか、そういうものがあるんですよね。で、そういうものが「何故かない」っていうことになると、それはもう必死こいて探さなきゃならないというか。わたしが↓の中で書いたのは、そういう意味なのだと思っていただけると助かります(^^;)

 あれは確か、夜勤明けのもうすぐ勤務交替だ……という時間帯のことだったと思うんですけど、救急で患者さんがやって来ることになって、ICUの入口で「ルンバール持ってきて!!」と看護師さんが叫び、早速とばかり持っていこうとした時のことでした。

 わたしもともと結構空耳ストなんですけど、その時は勤務疲れもあったのか、「助手さん、ハンバーグセット持ってきて!!」って聞こえたんですよね。いえ、急患の方には気の毒なんですけど、自分でもおかしくて思わず笑ってしまったというか。もちろん、看護師さんの元には至極真面目な顔をしてルンバールを持ってったんですけど、まさか、あんな緊迫した空気の中でもジョークの入りこむ余地がまだあるんだと思って、自分でも驚いた記憶があります(^^;)

 それではまた~!!



       手負いの獣-14-

「朝比奈先生は、煙草をお吸いになるんですか?」

(とてもそうは見えませんが)という前提で、赤城警部は喫煙室に入ると、廊下を去っていく朝比奈旭のことを振り返って言った。

「ま、人は見かけによらないって言うだろ?っていうのは嘘で、あいつ、俺に誰にも聞かれたくない話があったんだってさ。赤城警部と白河さんも当然知ってるだろうけど、諏訪晶子の死体が発見された日曜日、あいつ日勤当番だったんだよ。で、鑑識の人たちがバスルームなんかを調べたりする間に――たぶんふと、女医のロッカールームのことを思いだしたんだろうな。諏訪晶子のロッカーに何か事件と関係のあるものでもないかと思って、見にいこうとしたら、そこから高畑先生が出てくる姿を見た。でもそのことを警察の人に言うのはためらわれる……そこで俺にどうしたらいいかって聞いてきたわけ」

「ほほう、なるほど。それはそれは」

 赤城警部は恰幅のいい体を折り曲げるようにして、翼の斜め向かいに腰かけた。白河刑事もまた彼の横に長身の体を落ち着けている。

「でも、女医さんたちのロッカー室から女医である高畑先生が出てきたからといって、なんの不思議もないような気もしますが……」

「いや、高畑先生はなんといっても部長先生で、自分専用の個室を持ってるわけ。だから女医の更衣室兼休憩室にこれまで近寄ったことは一度もないって話だった。で、そこから彼女が出てきた時に、何か封筒のようなものを朝比奈は見たらしい。高畑先生はあの日曜、休日だったはずなのになんで医局にいたんだっていう話でもある」

「ふう~む。では結城先生は高畑先生があやしいと思っているということですか?」

 赤城警部が腕組みをして唸ると、その隣では白河が、捜査状況をメモしているらしい手帳を捲っているところだった。

「あ、確かにまだ高畑先生のところへは誰も捜査員が話を聞きにいってませんよ。他の捜査員たちの話だと、結構「今忙しいからあとにしてくれ」ってパターンが多いみたいですね。実際、医局員の全員から話を聞くってだけでも、相当骨の折れる話ですし……」

「まあ、そうだよな。特に医局の中に犯人がいるとなった場合、その犯人の奴は絶対自分から捜査員に近づいたりしないだろうし。俺はべつに高畑先生のことを疑ってるわけじゃないけど、その時先生が持ってた封筒がなんなのかってのが気になってさ。ちょっと前に俺のところにも、某製薬会社の奴が黙って五十万置いてきやがったんだよ。だからもし……」

「ははあ。諏訪晶子は高畑先生が製薬会社か医療品メーカーからでも賄賂を受けとっていると知り、そのことで先生を脅していたとか?」

 ここで赤城警部はくたびれたスーツのポケットからマイルドセブンを取りだし、一本吸いはじめた。白河刑事は煙草を吸わないのかどうか、相も変わらず手帳に目を落として、捜査状況を確認している様子である。

「その線もなくはないだろうけど、まあ俺は、高畑先生が諏訪晶子が死んだと聞いて――それで、彼女の遺品の中から自分にとって都合の悪いものが出てくるんじゃないかと恐れたんじゃないかと思ってる。で、休みであったにも関わらず、急いで病院までやって来たんじゃないかな。幸い、警察の人間たちはまだ医局の捜査に忙しく、女医のロッカーにまでは手が回っていない様子だった。もちろん、脅しの材料になるようなもの、俺だったら自宅に保管しておく気がするし、そのあたりのことはどうなってんのかよくわかんない。あともうひとつ、俺がこの病院に赴任する三週間くらい前、高畑先生は自分の部屋から五十万円盗まれたって言って、すごい剣幕で事務長にそのことを問い質したっていう話。もちろん、その盗難事件と諏訪晶子殺しの間になんか関連があるのかどうか、これもまたよくわかんない。でもまあ一応、参考程度に刑事さんたちのお耳に入れとこうと思って」

「しょっぱなから、貴重な情報提供、ありがとうございます」

 そう言って赤城警部は両膝に手を置いて頭を下げた。灰皿に置きっぱなしにした煙草が、分煙器に向かって一筋の煙をたなびかせていく。

「あと、最初の朝比奈から聞いたって話は、彼女が情報の出どころだっていうのは内緒にしといてくれないかな。高畑先生は朝比奈の上司で、日頃厳しいながらも何かと目をかけてくれてるっていう関係性だから。それでどうしたらいいかわかんなくて俺に相談したっていうか」

「ふむ。ですが、一応考慮はするにしても、あなたが出勤日でもない日曜日に普段は近寄らない女医のロッカールームから出てくるのを見た人がいます……なんて言った時点で、すぐその相手が誰かは、高畑先生にわかってしまうんじゃないでしょうか?」

「よく考えたら、確かにそうだな。まあ高畑先生は高潔にして高貴なお方だから、そのことが原因で朝比奈をいびったりはしないだろうし、そこらへんのことは刑事さんたちに任せるよ。いずれにせよ、あの人は犯人じゃないと思えばこそ、俺もこんな話を気軽にしてるわけだしさ」

「そうですか。一応我々のほうでも、ある程度犯人の的のほうは絞れてはきてるんです……というのも、諏訪先生はあの日、全裸で発見されて衣服のほうがどこにも見当たらなかったわけですが、その結果として日曜日に病院から出たゴミを、回収車が来る前に全部漁るということになりました。ゴミ処理担当の用務員の方が非常に協力的で、当方としても実に助かりました。結果として、骨折り損のくたびれもうけではありましたが――ついでに、医療ゴミのほうも漁って、凶器探しのほうも行ったんです。そしたら、確かにあったんですよ。凶器とおぼしきメスが一本」

「手術室の横にある、中央材料室に問い合わせてみたところ、一本メスが足りないといった報告はどこにもないということでした。というのも、医療資源というのは限りがあると言いますか、再利用できそうなものは洗って滅菌し、何度も繰り返し使うことを心がけると聞いています。まあ、切れ味の悪くなったメスなどはすぐ新しいものと交換するんでしょうが……中央材料室における物品の管理は相当厳しいそうですね。各階の看護師の方や看護助手の方などが、伝票に医療器具の個数や本数などを書きこみ、さらにそれを中央材料室の滅菌専任の方がひとつずつ確かめると聞きました。で、これは必ず持って来た科の人間と滅菌担当の方とが顔を合わせて行うというルールなんだとか。何故といえば、そうしないとあとでトラブルになるからだと聞きました。滅菌担当者の方は、伝票と実際の医療器具の数が合わない場合、その全部を容赦なく突っ返すそうですね。一本、あるいは一個でも何か足りない場合は特に。多い時には単なる数え間違いだろうということで済みますが、数が足りない場合は徹底的に探して個数を合わせてから再度持って来いという話になるとか……」

 中央材料室は職員たちの間では略して中材と呼ばれている場所である。そこでは病院中の医療器具が集められ、基本的に手術予定のない土日・祝日以外は毎日滅菌専任の看護助手たちが洗いものや消毒、それに滅菌に追われている。また、K病院の場合は、緊急手術が行われた場合は、土日・祝日でも職員が呼びだされて手術用具の片付けをすることになっており、またその手術が夜遅くまでかかったような場合――手術が終わるまでずっと待ち、すべての医療用具の片付けが終わるまでは帰れないという話だった。

「うちの手術室には、鬼の滅菌マスターと呼ばれる、主みたいな人がいるんだよ。で、彼女が十人くらいいる滅菌専任の職員たちをまとめてるんだけど、一応この部門のトップに当たるのは、手術室の看護師長なわけ。完璧主義の看護師長と鬼の滅菌マスター……大抵の人間はこのふたりに会うとびびって逃げだすって聞いたよ。手術室ってのは、この中央材料室と扉一枚で繋がってるから、俺もこの滅菌主任の水原さんが怒鳴ってる声は聞いたことがある。『いくら探してもないものはないと言われても困りますね。医療用のゴミ箱を全部漁ってでも絶対探しだしてください』――まあ、こんな具合で相手に有無を言わせず、ピシャッと言って追い返しちまうわけだ。大体、滅菌する医療用具を持ってくるのは前日の夜勤者だった看護師か看護助手のどっちかだからな。夜のうちに昼間使ったものを全部洗って、夜勤の明けた朝に中材の受付に持ってくるってシステム。当然この看護師は眠いか、あるいはあともう少しでこの夜勤も終わる……なんて思ってる場合が多い。そこで足りないものが何か発覚したら、それが見つかるまで帰れないってことになるんだぜ?器械バットの鑷子がひとつ足りないってだけでも、水原さんは鬼のような剣幕で怒るらしいからな。そんなもん、新しいのをちょっと足せば?なんて俺は思っちまうが、とにかくそれが病院の規則で、そこを一度曲げたらどこの科でもすぐ、「なんとかが足りない」とか「数が合わない」ってことで、ずるずる悪いほうに流れていくだろうって話」

「はあ、そうなんですか」白河は煙草をふかし続ける上司を横目に見つつ、頭をぼりぼりかいた。「ということはまあ、その鬼の水原さんが足りない物品は何もないと証言している以上――凶器のメスは外部から持ちこまれたっていうことですよね。僕も、彼女から話を聞いてて、少し怖かったです。『わたしの仕事に手落ちがあると疑っているのか、おまえは!?』とでも言いたげな、眉を釣り上げた物凄い形相だったものですから」

「なんか、うちの手術室の担当者は、噂によると変人が多いらしい。手術室の看護師長の花原さんは長期休暇を取ってるって聞いたけど、こんな殺人事件が起きた時に病院にいなくて良かったって話だよな。何分、医局と手術室は同じ階にあるから、目と鼻の先で人が殺されたなんて聞いちゃ、いくら頭のおかしい奴でも、流石にいい気はしないだろうし」

「ふむ。ここまでお話を伺っていて思ったのですが……結城先生はまだこちらに赴任して一か月にもならないのに、すでに院内情報については色々なことをご存知なんですな。して、犯人に心当たりなどはおありになったり致しますかな?」

「いや、その点は特にないな」翼は短くなったセブンスターを灰皿にギュッと押しつけ、新しいのに火を点ける。「それよりさ、警部さんたちはもう犯人を絞りこんでるんだろ?俺としてはそっちの話のほうを聞きたいな。まあ、捜査情報を俺みたいな一般人に洩らすことは出来ないだろうから、無理に聞こうとは思わないけどさ。それと、俺が犯行のあった土曜の夜、何時頃何してたかっていうのも、話さなきゃならないんだろ?」

「いえ、結城先生のあの日の夜のアリバイについては、大体のところこちらで埋まっています。出勤してきたのが五時半で、日勤の担当者から医局で申し送りを受けると、五階の病棟までいって夜勤の看護師に様子を聞いたそうですね。そしてカルテを少しチェックして、「なんかあったら呼んで」と声をかけ、また医局にお戻りになった。まあ、我々の推測としては結城先生はご自分の部屋でこのあと、お仕事をなさっていたのではないかと想像します。それとも体を休めたり眠ったりしておられたのかもしれませんが、我々にとって重要なのは、この時結城先生が部屋から出てくることはなかったということでしょうか。あとは、携帯の着信記録から察するに、零時二十二分頃に病棟へ下りていき、一時間ほど五階の病棟へ下りたのち、朝倉先生が食堂で卓球しているのを見て、一勝負なさったとか。そして再びご自分の部屋へ戻られて、今度は三時五十五分までそこからお出になることはなかった――とまあ、そんなところですか?」

「うん、まあ大体合ってる」

 翼は赤城警部が灰皿に置きっぱなしにした煙草から、煙がただ無駄に流れていくのを見守りつつ頷く。自分と赤城警部はまだいいにしても、煙草を吸わない白河刑事の肺が副流煙を吸いこむのは、なんとも割に合わない話だな、などとぼんやり思う。

「あと、俺の覚えてる限り、三回くらいトイレに行ったかな。でも、その時に廊下で何かおかしな気配を感じたとか、そういったことは一切なかった気がする」

「結城先生はどうも、看護師さんたちに人気がおありのようですね。先生が当直担当の時には、ちょっとしたことでも文句を言わずにすぐ来てくれるとお聞きしましたよ。あと、来たついでにナースの休憩室で少しお話をされていくこともあるとか……」

「べつに、あんなのは向こうがちょっと寄って菓子でも食ってけって言うから、そのついでに話が盛り上がって長居することもあるってだけの話。まあ、そんなのは事件にはなんも関係ないだろ?それより、警部さんの言った絞りこまれてる犯人って誰と誰なわけ?何分俺はこの病院に来て日が浅いから……情報的に大して協力できることはないにしても、これからそのあやしい人間のことをちょっとマークしてみたり、噂を聞いたりできるあてなら多少なくもないからさ」

 そう言って翼は、院内の情報通である、瑞島藍子と江口悦子、内藤医師らの顔を思い浮かべた。赤城警部はマイルドセブンを深く吸いこみ、煙を吐きだしながら何気なく微笑む。

「いえ、我々としてはそれであればこそ、結城先生にお話できることもあるのですよ。何分、先生はこの病院へ来て日が浅い……ということは、諏訪晶子のことを殺す動機など、結城先生を逆さまに振っても出てこないだろうと見るのが自然です。で、我々は今諏訪先生の携帯電話――これは病院支給のものが一台、仮眠室のサイドテーブルの上にのってました。そしてもう一台は先生の車の中にあったのが発見されています――を調べてみたのですが、まあ電話帳の九割がすべて男ばかりなんですな。我々は現在、手分けしてその男どもから事情聴取をしておる最中なんですが、院内の人間で名前が登録してあるのは、内科の池垣先生、精神腫瘍科の溝口先生、整形外科医の辻先生、麻酔科医の戸田先生、小児科の君塚先生といったところだったでしょうか。いえ、実際にはもう少しいらっしゃるんですがね、電話会社のほうに問い合せてみたところ、この五人の方と結構頻繁に電話のやりとりをされておられたようで……もっとも、精神科医の溝口先生と麻酔科の戸田先生に関しては、向こうからかかってくる着信率のほうが圧倒的に高い。内科の池垣先生と小児科の君塚先生はともにご結婚されており、独身なのは溝口・戸田・辻先生の三名。で、この中で今のところ事情聴取が終わってるのは、池垣先生と君塚先生の二名だけです。溝口先生と戸田先生は「忙しい」と言ってなかなか捜査員と話をしようとしないし、辻先生は困ったことに病院を欠勤しておられる……池垣先生はとても冷静な方ですな。「お互いに割り切った、大人の関係だった」ということ以上に、話すことは何もないとおっしゃっていました。反対に、君塚先生はもっとずっと情緒的と言いますか。「まさかこんなことになるだなんて」と、号泣しておいででしてね。他の捜査線上に浮かび上がっている独身男三人は、おそらく向こうのほうが彼女に相当入れあげていたのではないかと思われます。まだ話を何も聞いておりませんので、確かなことは言えませんがね」

「ふう~ん。池垣・辻・君塚先生は三人とも、イケメンドクターコンテストの十位以内に入ってる男だよな。ま、事件とイケメン云々ってのは何も関係ないだろうけど、池垣先生と辻先生の部長室ってのは、出世が約束されてる五部屋のうちの、左から数えて一番目と二番目だぜ。ようするにあの女、妙に鼻の利くようなところがあったのかな。その点、精神腫瘍科の溝口先生は外見が軽くストーカーっぽいし……いや、俺も話したこともないのに、こんなこというのはよくないんだけどさ。あと麻酔科の戸田先生は、なんか仕事してる時にやたら独り言が多いんだよな。時々、「大丈夫なのか、コイツ」って心配になることがある。なんか院長に頼まれて、他の病院にも出張アルバイトみたいなことしてるらしいんだけど……俺にもし権限があったら、そんな余計なバイトは一切やめさせるだろうな。なんつーか、そういう忙しい状況の時に、諏訪晶子みたいな女に食堂で声かけられて、カルティエの時計買ったくらいで一回やらせてくれるんなら、ちょっと中毒みたいになるかもしんない」

「中毒、とおっしゃいますと?」

「ん~、まあ、俺の言うことにはあんまし信憑性ないと思って聞いてほしいんだけどさ。手術室とかカンファレンスで一緒になるったって、俺、戸田先生とプライヴェートな話なんて一回もしたことないから……戸田先生の趣味がなんなのかもまったく知らないし。でも、なんとなく漂ってくる人柄として、溝口先生同様、すごく真面目っぽい感じがするわけ。つまり、ふたりとも諏訪晶子に電話してる回数がすごく多いんだろ?ってことはさ、彼女、ある時点で彼らふたりのことは切り捨てて、別の金離れのいい男のほうに乗り換えた確率が高いんじゃないかな。で、その男が君塚だったとしたら……」

「ははあ、なるほど」と、赤城が深く頷く。「お話を伺っていて思うに、亡くなった諏訪晶子先生というのはどうも、お医者さんとしては随分倫理観の低い方だったのでしょうな。不倫をしようがどこ吹く風、自分が関係を持った男性がすぐ近くで顔を合わせていようと、羞恥心を覚えるようなことさえなかったのでしょう。彼女が男を選ぶ基準は金、あるいは地位、あるいは容姿、他に自分にとって気を惹かれるところがあれば誰でも、といったところだったのでしょうか。まあ、わたしなぞは結婚して以来浮気なぞしたことはありませんが……でも、浮気する男性の気持ちはよくわかります。池垣・君塚両先生にとって、諏訪先生というのは家庭を壊さない程度に遊ぶことの出来る、<ちょうどいい女>だったのかもしれませんな。そのためだったら、車でも時計でも宝石でもバッグでも、なんでも買い与えてやって惜しくないほどの、可愛い女でもあったでしょう」

「そりゃ、男にしてみりゃそーだろ。仮に社会的地位とか名声なんてものをセットで手に入れて、金が唸るくらいあったにしても――変な女に捕まっちまったらただの火遊びでは済まなくなる。その点、ほんのちょっと金や物を融通しただけでやらせてくれるんだから、男にとってこんないい話はないってことになるだろうし」

「でも、普通に考えて……そうした関係というのはそんなに長く続くものではないですよね。さして恋愛経験もない僕がこんなことを言うのは差し出がましいようですが、池垣先生も君塚先生も神経質なくらい奥様のことを気にしておいでのようでした。もっとも、君塚先生のほうは奥様にすべてバレてしまい、手痛い不倫の代償をすでに受けておられるのかもしれませんが……」

 ここで三人の男たちは黙りこみ、翼と赤城警部はひたすら煙草をふかし、白河刑事は再び捜査メモに目を落としている。と、そこへ、薄暗い廊下の向こうから白衣の中にきっちりスーツを着込んだ男がやってくる姿が見えた。

「おお、噂をすれば影と言いますか、あれなるは精神科医の溝口先生ではないですか。結城先生、今我々がこの場で話したことはどうぞご内密に。それでは、また何か有益な情報でもありましたら、是非ともお教えください」

 そう言って、赤城警部は翼に名刺を差し出すと、白河刑事を後ろに従えて、廊下の真ん中ほどにある部長室の一室へ姿を消した。無論、廊下の半ばほどで溝口と一分ほど儀礼的な社交辞令を交わしたのちに、である。

(精神腫瘍科の溝口篤、か。あの先生はほとんど、緩和ケア病棟専門の精神科医みたいなもんなんだよな。もちろん、赤城警部と白河刑事から彼とどんな話をしたのかは、あとから聞くことが出来るだろう。でも、俺は俺で少し別の角度から調べてみようかな)

 翼はそうと決めるが早いか、煙草を揉み消して喫煙室から出、一度部屋に戻ると残っていた仕事を手早く片付け、七階の緩和ケア病棟へ急いだ。時刻は七時に近かったが、翼はそこにまだ山田医師がいるだろうことをよく知っていたからである。



 >>続く……。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿