天使の図書館ブログ

 オリジナル小説サイト「天使の図書館」の付属ブログです。

動物たちの王国【第二部】-35-

2014-04-10 | 創作ノート
【葡萄の収穫(人間の悲哀)】ポール・ゴーギャン


 まだお話途中なのに、こういうことを書くのはどうかな……と思いつつ、なるべく差し障りない範囲内でちょっと書いてみようかなと思います

 最近、V.S.ラマチャンドラン先生の「脳の中の幽霊」や、オリバー・サックス先生の本などを再読してるんですけど……昔はそうは思わなかったっていうことが次から次へざくざく出て来て、自分でもびっくりしました(^^;)

 何分、読んだのが相当昔ということもあり、その時は面白い反面、内容的に少し難しいなと感じてたんですけど、今はもうただ面白い!!の一言というか。

 もし脳のどこかが一部欠損しただけでそうなるのだとしたら、人間って一体なんだろうね☆というか、「自分が自分である」(及びそう認識できる)ということは、ほとんど奇蹟にも近いことなんだなあ……とあらためて思わされた気がします。

 本の中に出てくる面白い症例の患者さんについては、書くと長くなるのでアレ(ドレ☆)なんですけど、ちょっと読んでて重い認知症のある患者さんのことを思いだしたというか。

 この方は、結婚生活の長きに渡って旦那さんから抑圧され続けたことで――その旦那さんの死後に認知症がはじまり、その後症状が進むに従って「結婚生活自体が記憶から抜け落ちた」状態になったそうです。

 年齢的なことなどから見ても、おそらく四十年以上は旦那さんと連れそってると思うのですが、娘さんの話によると(外面的にはどうあれ)「幸せな結婚生活ではなかった」ということでした。

 旦那さんの職業からみて、結構いいところにお勤めであり、たぶん金銭的には標準より豊かだったんじゃないかなって思うんですけど……暴力を振るうわけでは一切ないにしても、その分精神的に抑圧してくる、支配するというタイプの旦那さんだったということなんですよね。

 そしてこの旦那さんが亡くなった時、娘さんはお母さんもこれで解放されるし、自分も親孝行ができる……みたいに思っていたそうなんですが、そんな折も折、お母さんは認知症になってしまったということでした。

 症状がすっかり進みきった時には、自分は結婚していないし、ゆえに子供もいないということに彼女の中ではなっており(娘さんのことは自分の姉や妹の名前で呼んだりする)、結婚する前の幸福だった子供時代に戻っているような感じになってるというか。

 この患者さんのことでわたしがすごく印象深かったのは、機嫌のいい時には「神さま、仏さま、ありがとう。こんなに良くしてもらっていいのかしら」と言い、逆に夜中に不穏になった時には「おまえらは人殺しだ。わたしにはみんなわかっている。わたしのような人間を何人も集めてきて金をせしめ、最後には殺すつもりなんだろう」と繰り返し言うということでした(「そういうシステムがもう出来上がっているんだ」とも言ってました^^;)。

 まあ、わたしには認知症の病理学的なことはよくわからないのですが、仕事が忙しい時に不穏になられると面倒な反面、「どこで何がどうなるからそうなるのか」ということについては、ある意味「面白い」と思ってたんですよね。

 そして随分あとになってから、「ずっと抑圧され続けた精神回路が重圧から解放されたことが、認知症になった原因だったのかなあ」と少し思ったりしました。

 わたし自身もそうですけど、過去にあった嫌なことなどを繰り返し思いだしてそこから抜けだせないっていうことがありますよね。言ってみればCDプレーヤーに同じCDをのせて繰り返し聞いているようなもので、自分でもそれをやめたいと思ってるのにやめられないというか。

 でもそれが突然外れてみると、今度はそこに空き容量が出来てしまうと思うんですよね。もうすり切れるんじゃないかっていうくらい、繰り返し繰り返し使いに使った精神回路ですよ。ところがそこに空きが出来ると、今度はどうしていいかわからない……みたいになってしまうんじゃないでしょうか。

 一番いいのはたぶん、新しい感覚情報、良い情報によってその空きを埋めるということだと思うんですけど、そこがうまく繋がらなかった時にいわゆる「呆け」という症状が出てくることがあるのかな……と思ったりしました。

 そんでもって、↓の本編のことに言及すると、ある人間をずーっと憎み続けて生きていった場合、その精神回路が突出して常に活性化され、行き着くところまで行ってしまうということが、時にあるのかなと思ったり(^^;)

 ようするにもう、どこか街中で「関」の字を見ただけでも憎しみに関わる神経細胞が活性化するであるとか、「○○五郎」という選挙のポスターを見ただけでも、全然関係ないのに破りたくなったりとか……憎んでも地獄、相手に報復し、仮に憎しみから解放されたとしても地獄……特に何か人生で悪いことをしたわけでもないのに、何故かそうなったということが世の中にはあって、そういう人を救うためにこそ「神さま」にはいてほしい……と思ったりします。

 それではまた~!!



       動物たちの王国【第二部】-35-

 ――こうして淑子はK市K病院へやって来た。

 そして淑子がK市に引っ越してきてまず真っ先にしたことが、<職業安定所>へ行くということである。大抵の病院ではほぼ万年看護師を募集しているものだが、同じくらい掃除婦というものも募集していると、淑子はよく知っていた。

(あった、あった。ほうら、やっぱり)

 淑子は喜び勇んである清掃会社の求人票を係員の元まで持っていった。面接はその日の午後のうちに行われ、淑子が東京にある○○美装で十年以上もの勤務経験のあることがわかると、求人のほうはパートだったにも関わらず、その清掃会社の専務は是非正社員として雇いたいと申し出た。

 もちろん淑子は「これもまた天のお導きにして運命である」といったように感じ、「こちらこそよろしくお願いします」と、深々と頭を下げていた。

 だが、計画が順調にうまくいったと思える帰り道、るんるん気分でスキップしながら淑子は、ある瞬間にふと心が沈むのを感じた。坂道の向こうに夕陽が沈み、樹木が暗い影を落とす逢魔ヶ時のことだった。さやさやと枯れかかった葉が物悲しいハープのような音楽を奏でている。

 この時淑子は何故か、綾瀬脳外科病院を退職した日のことを思いだしていた。最後の勤務が終わった時、清掃主任に呼ばれたのだが、淑子は自分の他にもうひとり、辞める職員がいるとその時に初めて知った。

 淑子自身は時々話す程度の間柄だったが、それでも彼女が「軽く」いじめのようなものを受けているらしいとは知っていた。もしかして、そのことが原因で辞めるのだろうかと、その時少しばかり胸が痛くなったのを覚えている。

 もし淑子に関口五郎に対する<復讐>といった目的がなかったとしたら、おそらく彼女のことを助けてやれたろうなと、そう思った。だが淑子は他の掃除婦たちとそれなりにうまくやる傍ら、関口五郎の周辺を嗅ぎまわったり、また人工呼吸器管理の必要な患者のことを探るといった重要な任務もあったため、そうしたことまではとても気を回せなかった。

 年齢のほうは自分と同じ四十代だろうか、彼女は目がいわゆる<斜視>であった。左目のほうはどうということもないものの、右目のほうがまったく別のおかしなほうを見ているのだった。淑子はそれが彼女のいじめられることになった原因だろうと見ていた。そして人間というのは残酷な生き物だと、つくづく思ったものである。

 何故といって、淑子は彼女に対し、話していて「いい人」、「いい人間だな」という印象しか持っていなかったが――にも関わらず彼女が何故いじめられたかといえば、「片目が常に別のほうを見ていて気味が悪い」という、たったそれだけのことだったからである。人間というのは<理性>というものを持っていながら、たったそれだけの違和感ですら克服できないものらしい。

「それじゃあわたし、こっちだから」

 靴を履き替えて一緒に病院から出ると、淑子は素っ気なくそう言って別れようとしたが、何故か向こうでは彼女のことを追ってきた。

「近藤さん、わたし、あなたに感謝してるの。あなたが新しく入ってきて、わたしと色々普通にお話してくれたこと、とても嬉しかった。どうしても最後に一言お礼が言いたくて……ありがとう」

 淑子は胸を突かれるあまり、暫くその場に立ち竦んだままでいた。斜視の女性のほうではそんな淑子には構わず、色々と話し続ける。

「近藤さんがどうしてここを辞めるのかはわからないんだけど、もう次の勤め先なんて決まってるの?」

 淑子は無表情にかぶりを振った。

「わたしね、次はおにぎり屋さんに勤めるの。っていうか、何日か前から勤めはじめてるんだけど、そこの人たちとは今のところすごくうまくいってるのよ。昔、お弁当屋さんにいたことがあるんだけど、奥の厨房で働いてたら、突然お客さんが怒鳴りこんできてこう言われたことがあるの。「こんな顔の女が作った弁当なんか食えるかっ。金返せ」って。ひどいでしょ?」

 まったくそのとおりだと思い、淑子は頷いた。彼女はむしろ不細工どころか、色白で綺麗な顔立ちをしていた。しかも妙に左右対称な顔をしているだけに、斜視という欠点がどうしても際立って見えてしまうのである。

「だからね、飲食店ってどうかなって最初は思ったんだけど……面接でその話をしたら、「なんてひどい話だ」って店長が怒っちゃって、それですぐ採用が決まったの」

 彼女はここで淑子の両手を取ると、こう続けた。淑子の手は長年の掃除仕事で手の表面が硬く、ガサガサしているが、彼女の手は柔らかいだけでなくとても温かかった。

「そこのおにぎり屋さん、まだもうひとり職員を募集してるのよ。だからもし良かったら近藤さん、どうかなと思って……」

「ありがとう」

 そう言って淑子は、斜視の女性の両手を握り返した。

「でもわたし、まだすることがあるから……もしいつか、こっちに戻ってくることでもあれば、必ず訪ねていくわ」

 ――こうして彼女と別れた時のことを、淑子はアパートまで戻る道すがら、何故か思いだしていた。

 そしてきつい坂道を上っていきながら、突然どっと涙がこみ上げてきた。もしかして自分は、取り返しのつかない大変なことをしてしまったのではないか?この先に自分を待っていることもまた、罪の上に罪を重ねるようなことなのだとも、淑子にはよくわかっている。

(もしかしたら、あれが最後のチャンスだったのかもしれない)と、バッグからハンカチを取りだし、涙をぬぐいながら淑子は思った。(きっと警察に逮捕された時、わたしはこう思って後悔するだろう。もしあの時救いの道を右に曲がっていればと、そんなふうに思って……)

 だがやはり、淑子にとってそんなものは一時的な感傷にすぎなかった。坂道をのぼりきったところから見える高台には、関口五郎夫妻の住む、瀟洒なマンションが建っている。昔、小さかった頃、淑子はK市と同じような海辺の町で、白い素敵な一軒家が高台のてっぺんにあるのを見ては憧れていたものだった。

(もしいつか大きくなって大人になったら、一生懸命働いて、あんな素敵な家にお母ちゃんと一緒に住みたい。ううん、あんな家にお母ちゃんを住ませてあげるんだ)

 けれど淑子には今、現実というものがよくわかっている。一般の貧乏人はどんなに努力したところで、あんな家には住めない。そして遠くから見た場合はともかく、近くで見れば白い壁も薄汚れて見えるに違いない……そんなふうに自分の嫉妬心をごまかして、分相応の借家にでも帰る以外はないのだと。

 淑子は高台に住む関口五郎の家を見上げる、ずっと下の古ぼけたアパートに住んでいたが(綾瀬真治から貰った金は<いざ>という時のため、なるべく節約する必要があると彼女は思っていた)、淑子はそこから関口五郎の家を見るたび、怒りと復讐の脳内回線がますます強化されるのを感じたものである。

「美弥子……ッ!!とうとうわたしたちの敵の喉笛をかみ裂いてやれる時がやって来たよっ!!」

 その時が待ち切れないとばかり、淑子は仏壇とその隣に貼られた李香蘭のポスターの前で、喜びのぴょんぴょんダンスを何度踊ったか知れなかった。相手がどんどん精神的に追いつめられていくのを見るのは、淑子にとってこの上なく心楽しいことだった。関口五郎が日一日と何やらやつれていき、一度などすっかり憔悴しきった顔をしているのを見た時など――淑子は心の中で快哉を叫んだものである。

「ウルルルルーアッ!!ウルルルルーアッ!!」

 淑子はまるで南国の鳥のようなそんな鳴き声すら喉から発し、アパートの狭い一室で踊り狂うということが何度もあったのだが――果たして彼女がだんだん頭がおかしくなってきているのかどうか、それは精神科医による精神鑑定を待たないことには、おそらくなんとも言えないことだったろう。

 そして淑子は実際、翼が推察したとおり、死んだ娘に関しては怜悧なまでに<知能犯>になれる側面があり、また自宅のアパートで踊り狂っているのを人が見れば「気違いだ」と思うだろうという分別も持ち合わせていた。だがそのうちに、人間という生き物は果たして本当に「人間」なのか、「動物」なのかとわからぬ境界線があるように――淑子がそこを踏み越えていくようになったことは事実である。

 もっとも、淑子の同僚の青木などは特に、(法廷で求められれば)淑子に対して友好的な言葉しか述べなかったに違いない。「彼女はとても仕事能力のある、責任感の強い女性でした」と、そんなふうに。つまり、清掃というある一定の段取りを踏む仕事の遂行という点においては、淑子は間違いなくまともなのである。また娘の復讐のため、ヤクザ者に金を握らせ脅すよう頼んだあたりも(ここでまた例の関西弁の女性が登場したのは言うまでもない)、正常な判断能力を持っていると見て間違いない。だがそれと同時に、K病院から一歩出た途端、淑子のぴょんぴょん飛び跳ねる「おかしい」行動というのは、たくさんの人間が目撃していた。また突然通りすがりの人間に「これあげる」と言って百万円の札束を渡したこともあったらしい――「もういらなくなったから」と(この時金を受け取った男性は、すぐに彼女を交番へ連れて行った。また法廷に呼ばれた時にも、この善良な男性は淑子を庇うような口調で長い話をすることになる)。

 最終的に淑子は、警察に逮捕されたのち、二名の精神科医から精神鑑定を受け、<統合失調症>と診断されることになるのだが、この病名で果たして間違いなく正しかったのかどうかは、現行の法執行制度の下では微妙に難しい点が残っていたに違いない。なんにせよ、淑子は指定入院医療機関に措置入院することが決まり、不起訴となるのであったが――彼女のことはある女性ジャーナリストが、その生い立ちからはじめて何故淑子が人工呼吸器の必要な患者のコンセントを抜いたのか、実に素晴らしいノンフィクションの本を二冊、書き上げるということになる。

 一冊目は、淑子が警察に捕まって指定入院医療機関へ送られる時のことまでが描かれ、二冊目ではこの一冊目の本が波紋を呼び、関口五郎が法廷で裁かれるところまでが描かれている。彼は淑子が思っていたとおり、首吊り縄のことやベッドに残されていた精液のことなどが決め手となり、最終的に有罪を宣告されることになるのであった。

 この二冊目の本の最後の章から少し、抜き書きしておくことにしよう。


 ――近藤淑子は以前から、「あっちの世界」と「こっちの世界」を行ったり来たりしているようなところがあったが、関口五郎が有罪と宣告されてのちは、ますます「向こう」へ行っている時間が長くなったようである。
 彼女はいまや、関口五郎のことを話している途中で(怒りのあまり)失神することもなくなり、彼の名前を聞いてもすっかりわからないようだった。いや、もしかしたらきちんとわかっているのかもしれない。何故といって、その名前を聞くたびに「美弥子、お母ちゃんやったよ、やったよ!!」とぴょんぴょん飛びまわるという発作が出るからである。
 なんにしても、精神病院における彼女の生活スタイルは前とほとんど変わらない。毎朝、早起きをしては李香蘭のポスターの前で彼女独自の礼拝を行い、まるでこの世のすべての苦しみから解放されたような、聖母マリアのような微笑みを浮かべて日々を暮らしている。
 また淑子には彼女にしかわからないある種の<音楽>がいつも耳元に聴こえているらしい。聞けばそれは小さな頃からあったことで、海辺で貝殻を拾い、それを耳に当てた時からはじまっていたという。
 そして淑子は自分にだけわかる音楽を口ずさみ(それは美弥子や彼女のお母ちゃんのいる世界から送られてくる、神のことばだということだった)、毎日何がそんなに嬉しいのか、ニコニコと喜びの霊のようなものに満たされている様子である(滑稽な表現をお許しいただきたいが、それは彼女と会った人であれば、そうとしか表現しようのないものであることがわかるはずだ)。
 また、そうした喜びが極まった時には踊りだし、「やった、やった。もう最高!!バッチリ!!」といった言葉が口を突いて出るのであった。



 >>続く。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿