リリーの散歩道

クロスワード大好き、歴史ドラマ大好きな主婦です。

ピロリ菌いるって

2017-01-30 15:39:49 | 日記
今日、ピロリ菌検査の結果聞きに行ったら、やっぱり保有しているって。
明日から一週間、除菌の薬朝夕服用です。
一回でも飲み忘れたら効果ないそうです。
副作用でないこと祈るのみです。

頑張らないと
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我が地域の都市伝説

2017-01-28 18:58:34 | 日記

「 年の始めに女の人が死ぬとその年は通夜が多い 」

という言い伝えがこの地域には昔からある。

今年はまさにその通りと思えるように1月になってもう3人のおばあちゃんが亡くなった。

その中のお一人は私の友だちのお母さんで昨夕、お通夜に行って来ました。
子ども時代よく遊びに行ってお世話になりました。

享年、94歳でした。
若い頃からバイクの免許を取って活動的なひとでした。

お通夜の帰り際、友だちとちょっと話が出来たので良かったです。
彼女は手広くお商売していて忙しく、なかなか会ったりできなく、賀状で近況を伝え合っているという状態なので。

今は静かにお母さんのご冥福祈ります。
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天暦の御時の歌合せ

2017-01-26 08:41:58 | 日記

 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり
  
          人知れずこそ 思ひそめしか


現代訳

  恋している、というわたしの評判は早くも立ってしまったことだ。人知れず思い始めたのだったのに。

作者は壬生忠見。
身分はそれほど高くなかったものの、歌にかけるプライドは相当なものがあったと伝えられています。

さてこの歌は「 天暦の御時歌合せ 」でよまれた歌で、先日載せた40番歌

 忍れど 色に出でにけり わが恋は

       ものや思ふと ひとの問ふまで


と合わせられたそうです。

なおこの2首は20番勝負の歌合せの、最後の対戦だったそうで、「 持{ 引き分け } 」という選択もあったがそれは選者としては逃げているようなものとおもわれるかも。

判者は迷いました。どちらも捨てがたい。どうしたらいいだろう。
その時、その場にいらした村上天皇が、小さい声で

 「 忍ぶれど・・・ 」

と口になさったそうです。

「 帝は兼盛の歌{40番歌}の方を高く評価なさってるのだ 」

と思った判者は兼盛に軍配をあげたそうです。

勝った兼盛は大喜び。
逆に負けた忠見は大ショック。

「 恋すてふ・・・ 」

の歌は、考えに考え抜いた自信作だったそうで、この歌で、自分の歌人としての評価を高めようと思っていたのが、なんと負けとは。

ある説によると、打ちのめされた忠見は、ものものどを通らなくなり、ついには死んでしまったとも言われてるそうです。

帝は本当に兼盛の歌を勝ちと考えたのでしょうか。
ひょっとしてすると帝も迷って、たまたま兼盛の歌を口ずさんだのかもしれなのかなという見方も。

一首の和歌は人生を左右するほどの重みを持っていたというお話です。

さて、みなさんはどちらの歌がお好きですか。
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大関稀勢の里、優勝おめでとう~~~

2017-01-23 09:08:25 | 日記
昨日の大相撲、興奮しました。

稀勢の里関が横綱を破って、優勝が更に大きな喜びになりましたね。
その瞬間、一人大騒ぎして家族のひんしゅくかいました

だって感動ものの勝負だったよね。

稀勢の里の出身地の牛久駅前の「 イスミヤ 」というお店が何年も前から稀勢の里のために横断幕やクス玉を用意していたそうですが、そのお店2月1日に閉店するそうで優勝間に合ってその点も良かったと牛久の私の友だちが言ってました。
稀勢の里関は相撲部屋に入門する直前まで龍ヶ崎市で育ったとも言ってました。

地元のファンってありがたいですね。

謙虚で日本人らいし人柄が素敵ですね。
横綱になって欲しいですね。

おめでとう
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ずっと女性が詠んだ和歌と思い込んでいました

2017-01-18 19:02:00 | 日記

       忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は

               ものや思ふと人の問ふまで


この和歌と出会ったのは高校の古典の授業の時でした。
それ以来、なんて素晴らしい歌、どんな女性が詠んだのかしらと勝手に思い込んでいたら、作者はなんと男性だったということを昨日初めて知り、びっくりでした。

作者は平兼盛という人でした。
光孝天皇の玄孫{ やしゃごともいう。ひ孫の子。 }

だそうです。

どんな方に思いを寄せてらしたのかしら・・・


心の中に思う人がいるって素敵なことよね。 
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