地元紙の朝刊の柳壇というコーナーに載っていた
「あの人をこの世で思い出す係」
という句が心に響いた。
思い出す係りと思い出してもらう方、どっちがいいんだろう。
そしてもう一句。
「仮の世に生きて一つの石になる」
これもまたジーンと心を打った。
彼岸だね。
ボーっと生きていても色々考えてしまいます。
生きるって楽じゃない。
「あの人をこの世で思い出す係」
という句が心に響いた。
思い出す係りと思い出してもらう方、どっちがいいんだろう。
そしてもう一句。
「仮の世に生きて一つの石になる」
これもまたジーンと心を打った。
彼岸だね。
ボーっと生きていても色々考えてしまいます。
生きるって楽じゃない。
「思い出すこともしないが、忘れもしない」というのが大好きです。
私が死んで、子供に毎日思い出して泣かれてばかりいられたらつらいし、かといって忘れられたら悲しいし。
こんなこと書いても肝心のあのドラマのシーンは忘れています。
どんなシーンで紋次郎さんはいったんだろう。
でも、中学生か高校生の時聞いたあのせりふだけは憶えています。
近所の彼岸花がつぼみで、ぽつぽつといくつか咲き出しました。
きっとえむさんの心に深く、強く沁みたんでしょうね。
感性豊かだったんですね。
思い出す側、思い出してもらう側、あれこれ考える間もなく自然に順番が巡ってくるのでしょう。
地球の歴史に比べたら人間の一生なんて瞬きする間もないほど短いものかも。
だからこそ尊い命。
先日の親戚の葬儀の際、和尚さまが話してくださったのですがアフリカのある国{国名忘れてしまいました}では葬送に参列する時供物などを持参するお金もないので自分のうちの庭先あたりに咲いている花一輪を持って行きその花を手向け、亡くなった人の前で自分しか知らないその人との思い出や長所を語るそうです。
初めは悲しみでうなだれていたご遺族もみんなの話が終わる頃には顔を上げ胸を張って、ああ自分の知らないいいところ、楽しいことも一杯あったんだと安堵し穏やかなお顔になるそうです。
とてもいい風習だなと思いました。
お近くで彼岸花見られるのですね。
ここらでは咲いてるとこないです。
20年位前、宮城県松島の瑞巌寺に行った時、境内に彼岸花満開に咲いていました。
ちょうど今頃、秋分の日あたりでした。