のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

生と死は大違い、しかし生と死は紙一重

2024-08-05 15:50:05 | 日記
ふと、今までに本気で「死ぬ」と思った瞬間があったかを考えました。なんの前触れも無く、です。なぜ私がそういう思いに陥ったかは分かりません。しかし私には「あ…今日なのか…」と思った日がたしかに在りました。

3月11日、東日本大震災です。
揺れ始めるとすぐに立っていられないほどの大きな揺れに。母とこたつに入ってテレビを見ていました。ちなみに午前中には大学不合格の通知が届き、はぁぁと落ち込んでいた時でした(笑)

カタカタと始まった揺れはあっという間に大きくなり、とんでもない揺れになりました。母は体調が良くなかったのか、どんなに揺れようともこたつから出ず、外に逃げようとした私を呼び止めました(いかがなものか‎🤔)。そして部屋にあったピアノの下に入るよう言いました(ダメ絶対!)。

さて、揺れはとても長かったように思います。実際の時間よりも長く感じました。その時に初めて「死」というものを感じました。
(あぁ…きっと家が崩れて色々な物の下敷きになって死ぬんだな…いやぁそれにしても大学落ちた日に死ぬ?やだなぁ〜痛いかなぁ〜えー痛いよね?やだなぁ〜まだ弾きたい曲いっぱいあるんだけどなぁ〜)
ということを本当に考えてました。車に轢かれる時のスローモーションみたいなものでしょうか?揺れに恐怖しながらものんびり考えていましたね。緩い!と思われるかもしれませんが、「死」が近付いてくる時はそんなものなのかもしれませんね。


写真は私の部屋です(ガラケーの画質!)。揺れがおさまってから行ってみると、色々な物が部屋の中央に集合していました。なんで扉開けたらテレビがいるの?と思ったものです。これは当時モバゲーに載せたものですが、前日の3月10日に「生と死は大違い、しかし生と死は紙一重」というタイトルの日記を投稿していました。

では東日本大震災が自分のなにか大きなポイントか?と言われればそういうわけではないようです。「死ぬかもしれない」と感じた唯一の瞬間ではあります。1000年に1度と言われる大きな揺れを体感しただけ、という感じ。実際その後の被害は私なんかよりもずっと大きな方がたくさんいたわけですし、ライフラインもそんなに影響はなかったです。

ただ、たしかに「死」を覚悟したことは大きいかもしれません。ほら、体調崩した後って健康に感謝するじゃないですか?それと同じで、ただピアノが弾けるだけで幸せを感じます。大袈裟ではなくて。

先日、大学の友人に久しぶりに会いました。彼は、出会った頃に私が言った「俺は俺の周りの人が幸せそうなのを見ると自分も幸せになるから、周りが幸せならそれでいい」と言ったのが印象的だったらしいです(言った覚えは全くないけど、たしかに昔からそう思ってはいる)。友人は非常に自己中心的な人間なので、私が言ったことは全く理解出来なかったらしいですが、最近それが何となく分かる気がする、と言っていました。
震災では幸いなことに身内の犠牲者は出ませんでした。もしかするとこのことが原因でそういう考えに至っているのかもしれません。彼に久しぶりに会ったことがトリガーとなって「死」について思い出し、そして考えたのかもしれませんね。

練習、演奏会、レッスンなどをしていると音符に追われることが多々あります。一度立ち止まり、たとえ苦い思い出でも噛み締めてみる時間は大事なのかもしれません。一度深呼吸をして今生きていることに感謝しながら大好きなピアノにもう一度向き合おうと思います。譜読み祭りです。ブクステフーデを始め、今はこの世にいない人間の創った音楽にただただ真摯に向き合っていきます。

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