《( 8½ )の俯瞰図》
現在、私たちは「Ⅴ.『VR起雲閣』を研究している意味」にいます。今回は、ベルタランフィ氏や
ウィーナー博士が「勘違い」した ほんとうの理由(化生論を知らなかったこと)と、
「薔薇十字団」が地下にもぐった理由(ブルーノの火刑)に迫ってお伝えします。
ともあれ、フィードフォワード(プレイヤーが自発的な意思で その製品を 自ら進んで操作する事)
が VR作品の特徴ですから、inter BEE などの日本の電子機器の展示会に、例えば 『VR起雲閣』や
『VR TANIZAKI』『VR 源氏』ファンの 東南アジアのバイヤーが 多く集まれば、日本製の VRが世界
に普及します。おそらく、次回には、その話ができますから、
今回は、その重要な伏線、という位置づけです。
Ⅴ.『VR 飛雲閣』を開発する意味 についての研究は(30)から 続いています。
Ⅵ. Ⅴと密接に関わりますが『薔薇十字団物語』を始めました。(38)(39)
《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2021.11.xx 鋳型化ここから 》
ウィーナー博士が「勘違い」した ほんとうの理由(化生論を知らなかったこと)と、
「薔薇十字団」が地下にもぐった理由(ブルーノの火刑)に迫ってお伝えします。
ともあれ、フィードフォワード(プレイヤーが自発的な意思で その製品を 自ら進んで操作する事)
が VR作品の特徴ですから、inter BEE などの日本の電子機器の展示会に、例えば 『VR起雲閣』や
『VR TANIZAKI』『VR 源氏』ファンの 東南アジアのバイヤーが 多く集まれば、日本製の VRが世界
に普及します。おそらく、次回には、その話ができますから、
今回は、その重要な伏線、という位置づけです。
Ⅴ.『VR 飛雲閣』を開発する意味 についての研究は(30)から 続いています。
Ⅵ. Ⅴと密接に関わりますが『薔薇十字団物語』を始めました。(38)(39)
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◇ 『点燈夫』パリ第8大学ATI (IVRC2018)
2018年の IVRC 国際学生対抗 VRコンテスト の決勝大会 の会場は、幕張メッセでした。( IVRC 2018は、国際放送機器展 inter BEE@幕張 と同時開催された DCEXPOの併催イベントとして行なわれました。)このとき会場に おられたのは、放送機器関係の社員さんばかりで、VR作品の展示をしていた学生たちは「期待していた感想」(日本科学未来館で 展示していた時のような感想)が戻ってこないことに 大いに不満を感じたそうです。 ( 私が、たまたま話を聞いた 参加学生たちの 一様に語った印象ですが、分かりやすい商材だけに 関心がある、という雰囲気を inter BEEの日本人の見学者に感じたそうです。)
2018年の IVRC 国際学生対抗 VRコンテスト の決勝大会 の会場は、幕張メッセでした。( IVRC 2018は、国際放送機器展 inter BEE@幕張 と同時開催された DCEXPOの併催イベントとして行なわれました。)このとき会場に おられたのは、放送機器関係の社員さんばかりで、VR作品の展示をしていた学生たちは「期待していた感想」(日本科学未来館で 展示していた時のような感想)が戻ってこないことに 大いに不満を感じたそうです。 ( 私が、たまたま話を聞いた 参加学生たちの 一様に語った印象ですが、分かりやすい商材だけに 関心がある、という雰囲気を inter BEEの日本人の見学者に感じたそうです。)
最初から こうした余談で 申し訳ないですが、ご存じの通り 米国 CES 2018 の基調講演では Intel社の Brian Krzanich CEO が、今後、8Kテレビが 茶の間のVR端末になることを 断言しました。これからの「大画面VR」の 重要性を「データが イノベーションの源泉になることの好例だ」と強調したのです。(CES セス は、毎年 開催されている 民生用電子機器の大展示会です。ラスベガスでも最大級の 巨大な規模で 実施されています。)
例えば、楽しくプレイした方も おられるでしょうが Wii を使って 8Kの大画面で「マリオカート」を走らせると面白い、とお気づきの方は多いでしょう。そうした 視聴覚 以外の感覚を働かせる ドライブゲームが 今後は 8Kテレビの見慣れたコンテンツになることや、また、サッカーの観戦を 「審判」と一緒に動くカメラで見ることや 「走る 選手の視野が そのまま写せるカメラ」で リアルタイムに観たりすることを観客が 自由に選べるようになるでしょう。そうした姿が、つまり 8Kの大画面の臨場感で 観客が自分の能力を拡張させて現実を操作できる姿が、映像メディアの未来です、と Krzanich氏は解説しました。 データが イノベーションの源泉になる からです。
電子機器の明日の常識を伝える 米国CESでは、VRの未来が発表されました。
私の言葉による紹介になりますが、こうした映像機器の未来では、国際放送機器展が「コミケの展示会」みたいな フィードフォワードな 親密な 雰囲気を将来 持つことになると思います。例えば 映像機器の販売代理店には 必ず「私は このコンテンツを どうしても顧客に薦めたい」と信念を持つ熱い社員がいて、その人が売り上げを伸ばすでしょう。そうした VR機器の未来を考えると、2018年暮れの inter BEE 会場で見学しておられた会社員の皆さんは、今後、相当の努力が強いられるようにも思いました。
次回以降に、
inter BEE に 例えば「VR 源氏」ファンの 東南アジアのバイヤーが 多く集まれば、日本製 VRが世界に普及する
という話を、また改めて論じます。
ところで、IVRC2018 では、フランス Laval Virtualからのシード選出の学生作品が 幕張メッセ会場での人気を大いに集め、第2位(日本VR学会賞)を受賞しています。(ちなみに、このときの総合優勝は、明治大学総合数理学部『ブレインツリー』でした。)【IVRCアーカイブス】
L’allumeur de réverbères (ガス燈の点燈夫)パリ第8大学ATI (IVRC 2018)動画あり
L’allumeur de réverbères (ガス燈の点燈夫)パリ第8大学ATI (IVRC 2018)動画あり
ガス燈の点燈夫と聞けば すぐに『星の王子さま』が思い出されます。サン=テグジュペリの小説では、点灯夫の星が 1分ごとに自転するので、点灯夫も 1分ごとの点燈・消火を繰り返しました。一方、上の VR作品では、スクリーン上の ある浮島に 点燈夫がいて、隣のガス燈の島に渡ろうとして 奈落に落ちていきます。どうやら 見えているガス燈 全てに点燈する必要が ありそうです。スクリーンの手前でそれを見ている観客が本物の木で台を作ってあげると、その影を伝って点燈夫がガス燈の島に 無事渡り、観客 が ほっとします。場面が変わると、浮島間の距離が離れて、難易度が上がっていきます。
小説『星の王子さま』がネタ元だとは、『点燈夫』のどこにも 触れていません。
しかし、フランス人学生が「点灯夫」を作りました。教養のある人なら、納得します。
(ですから、日本人学生が「歌物語」を VR作品のプラットフォームに選べば、
教養ある日本人の作品だから 源氏・平中なのだ、と ごく自然に納得するのです。)
◇ 「薔薇十字団物語」第3回
フィードフォワードが、
「ウィーナー博士とベルタランフィ氏のフィードバックの真意」であり、
坂本賢三先生が定義された「錬金術」であること
を論証してしまいました。
つまり、「薔薇十字団」に隠れて継承された フィードフォワードが 一般システム理論の起源だった、ことになります。『ヘルメス文書』やプラトン全集が 西欧に最新技術(と その倫理)としてルネサンス期に輸入され、ラテン語訳されて出版され、民衆の大きな関心事になったからです。
また 例えば、メディアに掲載する統計の数字として「ある政策に賛成する人の数字を増やしたい」ために 偏りのある 原データを 操作者が意図的に選んで 計算した場合は、フィードバックです。フィードバックは、恣意的な結果を得るために、自分の良識に蓋をして 奴隷労働に殉じる 創造力の墓場です。
一般システム理論や サイバネティックスで、フィードバックとフィードフォワードが取り違えられてしまったのは、単純な間違いからでした。「化生論科学」(ヘルメス主義科学)を「今日の科学」の源流だと考える科学者が 1950年代まで いないと言っていい状態だったからです。占星術や錬金術も、迷信だと思われていました。従って、一般システム理論の提唱者たちは、それが デカルトたちの機械論の後継理論だろうと「誤って」(デカルトを読まないで)思い込んでしまっていたのです。
しかし、そもそも人類社会は 1万年もの間 化生論を実践し続けていて、ことわざ、まじないや 占いの結果、あるいは、民間医療などをビッグデータとして 検証(実証)し続けていました。化生論は 迷信ではなく、その方法論は、現在 スパコンの社会シミュレーションなどに役立てられているのです。
※ (34)に 源氏物語の「VR 空蝉」を載せました。操作者が「自分が光源氏になった」と思って 空蝉の衣の匂いを嗅ぐのが、フィードフォワード(本来の 一般システム理論)です。操作者が、前回の実験結果と比較して 衣 体感装置の性能向上を検証した場合には、フィードバックの機械論ですから VRシステムの体感 では ありません。「VR装置の交換用部品の性能向上」のための研究です。論文提出の際には、それが VRの論文か 部品交換のための 機械論的論文かを明記する必要があります。
※ フィードバックを 唯一の(科学的)解法だと考えることこそ、迷信(機械論への過信)でした。
今回は フィードフォワード =「購入者目線で 新商品開発 などが行なわれること」について論証します。
******
関ヶ原の戦いは 1600年(旧暦の)9月でした。同じ 1600年の 2月に 西欧では、ジョルダーノ・ブルーノが火刑にされています。遺体は灰にされ 川に流されました。今回は、キリスト教では異端者が なぜ火刑にされたのか、から話を始めます。
欧州では 通常、遺体を土葬にしていますが、これには 大きな理由がありました。
16世紀に ミケランジェロが システィーナ礼拝堂に描いた『最後の審判』には、これまで地上に生きてきた あらゆる人間が(この世の終わりに)一度 全員が 復活して(肉体に戻って)キリストの前で裁きを受けています。ここでは キリストが「シェー!」をしているように見えるのですが、キリストによる救済を信じる人たちが絵の左側(から上の天国方向)へ、そして 信じなかった異端者が地獄へと振り分けられています。
私は 塚本虎二氏訳『福音書』(岩波文庫)を 3度 通読して「キリストの奇跡」を読みましたから、天国に行けます。
こうした 世の終わりの復活と裁きに備えて、キリスト教の カトリックと 東方正教会では、ほとんど土葬で死者が埋められます。(プロテスタントは 最近は火葬も多いのですけれど、米国映画の埋葬場面は主に土葬です。映画で 火葬の場面が 当たり前になると、ゾンビや 吸血鬼が登場しづらくなるからだ と私は考えています。)ちなみに、ミケランジェロの『最後の審判』は、「ラッパのなる時、死者が朽ちないものに よみがえり、…」という、例の『ヨハネの黙示録』の預言のビジュアル化です。
※ 世の終わりに 魂が肉体に戻るのは、エジプトを経由した ゾロアスター教からの思想でした。
ということで、異端者 ブルーノを火刑にして 灰を川に捨てたのは、最後の審判での 復活をさせないためでした。教会が「普通の人々が迷いの道に入らないよう指導」をしていたので、「おまえら異端者は 天国には間違っても入れてやらない」という意思表示だったのです。
※ 教会が認定する「異端者」は、教会の利権を侵す人たちのことです。この次に論じます。
ジョルダーノ・ブルーノ(1548―1600)は、地球が宇宙の中心ではない。この宇宙は無数の宇宙からできていて、神はこの無限の内にある。変わらないものは何もなく、すべては相対的で変化する。現実とは、人間の精神によって創り出されるものであるから、カトリック教会に優位性はない。と主張して、更に コペルニクスの地動説を講演で支持していました。それで火刑にされました。今なら普通に そう考える人が多いので、1979年にカトリック教会は公式に ブルーノに対する異端判決を取り消しました。
※ これを、下世話に、社会システムにおける利権 の取り合いだと考えてみましょう。ルネサンス期の教会は「創世記」『福音書』などを論拠に「有機体論科学」で、牛や馬は神様が造ったのだから 収穫した生産物の一部は教会に寄進しろ。と民衆を「指導」して、更に 贖宥状 しょくゆうじょう を売って ぼろ儲けをしました。飽食の悪習や 愛人を抱える者まで いました。1517年にマルティン・ルターが『95ヶ条の論題』を書いて、さすがに 贖宥状は まずいんじゃないのと言いました。もう少し昔なら、ルターを呼び出し 拷問して舌を抜けば良かったのですが、印刷物に阻まれました。ルターの メディア戦略が優れていたのです。結果、教会から プロテスタントが分離、独立。映画『王妃マルゴ』(1994年)の「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)みたいな惨劇まで起きて、ローマ教会の収入は激減しました。
※ そこに現われたのが、ブルーノたちヘルメス科学の信奉者です。教会は 彼らも警戒しました。
教会中心の 社会システムは、単純なフィードバックでした。農民たちが収穫したものを「神からいただいたものだ」と賛美して、メーカー(神様)の論理で 収穫物が(上から目線で)民衆の市場に届けられ、その利益の一部が 民衆からの喜捨として 教会に流入しました。メーカー・プッシュ型の循環です。
※ 食事の前の お祈りでは、食物は エホバ(神)の贈り物 だ と断言されます。
※ 昔の食事は、女神様からのお恵みでした。それはとにかく、神様→神を背後にした教会→民衆 の権威構造でした。
※ 教会は、プロテスタントから「あんたたちは、神の奇跡の前には 不要な存在だ」と その活動をフィードバックによるリストラと同じ方法で全否定されました。イデオロギー(めんつ)の問題です。その結果 「サン・バルテルミの虐殺」が起きて 推定 3万人の新教徒が フランスでは 殺されました。
他方、ブルーノが唱えた 化生論 の科学では、錬金術(当時の フィードフォワード)を用いれば有用な人工物が (3倍偉大な)ヘルメスの与える その科学の応用で(教会の権威と関係なく)購入者が欲しかったもの・求めているもの として「市場 pull」型の生産によって(錬金術で)手に入る(はず)でした。
※ 教会は ここでも無視されたと怒ったので、利権を阻むとして ブルーノを火刑にしました。
こうした経緯から考えると、「一般システム理論」「サイバネティックス」「VR」などが、フィードフォワードであることは 当然 のことでした。例えば、GAFAMでやっている研究だから 多分重要な研究なのだろうと、テーマを剽窃して論文を書けば、まじめに イノベーティブな研究をするよりも 4-5倍は効率良く 論文が量産できます。しかし、それは「補修部品の工学」なので 非イノベーティブな メーカー・プッシュ型の研究に過ぎません。フィードバックの研究です。 奴隷労働に殉じる 創造力の墓場です。
ですから、プロの研究者や 学部学生は、イノベーティブな科学に 立ち向かうべきなのです。
教会が ブルーノの異端判決を 20世紀に 撤回したのは、ですから 非常に重要な意義を持ちました。
《 鋳型化ここまで 》
フェロー武田 「『点燈夫』+「薔薇十字団物語」③ ブルーノ 」(VR奥儀皆伝(8½)(40))
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2021.11.xx
フェロー武田 「『点燈夫』+「薔薇十字団物語」③ ブルーノ 」(VR奥儀皆伝(8½)(40))
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2021.11.xx
歴史の交差点で、教会という名前の 大型ダンプが ブルーノという軽自動車に対して 8年も あおり運転を繰り返し、そのあげく 追突して運転手を 1600年に殺してしまったことでは、後続するリムジンや 軽トラックの数十台に大きな玉突き衝突を引き起こしました。
まず、エリザベス1世の次に英国王になったジェームズ1世は 自ら『悪魔学』を執筆して教会の無謀な追突を支持し、ジョン・ディー博士への支援を打ち切りました。それを見て、F・ベーコンは『ニューアトランティス』の出版を取りやめます。ガリレオは、ブルーノのように火あぶりにされるのか、地球は動きませんと誓約書を書いて自宅謹慎するかの どちらかを選びなさい、と言われて謹慎を選びました。デカルトは、ガリレオの裁判を聞いて『世界論』の出版を取りやめます。歩道でそれを見ていたシェークスピアは(ディー博士をモデルに)『テンペスト』を書きました。そして何より、
ブルーノや ディー博士の遺徳をしのんで「薔薇十字団」のロンドン支部(新宿にある北京料理の『随園別館』に本館が無いように、本部は ありませんでした)が組織されました。イタリアで『ガリレオの弁明』をガリレオに頼まれた訳でもないのに勝手に出版した 軟禁状態の僧侶 カンパネッラは、身の危険を感じて パリに脱出・亡命。このときに フランス国王の ルイ13世が カンパネッラたち化生論の科学者を厚遇して研究費を与え(て広告塔にし)たことが影響を与え、英国に Royal Societyが誕生しました。その中心メンバーに(自称はしていませんが)薔薇十字団 ロンドン支部が含まれていたことは 確かです。
こうして、まるで交差点の玉突き衝突のように、化生論は 20世紀科学への途をたどり始めます。
【ジョルダーノ・ブルーノ】 Giordano Bruno(1548―1600)
イタリア・ルネサンス期の哲学者。ナポリに近いノラに生まれる。1563年ドミニコ会に入会、まずトマス・アクィナスの思想を学ぶが、ライムンドゥス・ルルスの記憶術にも興味をもち、とくに古代やテレジオの自然主義から強い影響を受ける。異端の疑いで裁判にかけられることになって修道院を逃亡し(1576)、イタリア各地をはじめ、スイス、フランス、イギリス、ドイツを遍歴。とくにロンドン滞在中には、『無限、宇宙と諸世界について』(1584)などイタリア語で書かれた代表作を矢つぎばやに出版する。1591年イタリアに帰り、1592年ベネチアで訴えられ、1593年ローマに送られて、8年間の獄中生活のすえ火刑台上で死んだ。
彼は、コペルニクス説に基づいて、宇宙には固定した中心はないとし、際限のない空間で、数限りのない世界(天体)が運動しているとする。さらに事物の内的構成にかかわる「原理」と外的力としての「原因」を区別し、無限な宇宙の第一原因として、すべてをつくり動かすと同時に、形相原理として、質料原理に形を与える宇宙霊を考える。この宇宙霊によってまとまりをもつ無限な宇宙を、神の足跡、神の展開とみなしている。したがって、ブルーノによる宇宙無限性の追求は、神の探求と解することができよう。人間は認識の力をもち、宇宙の事物を理解することができるために、神の影とよばれる。
[大谷啓治] 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) Thanks to コトバンク