( 8½ )(36)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-08-22 | バーチャルリアリティ解説
Number36 / パーク VRアトラクションを実作します 〈後編 ③-7〉
                          【( 8½ )総目次 】
 「桃山 / 江戸 / 日本人」そして「博士の勘違い」⑦ VR之極意:③
 
 《 本Blogの 今回の頁は引用できます。本頁は近く鋳型化されます。2021.08.xx 鋳型化ここから 》


〇 源氏物語の桐壺 (・若菜

 ジョルジュ・バタイユの
『L'ANUS SOLAIRE』(1931)34)を原作にした VR作品の作り方については、また後に書きます。

 しかし、そもそも

   『L'ANUS SOLAIRE』をフランス語で読み取り → そのニュアンスを解釈すること
が とっても大変(仏文学研究者以外には不可能)です。

 ですから、面白くて分かりやすい VR作品を生み出す素材としては『L'ANUS SOLAIRE』などではなく、

   「源氏」「伊勢」などを出発点にしたほうが、
   日本人には断然有利です、
   と、私は
(ごく当たり前の事を)言っているのです。


 画像借用元:https://shigeyoayumi.hatenablog.com/entry/43804148

 ここでは「源氏」から引用します。俵万智さんの『愛する源氏物語』(文春文庫)の 21頁を開いて下さい。
   この ご本は(紫式部文学賞も受賞していて)ものすごく役に立ちます。

 『源氏物語』の冒頭、桐壺更衣(光源氏のお母さん)が衰弱している場面です。彼女のすぐ下に子供(3歳児)を抱いた女房が見えますが、この子が光源氏だそうです。(お茶の水女子大学 エステル レジェリー=ボエール氏説)

 そして、これが、桐壺の辞世の歌です。

   かぎりとて 別るる道の 悲しきに
   いかまほしきは 命なりけり
               桐壺更衣

 桐壺は、愛する帝と 美しい子供(光源氏)を 残して死にゆこうとしています。
 これを、
   限りある 命だけれど どうしても
   今は生きたい あなたのために

             
(万智訳)
と、万智さんは 現代の和歌に訳しました。 すっごい。これなら僕にも良く分かる!

 元の和歌の解釈についてですけれど、
   分かるる道、ですから「行かま」ほしき。
   命ですから「生かま」ほしき、と
   両方に読めるよう 考えて置かれた言葉ですけれど、

現代人の読める和歌にするために、万智さんは
「生く」のほうを活かしています。

 ということで、この絵は『源氏物語絵巻』の 桐壺の巻です。
 宮中で亡くなることは(不浄で)許されないので、この句が 桐壺と 帝(光のお父さん)との今生の別れ になります。例えば、ですが、
   女房に抱かれて座っている光ちゃん(多分)の視点から見える室内
を 3D で映像化してみましょう。
 この場面では、
   祈祷師が たいた護摩の 残り香 ですとか、母の着物の お香の匂い とかが
 VRで描かれています。画面から 香りが感じられます。

 この絵の「光ちゃん」の頭の位置に、自分の頭があって、そこから室内を見回したところを想像して下さい。父親の泣き崩れる姿や 母親の起きているのもつらい という姿が目の前に見えています。もし、ここが『VR桐壺』というタイトルのテーマパーク・アトラクションでしたら、キューラインで観客が「あなたは、この場面では、光ちゃんです」「動機付け」されます。観客は自発的に、自分が光源氏になった気持ちで 自然に首を廻して周囲を見るはずです。天井も見えます。

 このすぐあとに、母親が ここから慌ただしく運び出されようとする場面では、すぐ後ろから、女房に連れられた光の視線が 母を追っているかも知れません。これが「観客が動機付けされて、自発的に VR世界を眺めている」状態です。

 なお、時代考証で言えば、金屏風は 信長以降なので 物語の 3D CGに描くか描かないか、議論になる所です。私の考えは、この絵巻が描かれた時代と同じころの、宮中や二条城のような格式の高い建築物の内装(折上格天井 おりあげごうてんじょう なども含めて)を参考にすれば良いと思います。

 ※ 仮に 私たちが日常生活で、ジュースを買おうと自動販売機の行列に並んでいたとしましょう。突然、知らない学生が寄ってきて HMDを手渡され、「これをつけて、首をこんな風に廻して下さい」と いきなり言われたら どうしますか?「こいつ変な奴だ」と 思いませんか。
 IVRC作品のキューラインでの「操作説明」に、日本語の日常会話には絶対出てこない「腕の曲げ方、首の曲げ方」などの説明を聞くことが 時々あって、外国人留学生などが近くにいると「あれが正しい日本語会話 ?」と誤解されやしないか、ひやひやします。観客の好意に甘えて、観客に奴隷状態になって頂くことで ようやく体験できる VR作品、というのは、要するに「まだ作品として完成していない」証拠です。例えば、キューラインで 上の絵巻を見て貰って、「あなたは 3歳の光です」と言われれば、観客は「室内はどうなっているのだろう」と興味津々で、普通、首を廻すはずです。

 ※ とても面白い資料がありました。漫画『あさきゆめみし』を仏訳しましょう、と この研究者も言っています。【参考】「フランスにおける『源氏物語』の受容」(エステル レジェリー=ボエール お茶の水女子大学PDFダウンロード ウェイリー訳が地の文章に入れた和歌を、仏訳では独立させているそうです。フランス人の感性だと思えました。

 ちょっとだけ、フランス人の翻訳における感性という意味で、「風月堂のゴーフル」(33)に補足しておきましょう。ゴーフル、フルサイズの缶を開けると、和紙に「文豪谷崎が愛した・・・」と書かれて、この『細雪』最終頁の)和歌が添えられています。

 右側に日本語対訳を、Google翻訳に通した結果で載せておきます。
   Tout ce jour je l'ai passê       一日中過ごしました
   
À choisir des vêtements,      服を選ぶのには、
   
Je me lamente inconsciemment    無意識のうちに嘆く
   
Parce que c'est pour me marier    結婚をするから

 「けふもまた 衣えらびに 日は暮れぬ 嫁ぎゆく身の そゞろ悲しき

 (『Quatre sœurs 』G. Renondeau 訳 1964年、原作『細雪』1948年

 華族に嫁ぐ日も決まり、姉の家に戻る東京行の列車で、雪子が こんな和歌を思い出していました という場面です。マリッジブルーの和歌で、本歌取りではなく 潤一郎の自作のようです。小説全体を通じて、翻訳者の Renondeau氏の力量は とても優れたものだそうで、いま、『Quatre sœurs』を 武田 Lemonさんが読んでいますが「すごく読みやすい。とても自然なフランス語」だそうです。原作の姉妹の日常が とても面白いので、すらすら読めて楽しいと喜んでいます。
 小説を書く潤一郎が この和歌を地の文にまぜてしまった理由は、雪子が決して「嫌がっている」わけではない、ごく普通の「マリッジブルー」だからでした。嫁ぎ先では お手伝いさんが、お料理から掃除洗濯まで手伝ってくれます。奥様は 自室で「谷崎源氏」を読む時間も十分にありました。
 ですから潤一郎は、和歌を独立させて 結婚を嫌がっている、みたいに誤解されたくなかったこと。そして、このあと(皆さんご存じの通り)太平洋戦争が始まって、華族も配給がとどこおったり疎開先で苦労する時代が来るという漠然とした不安を、雪子ちゃんの側では「もうすこしお姉ちゃんの家でごろごろして、妹に爪を切らせたりさせていたかった」というマリッジブルーで表現した、というのが私の解釈です。しかし、原作の終わらせかたは、評論家の皆さんに はなはだ評判が悪い。あまりに唐突だ、というのです。私には それが狙いだったのだ、と思えますが。ともあれ、フランス語翻訳者の Renondeauさん です。「うーん。確かにちょっと 長編小説としては 唐突な終わりかた、なのではないデスカ?」オーケー。それなら、翻訳者の特権で、和歌を独立させましょう。ほら、なんか「紙芝居の『終わり』と描いた紙」みたいに上手に話が終わったでしょう。
 ですから、今後に『細雪』4姉妹の「花見」を3D CGで再現してお見せするといった趣向の VR作品を作った場合には、フランスの国際会議場で 外国人とこういった「和歌の雑談」が できるのです。(もちろん、持参したお土産が 風月堂のゴーフルだったからです。)日本人には有利な話題です。

 ちなみに「桜の下に毛氈を引いて花見する風習」は、豊臣秀吉が 始めました。


 「醍醐の花見」前田利家とまつ の待つ醍醐寺に、秀吉が、正室の 寧々、淀君(秀頼の母、側室)、松の丸(側室)、そして 1300人の女性たちを連れて到着したところ(想像図)です。女性たちは、諸大名の奥さんと 各地のミスきもの。(お色直しの着物も持参させました。)
 ※ だから私は。桃山文化を、80年代風バブリー文化として解釈すると良く分かると思っています。
 ※ 荻野目洋子さんが満員の武道館を一夜 巨大ディスコ会場に変えたのは、彼女に民謡の素養があったからです。好景気のバブリーは、母系制の遺制を盛んにさせます。ディスコパーティは ビーナス神への奉納の神事ですから、そこに「やぐら、お立ち台、舞台」(神の依りしろ)を建てて、神がかりになった踊り手が踊り、歌手が歌いました。

 桃山時代の花見。そして、谷崎がノーベル文学賞 の最有力候補だった話は、また改めます。

 ここから 〇 若菜 です。

 もうひとつの 和歌の重要なテクニックで、「本歌取り」があります。

   以下の内容は、平安時代が「通い婚」だったからで、良い子は真似しないように。

 ・・・と VR製作奥儀を続けて書くつもりだったのですが、結構 長くなって疲れてきました。

 次回以降に、続けさせて下さい。

   光源氏には、子供の頃にさらってきて、自分好みの高級な趣味の女性に育て
   あげた「紫の上」という正妻がありました。良くできた奥さんです。
   ところが、出家した朱雀院が 自分の娘「女三の宮」を光にやる、と言ったので、
   断り切れず、彼女が降嫁することに決まりました。身分から言って、
   光源氏の「正妻」です。

   ところが、このお嬢さん、育ちは良いが 気の利いた 和歌の返事が無い。
   (つまり、和歌を 苦心して考えて送っても、男性が「おっ」と思うような 気を引く返歌 が返ってこないので、・・・。それは、育ちが良すぎて ファザコンで 恋に悩んだ経験もなく、父親の秘蔵っ娘に育てられたから 仕方がない と言えば 仕方ないことだったのですが・・・。)
   ついつい、光は 紫の上に入りびたり。そのまま、7年が経ちました。

   そして、大事件が起きるのですが、それはまた次回以降に。

 ※ 紫の上が亡くなって 一年間、光源氏は ぼおっとして泣き暮らしました。その中から二首。

 君亡き三月の春の庭。(太陰暦なので、今の4月です。)紫の上が丹精込めた 美しい庭を見るにつけて、光源氏には 彼女のことが 偲ばれます。今はとて今こそ出家してしまおう)と思って眺めると、これから無人になって 荒れ果ててしまう 庭の様が 切なく想像されます。

   今はとて 荒らしや果てん
   亡き人の 心とどめし 春の垣根を
                光源氏(「幻」)

   あきらめて 荒れさせるのか
   亡き人が 心をこめた 春の垣根を
                (万智訳)

 そして、五月雨 さつきあめ・さみだれ の歌です。(今の 6月、梅雨入りの頃です。)

   なき人を しのぶる宵の村雨に
   濡れてや来つる 山ほととぎす
                光源氏(「幻」)

   亡き人を しのんで流す涙雨
   来てくれたのか 山ほととぎす
                (万智訳)

 ほととぎすは、この世と あの世を行き来する鳥です。光源氏は、女三宮を正妻に向かえることになっても ボクの紫の上への愛情は変わらないから 前世からの強い因縁と考えて、ここは安心して、正妻の座を降りて 部屋も向こうの方に変えてくれる?と わりと軽い気持ちで 女三宮を迎えました。でも、紫の上にしてみれば 光源氏しか 頼れる人がありません。正妻を降りたことで 気に病んで 病気がちになり、やがて 亡くなってしまいました。光源氏は、まる一年間、ただただ泣いて暮らしました。 

 ※ 窯変橋本源氏と 俵万智さんの『愛する源氏物語』を続けて読めば、最短時間で すらすら 源氏が頭に入ります。それでも長いという せっかちな人には、瀬戸内寂聴訳 21世紀板少年少女古典文学館の 5、6巻を。 でも理想は、薄茶を飲みながらの 谷崎新新訳です。(2024.06.10)

 〇 落穂拾っておきます

 ジャン=フランソワ・ミレー『落穂拾い』(1857年)Wiki 

 (31)に、「日本文化の波動図」を ご紹介して、
   上山春平氏は、この波動の理由を、1万年以上にわたって日本で「高度に発達した狩猟採集文化(縄文文化)」が中国や欧米の文化を輸入するときのフィルターになっているのだと興味深い分析を示しています。
と書きました。(もう少し詳しい説明は、梅棹忠夫、多田道太郎 編著『日本文化の構造』講談社現代新書、1972年所載、座談会「日本人の好奇心とエネルギーの源泉」の pp.33-73にあるので、その要約を考えています。)

 私は 高度に発達した狩猟採集文化 というのは、要するに「社会の主要な財産である食物」は女性が管理していた、制度としては 母系制の社会だった、と考えています。もし、皆さんのお家で、給料を全額 お父さんがお母さんに渡していたら、皆さんのご先祖は明治以前まで、母系制のお宅だったかも知れません。少なくとも、母系制の特徴が強く残ったご家庭でした。米国人のご友人がおられたら、給料について聞いてみて下さい。

 今回、このことを 説明してしまおうと意気込んでいたのですが、数日前、冷蔵庫にしまい忘れたチーズとバターを翌朝食べて、見事に食あたりを起こしてしまいました。時節柄、皆さまもお気を付け下さい。

 ということで、詳しくは 次回以降の「落穂拾い」で。ともあれ、
   信長の金屏風 → ベルエポックの金色趣味?。そして、
   桃山文化が、江戸時代の文化の「規範」になった?。を前提とすると、
   上山先生が見つけられたように、文化は 40年周期で戻ってきますから、
これからの 2020年代は、

 1980年代のような好景気が、女性主導で再燃する。ことに なるでしょう。

 (1940年代は、戦争がなければ、未曽有の好景気だったのかも知れません。あるいは、その日本の 潜在 GNPに目が付けられ、太平洋を舞台に 武器供給業者が 大儲けしたのが あの戦争だったとも言えます。つまり、1940年代 → 80年代 → 2020年代 というのが 私の「日本文化の波動」賛同説です。)

   《 鋳型化ここまで 》
   フェロー武田 「源氏物語の桐壺・若菜」(VR奥儀皆伝(8½)(36)
   Blog TP-VR Attract.のトリビア 2021.8.xx

   【参考】「岩崎宏美 聖母たちのララバイ1982年
   (「火曜サスペンス劇場 OP-ED曲『聖母たちのララバイ』は 初代の 1981年からの
   オープニングテーマで、視聴者200名のプレゼントに「35万通」を超える 応募はがきが
   寄せられて、急遽、レコーディングされました。)
    薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」1981年
   テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」「邓丽君 我只在乎你日本語 中国語 1986年
   【おまけ
   「タッチ」 岩崎良美 1985年「白い色は恋人の色」ベッツィ&クリス 1969年

 ◇ 平安時代の「通い婚」この内容は(37)以降に 移動する予定です。

 今回 この話も 体調の不良を押して書こうと思った理由は、(32)に この図を載せたからでした。

 EPCOT 2032(仮称)の『VR 飛雲閣』桃山文化
   ↑
 横浜ジョイポリス 1994 の ライド・アトラクション(「VR-1」など)
   ↑
 ディズニーランドの ライド・アトラクション 
(19)
   ↑
 ルードウィッヒ2世の『ビーナスの洞窟』 
(18)

 たまたま、NHK BSの「4Kでよみがえるあの番組」『未来への遺産』(13)「ヴィーナス~彼女の周辺」を観ていたら、ここで書きたかった結論が、アナウンサーの口から明瞭な日本語で、はっきり言われてしまいました。
 ビーナスの神殿で、タンホイザーが参加した性的な「儀式」(フリーセックス)は「豊饒の女神に対して、おいしい食物を 私たちに たくさん与えて下さい」と願う、女神を喜ばすための奉納の儀式だった、とナレーションが言うのです。調べてみると、実際そうでした。これは、ギリシャの歴史や神話に詳しい研究者には常識以前の話で、NHK取材班の『刻まれた情念』NHK「未来への遺産」取材記2(1975年)には(フリーセックスについての)参考書が どうだ。これでも信じられないか、と 山のように紹介されています。(p.337) 夫や恋人の男性も、儀式には 是非 参加してくるように と 妻や恋人に薦めました。この奉納の儀式は、疑いもなく「母系制社会」の産物です。ですから、男性神のヤハウェ(エホバ)とイエスを崇めるローマ教会は、厳格に弾圧しました。しかし、母系制社会においては、夫を選ぶのは花嫁の側です。「源氏」の時代の日本では、結婚式を挙げた夫は、近所の独身の娘さんや(他所のお宅の「夫」の目を盗んで)人妻と仲良くして そのお宅に泊って来ても 正妻から叱られませんでしたが、正妻の家に時々 ちゃんと戻って仲良くしないと離婚されました。家・土地・農具の所有者、保存した種もみの管理は 奥さんで、財産を女性が持っていたからです。正式の結婚による子供であるか否かを問わず「子供は生んだ母親の子供」ですから、DNA検査不要で親権は母親でした。というか、財産のあるのが(貴族以外は)母親なので母親(と祖母)が育てるのは きわめて当然でした。ですから、テーマパーク・アトラクションの起源の一つである ルードウィッヒ2世『ビーナスの洞窟』というライドは、① 母系制社会の「通い婚」と同じ社会システムを前提とした作品で、② エリザベートという処女がキリスト教では禁止されている自殺という異教的な自己犠牲をしたのでタンホイザーが救済された、というオチを用意したことで隠ぺいして、女神を喜ばすための奉納の儀式が(教会は歓迎しないけれど)異教神バッカスへの奉納の儀式(飲酒)と全く同様に「楽しかった」ことを臆面も無く認めてしまっているのです。それは、③ 教会が十字軍という暴力まで保持して、男女の恋愛というプライベートなことにまで口出ししてくること への 民衆の不快感の表われでした。「夕星の歌」で祈りをささげているのが、そもそも金星(ビーナス)ですから(フィッシャー=ディースカウ・コンヴィチュニー指揮 / ベルリン国立歌劇場管弦楽団)、ワーグナーの『タンホイザー』は「隠れ」母系制社会賛歌でした。
 このオペラでの男性社会の権威の反撃は、ローマ教皇がタンホイザーが異教の楽しみにふけったことが許しがたい と言ったことでしたが、エリザベートの死で、教皇の杖に「コントのような緑の芽」が吹いて贖罪されました。

 何が言いたいのかというと、ルードウィッヒ2世『ビーナスの洞窟』という母系社会的なアトラクションを(テーマパーク学として)分析すると、「テーマパークにリピーターを増やそうと考えたら、女性の喜ぶものを多く用意すれば良い」のだと分かります。ここでは、社会を母系制に戻せ・男性も通い婚にしろ などと ふざけて言っているのではなく、テーマパークに行こうと言ってくれるのが女性のほうなので、彼女たちが喜ぶ出し物を揃えれば リピーターが増えるだろう、と 当たり前のことを言っているのです。
 ですから、全ては、つながっているのです。ヒット商品を開発しようとする人たちは、80年代には 女子高校生を 大勢、モニターに集めました。もし、オペラ『タンホイザー』のDVDが母系社会の女性を喜ばせるような ヴェーヌスベルクの新演出で、ベルエポック的に輝いた舞台に描かれていたら、その DVDは次の好景気の時代(私の予想では 2020年代)に飛ぶように売れるのではないでしょうか。

 ところで、上に書いた『タンホイザー』の話は、欧米の話であって そこで評判の良い VR作品にとっては参考になるだろうが、日本ではどうなんだ、という話が続いて問題になります。ところが、日本も同じなのです。
 日本は、母系制が非常に強く残った国でした。おそらく、明治以前は全国に母系制が普通にあったと私は考えています。困ったのは、武士たちです。武具が、男性の長子相続だからです。鎌倉幕府の武士たちには、結婚の新しい倫理が必要でした。『貞観式目』の お定めでは、強姦・合意を問わず、人妻とそういうことをした男性は、財産の半分を没収。独身男性や女性の場合は 遠国でした。現在の私たちと違って 当時の小学生は『貞観式目』を暗記しましたし 四書五経も漢文で素読できました。だから仮に、近松の時代に「源氏」「伊勢」を、子供が読んで真似するといけないからと読書を禁止にしようと言い出す武士が 仮にですが いたとしたら、「あいつの家では、ろくな教育を受けさせて貰えなんだであろう。それとも、色茶屋のねえちゃんに振られでもしたのであろう」「おう、そうじゃそうじゃ」と大爆笑になったと思われます。
 つまり日本では、「源氏」「伊勢」などの「どうすれば、母系制の女性が喜ぶか」というマニュアルが 1000年の間存在したのです。好景気になったときには、女子高生を集めて意見を聞くという賢い方法で ヒット商品が開発できました。おそらく、茶器や 金屏風についても、信長は最初に 奥さん(斎藤道三の娘)の意見を聞いたでしょう。好景気になると、外様の大名が軍備拡張することが一番心配です。各大名の奥さんが、もっと和服が欲しいとか、もっときれいな庭が欲しいと言えば、その分 武器には まわりません。
 そして、好景気になれば、顧客は 買いたいものが出てくるのを待っているのですから、VR製品で 母系制の女性が喜ぶ ものを開発すれば良いのです。信長や秀吉が、奥さんや側室を喜ばせるために購入した商品が、大変 参考になるはずです。

VR奥儀皆伝( 8½ )(35) → こちら
( 8½ )「暫定総目次
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