( 8½ )(31)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2021-06-14 | バーチャルリアリティ解説
 Number31 / パーク VRアトラクションの実作 〈後編 ③-2〉 
                          【( 8½ )総目次
 「桃山 / 江戸 / 日本人」そして「博士の勘違い」② VR之極意:③

 (30)の最後に (上山春平氏作成の)「日本文化の波動」図を載せました。






 出典:梅棹忠夫、多田道太郎 編著『日本文化の構造』(講談社現代新書、1972年)所載、上山春平氏「日本文化の波動」

 600年周期説については、上の見事な分析を読んで下さい。

 たまたまですが、600年周期説は
(30)の時代に、丁度 あてはまります。

 EPCOT 2032(仮称。50年祭)の 『VR 飛雲閣』 (
330年後、信長から450年後
   ↑
 尾形光琳(天才グラフィックデザイナー)の『燕子花図屏風』 元禄時代(120年後、
1701年頃
   ↑
 信長が 贈答用に作った「金屏風」(『源氏物語図屏風』など)安土桃山時代 
(1579年頃)


 この下は、明治以降の20年周期の区分 (20年周期は上山春平氏説、 解説は です。

 1867年頃~1887年(明治20年)頃まで。 文明開化。 鹿鳴館の時代。(外→内)
                (1867年までの20年は、王政復古と 建前の尊王攘夷
                 渋沢栄一さんが見学した パリ万国博覧会
〈パリで
                 2回目は、慶応3年1867年でした。)
 1887年頃~1907年(明治40年)頃まで。 寺子屋の復活、西鶴などの 江戸文学の見直し。



 1907年頃~1927年(昭和 2年)頃まで。 大正モダニズム。 (外→内)
                映画の 大流行。初期の谷崎潤一郎や江戸川乱歩など。
                例えば、江戸川乱歩『人間椅子』の発表は 1925年。外国人の経営
                するホテルなどが舞台。
 1927年頃~1947年(昭和22年)頃まで。 戦争。 
撃ちてし止まん、本土決戦。
                野球の ストライク、ボール、アウト が、一本、一ツ、引け。

 1947年頃~1967年(昭和42年)頃まで。 東京オリンピック(1964年)の時代。首都高など。(外→内)
                1970年の大阪万博までで(外→内)の時代は終了。

 ※ 上山春平氏の
「日本文化の波動」の執筆は、1967年でした。
 ※ 
上の時代背景の説明は、氏の意を汲んでの私の文章です。
 ※ 
1967年以降も、20年周期は とても上手く あてはまります。下の 私の解説を参照。

 1967年頃~1987年(昭和62年)頃まで。 塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」。公害。オイルショック。
                映画
バブルへGO!!で描かれた時代。
                (1990年の不動産融資総量規制が この時代の終焉?)。
 1987年頃~2007年(平成19年)頃まで。 VRの登場。大型ゲームセンター。商用PCの普及。(外→内)
 2007年頃~2027年(令和 9年)頃まで。 海外思想が咀嚼され、プラットフォーム上の 日本作品が目立つ。
                iPhoneの発売は2007年。

                ちなみに、2032年 EPCOT50周年は(外→内)の時代。

 私は、上山氏の 
600年/ 20年周期 (サイクルを考えると1200年/ 40年)説については、「パーキンソンの法則」などと同様、「バーチャルな公理」として、ここに記した世代的傾向が確かに見られるのを諸施策に反映させることが望ましいと思います。
 例えば、ですが、こういった具合です。

   〇 バーチャルな公理
   
約20年を単位として、日本文化には「ナイーヴに外来文化を受け入れる時期」と「外と遮断して内部的に消化する時期」の かなり截然とした交互発現が歴史的に見られる。(上山春平「日本文化の波動」1967年)

   以下は、フェロー武田の考えた命題。

   命題 1: ある世代の「当たり前」は、祖父母の世代、孫の世代を共感させる場合がある。
        (コンテストの応募
や 融資の申し込みは、祖父母世代の審査員がいれば有利。
   命題 2: ある作品の改良には、同世代者や、祖父母世代、孫世代に協力を求めると有利。
   命題 3: ある世代の「当たり前」は、その親の世代、子の世代に、違和感を感じさせる。

        (子供の世代に奥儀を教授しても、「本当に?」と 信じて貰えない事が多い。)

 ※ 「第二次 VR元年」2016年を推進した世代 は 90年代は小学生だったので「第一次」を全く知りません。
   第一次は デバイスの広告宣伝用デモのような コンテンツの練り込みの浅い作品が多く、失速しました。ギャラクシアン³』「AS-1」『VR-1』『ザ・クリプト』岐阜のCAVEデモ などが貴重な例外です。)第二次の元年には、ある米国証券会社のアナリストが「損したくなければ Oculus株を買え」と(2016年の)1月にあおった事で VR株価バブルが生まれました。この頃に  VRスタートアップ企業の内部で着手されていたコンテンツの開発が もしも 2018年頃まで育成され続けていれば 結果が出ていた可能性がありましたが、第二次世代は「第一次」の失速理由を知らず、そのまま FACEBOOK が原因の 2017年の Oculus 株低迷の混乱に巻き込まれて 第二次元年は失速しました。つまり、第二次は「株式アナリストの誤解で盛り上がり、誤解で盛り下がった」とも言えます。実は「第一次 元年」の教訓は 「VRが 売りものになるか どうかは、コンテンツ次第」という自明の事実でした。映画やテレビドラマの上出来、不出来と変わりません。
 ですから、2016年からの VRスタートアップ企業は、日本や台湾、中国などで資金調達して 2018年頃まで とりあえず開発を継続すれば 状況は変わったのかも知れません。しかしながら、・・・。第一次と第二次の時間差が 約20年だったことから、これを言っても 理解して貰えませんでした。

 ※ 第二次「VR元年」とは: 国内外にヒット・モバイルゲームを提供する ある企業が 2016年1月に VR起業支援のファンドを立ち上げ、このとき自社の会社案内に「VR元年」を謳いました。これが、Yahoo Newsなどに引用され、同じ頃に注目された上記の米国株式アナリストの発言(YouTube)などで増幅されたのが 二回目の「VR元年」の始まりでした。

   命題 4: ある時代の「当たり前」は、約20年で内容が変化する。(例えば、1945年に始まる
        墨塗り教科書型、西洋を表面だけなぞった多数決 民主主義の欠けている部分を
        宮本常一氏が名著『忘れられた日本人』1960年 などで批判しました。また、
        フランス現代思想などの一時的流行は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』などの和風
        歴史認識で上書きされることを繰り返します。)
   命題 5: (外→内)時代の成功者・修学者は、20年後にも同じ方法が使えることを期待する。


 ともあれ、天正遣欧少年使節(1582-90年)以降に初めて、ジパングの文化が欧米に多数の展示物を通して紹介されたのは 万国博覧会の展示でした。1873年の ウイーン万国博と 1876年の フィラデルフィア万国博の会場イメージを紹介しておきます。


 『明治有田 超絶の美』の美術展カタログ( 2015年、佐賀県立九州陶磁文化館館長 鈴田由紀夫氏著、2400円 )の一部。この美術展会場には、大変に見事な陶磁器が並び息をのみましたが、このカタログも会場の雰囲気を良く伝えています。解説も、とても詳細です。(万国博の概説は (18)参照)
 明治20年頃までは「文明開化」なので、日本の美術品、例えば、仏像や陶磁器などが大量に安い価格で海外に流出しました。(現在は 高値で買い戻されています。)万国博は、陶磁器が定価で売れる貴重な機会でした。陶磁器、日本画、絹製品などの技術の高さは、鮮烈な印象を西欧に与えました。万国博では 金をはじめ、多くのメダルを獲得しています。

 19世紀の万国博覧会を通して、日本の「江戸時代の高い文化」は 欧米に鮮烈なデビューを果たし、西欧に ジャポニズム、アールヌーボー、日本風(だと西欧人が考えた)庭園美術などの 大流行を巻き起こしました。ただ、海外に「日本風」だと紹介された文化が、日本人には 多少 居心地の悪い「ジパング風」であったことには 注意して下さい。ところで、
 上山春平氏が指摘された その次の外と遮断して内部的に消化する時期には、こうした 万国博でのマーケティング と、それに続く シュールレアリズム、構成主義 などの世界的流行が 一旦 遮断されて(観客の目が国内に向いて)消化され「和風文化」が形成されています。例えば、1920年代に村山知義氏らの主宰する前衛芸術集団『マヴォ』に参加していた田川水泡氏は、1931年から「のらくろ」を描き始めてヒットさせました。20年代は(外→内)の時代、30年代は 和風 に外国の技法が消化された 文化です。


 ダダイスト村山知義氏の作品。「のらくろ」の作者が現実をデフォルメした作風では なかった (元「構成主義」者であった)ことから、「のらくろ」を真似して画風を確立した手塚治虫氏も「シンボルを組み合わせた漫画」を描きました。(手塚作品の『ジャンピング』などを参照。大塚英志著『アトムの命題』角川文庫を参照。)

 それで、ここまでで言いたかったことは、日本文化が外国文化と接触した際の やや落ち着きの悪い時代と、その文化を消化している時代が「波動」を繰り返していたということでした。
 上山春平氏は、この波動の理由を、1万年以上にわたって日本で「高度に発達した狩猟採集文化(縄文文化)」が中国や欧米の文化を輸入するときのフィルターになっているのだと興味深い分析を示しています。それについては、また次回以降に。

 そして、親の世代の価値観を、どうして子供が共有することが難しいか、については、ノーバート・ウィーナー博士の大きな勘違いも影響していたと 私は思います。注文しておいた ウィーナー博士の『科学と神』(原著1964年)『発明』が 通販で届いたので読んでみると、博士が 晩年に 急に寡黙になった理由も 同時に分かりました。『科学と神』では、博士の著書『サイバネティックス』で概説されて1960年代に盛んに研究されたフィードバック・システムについて、
   フィードバック(数理モデル) = 「機械論だから 算術的な解法で 正しい結果が 必ず得られる」(えっ?)
   奴隷労働がモデルの自動制御  = 「魔法だから、その『弟子』が使い方を間違えることで不都合が起きる」
と、博士は理解されていたのです。これは、真逆の誤解でした。

 ※ 「自動制御は『奴隷労働と同じモデル』だから 機械論」
   「数理モデルが 化生論」(魔法)
であることを 私たちは 良く知っています。魔法だから「使える」、機械だから「使えない」のです。

 ※ 1960年代に「自動制御」は、最先端科学として 世界の工学部で 多く研究されました。しかし、人間=機械系は、システムを操作する 現場の操作者に工場の機械の負荷や 環境への配慮が主体的に判断できて「儲かる儲からないに係わらず」出力の製品数や品質が 操作者に調整できる(現場でフィードバックできる)という前提があるときに限って、初めて 稼働が許される「一般システム」でした。多くの科学者が「機械論」を誤解していたことなども理由の一つで、アマゾンの大森林が伐採されるなどの狂気の経済活動が続き、それに歯止めをかけるために、国際社会は SDGsに着目しました。

 ということで、本Blog 「VR奥儀皆伝」の主張は、

 〇 奴隷労働を真似た「自動制御」については、SDGs の開発においては「奴隷労働を真似ている」という注釈つきで 今後 論じられる必要があること。VR作品の開発では、奴隷労働を促すシステムを 原則 禁止すること。
 〇 日本が 海外から歓迎される VR作品の開発については、安土桃山時代や ジャポニズムなどの 対外交流を参考にすること。ジャパニーズ が、ジパング人を意味するからです。しかし、柔道、合気道、座禅などの欧米での体験参加や 日本映画などで、勘の良い外国人には「ジパング」と異なる 日本の「高度に発達した狩猟採集文化」= 古都の落ち着き が理解できるので (参考資料:水津陽子著『日本人だけが知らない「ニッポン」の観光地』無料サンプル・ブラウザ試し読み ) その瞬間に「ジパング風の おみやげ」「いやげ物」になることにも 注意して下さい。
 こういった話題が、次回以降に続きます。

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