日本の品格 は「四書五経」が作った ⑧ VR之極意:③
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Ⅶ. 「四書五経」
(48)「サロメの首」「信長の正論(物語⑧)」「家紋つき自動車 ③」
川上音二郎という人物は、調べるほどに 興味深い事実が顕れます。
1900年の米英仏では「貞奴の Geisha姿」と「武士のハラキリ」の 宣伝
効果(47)から、「Made in Japan」が 絶賛されました。「四書五経と
歌物語」の 日本人の品格です。
ところで、
音二郎氏が「袈裟と盛藤」をパリで公演した理由について、なのですが ・・・。
【たぶんこうだったんじゃないか劇場 in Paris 1900】
1873年のウィーン万国博で「Made in Japan」が、大絶賛されました。
ところで、
音二郎氏が「袈裟と盛藤」をパリで公演した理由について、なのですが ・・・。
【たぶんこうだったんじゃないか劇場 in Paris 1900】
1873年のウィーン万国博で「Made in Japan」が、大絶賛されました。
庭園に神社を建てていた大工の「かんなくず」が珍しいので、エリーザベト
皇后が女官に拾わせています。大きな日本ブームが、パリとウィーンから、
欧州に巻き起こりました。
ところで、ウィーン万国博から日本へ送り戻す美術品と 欧州で買い求めた
ところで、ウィーン万国博から日本へ送り戻す美術品と 欧州で買い求めた
西洋美術品を乗せた ニール号が伊豆半島沖で遭難し、乗員乗客86名が死亡
するという 大海難事故が起きました。(1874年3月)
※ 名古屋城の金鯱も、もし この船を選んでいたら水没遺失していました。
出品物192箱のうち、陶磁器・漆器等68箱分は見つかりましたが、残りは
海の藻屑に。それを聞いた英国(現)ヴィクトリア・アンド・アルバート
博物館長は、欧州の美術品を集めて日本に寄贈すると直ちに決めました。
とても優しい思いやりです。(by wiki)
これらの選定と運搬の指揮をとったのが、クリストファー・ドレッサー。
当時42歳の工芸デザイナーですが、1862年の ロンドン万国博で、日本の
展示品を見た事がきっかけで「日本美術に傾倒した」人物です。英国から
の寄贈品を送り届けたのちも日本にしばらく滞在(1876-77年)し、各地
で美術品を大量に収集しました。
このドレッサー氏は、もともと「植物学の講義」を 美術館で行なっていた
このドレッサー氏は、もともと「植物学の講義」を 美術館で行なっていた
人物です。その彼が、植物の意匠を 日本人が着物や 日常品のデザインに
巧みに取り入れていたことについての 豊富な知識と多くの資料をたずさえ
て ロンドンに戻り、ウィリアム・モリスの始めた英国の美術運動、アーツ・
アンド・クラフツ運動に関わりました。 【ウィリアム・モリス展】
ジョン・エヴァレット・ミレー(『オフィーリア』1862年『塔の中の二人
が とても綺麗なのは、従って、ドレッサーの資料を見たからでしょう。
(袈裟の首の話が、まだ出てきませんが、もう少しだけ待って下さい。)
さて、1870年代からガラス工芸の世界でも ジャポニズムが目立つように
(袈裟の首の話が、まだ出てきませんが、もう少しだけ待って下さい。)
さて、1870年代からガラス工芸の世界でも ジャポニズムが目立つように
なり、のちの アールヌーボーの意匠に つながります。パリの地下鉄の
入り口が、植物みたいに奇妙に曲がっているのが アールヌーボーです。
フランスでは 1870年代から 印象派が頭角をあらわし、英国ではモリスや
フランスでは 1870年代から 印象派が頭角をあらわし、英国ではモリスや
ラファエル前派が それまでの「古典的な美術」を否定します。正にこの
ときに、英国に若き天才が現われました。オーブリー・ビアズリーです。
彼はオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の出版に際して、日本趣味の
彼はオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の出版に際して、日本趣味の
斬新な挿絵を考案しました。1894年のことです。大評判になりました。
ビアズリーの日本趣味は、ラファエル前派の影響だと言われていますが、
ドレッサーの資料からではないでしょうか。『サロメ』の本が大評判に
なっていて、米国に渡った 音二郎氏一行も その挿絵が 「ジャポニズム」
なので『サロメ』を知ったと思われます。ところで、1895年にオスカー・
ワイルドが 同性愛(当時は犯罪)で投獄され、貴族の息子とワイルドの
醜聞で、英国では戯曲『サロメ』は長く「上演禁止」になりました。
さて、NYの『サッフォー』公演でも、わいせつ裁判騒ぎを利用して評判を
とった音二郎氏(46)です。『サロメ』って、どんな話ですかね。えっ?
ヘロデ王の義理の娘 サロメが処女で、獄中の洗礼者ヨハネに性的にひかれ
てしまったのに、ヨハネが「罪の赦しを乞え。ガリラヤの湖に行け」と もう、
さて、NYの『サッフォー』公演でも、わいせつ裁判騒ぎを利用して評判を
とった音二郎氏(46)です。『サロメ』って、どんな話ですかね。えっ?
ヘロデ王の義理の娘 サロメが処女で、獄中の洗礼者ヨハネに性的にひかれ
てしまったのに、ヨハネが「罪の赦しを乞え。ガリラヤの湖に行け」と もう、
訳わかんない事を口走って ちっとも自分にかまってくれないので、全裸の
ストリップをして、ご褒美にヨハネの首を銀の盆に載せて貰い、首と接吻を
する話ですと! おお、西欧人はなんと残虐な話を好む観客でしょう。それ、
本当に『聖書』に書いてある話 なのですよね?
よろしい。では、米国とパリでの公演の出し物は首つながりで
「袈裟と盛藤」
※ しかし、盛藤の ハラキリが強調されたこと(47)から、演出上、袈裟の首は封印されてしまいました。
R・シュトラウスのオペラ『サロメ』「7つのヴェールの踊り」オランダ国立歌劇場版 / ストコフスキー映像無し
(下は 日本美術から影響を受けた 西欧のデザインです。)
【左】ビアズリー『サロメ』挿絵(1894)「日本風が過ぎる」とワイルドが不満を漏らしました。
【中】「クリスタルと菊 ‐ アール・ヌーヴォー・ガラス工芸におけるジャポニズム」展(ベルギー大使館)
【右】ウィリアム・モリス壁紙。 モリスは「美しいと思わないものを 家に置いてはならない」と言いました。
さて ここから、気分を改めて、16世紀の「Made in Japan」を分析します。
◇ 「薔薇十字団物語⑧」 信長の正論
織田信長は、とても大きな金屏風の『安土城図屏風』を「天正遣欧少年使節」に託し、ローマ法王(グレゴリウス13世)への「おみやげ」として届けました(30)。1585年のことです。
『安土城図屏風』は バチカンで失われましたが、資料から想像復元された 金屏風を Amazon Prime Videoの『MAGI 天正遣欧少年使節団』の予告編 で見ることができます。(この作品『MAGI 天正遣欧少年使節団』は、長崎俊一監督の傑作です。)
信長から 国威発揚の「屏風」を託されたヴァリニャーノ司祭たちは、聖書のイエスの誕生時のように「東方の三博士」が 黄金をたずさえ 騎乗してローマを訪問する という計画を立てました。大歓迎された少年使節団は、大勢の司教や外交官、騎士団に先導されて、オリンピック金メダリストのパレードのように大群衆の中を行進し、トランペットや 160発以上の祝砲に迎えられます。下右の金屏風は、マルコ・ポーロが 1298年の『東方見聞録』に書いた ジパングの実在を証拠だてる「奇跡」になりました。
しかも、おみやげの『安土城図屏風』には、国主ノブナガの庇護のもとに建てられたキリスト教の「神学校」も描かれています。(天皇と幕府は、相変わらずキリスト教の布教を むなしく禁じていましたが、安土での「神学校」を 信長が許可しました。)
使節団が訪れたローマは、好景気の ルネサンスの晩期です。
一流画家のティントレットが、有名人『伊東マンショの肖像』を描きました。
この1584 - 86年を「ジパング」の西欧デビューの年と考えて、「スペイン セビリア万国博覧会の日本館のメイン展示」には「安土城天主」が 復元公開されました。1992年の 日本の偉業です。狩野永徳と一門が描いたと言われる「金碧障壁画」も復元して展示され、大人気に。ここでは、それまでの万国博覧会史上 最も多い 日本館の入場者数 520万人を記録しました。(入場者総数は 約4200万人。)
※ 復元された「安土城最上部2層」は、現在、滋賀県の「安土城天主信長の館」で展示中です。
VR動画による再現映像もあるそうです。この天守閣が、万国博で 520万人を感動させました。
VR動画による再現映像もあるそうです。この天守閣が、万国博で 520万人を感動させました。
あとでお話ししますが、2025年の大阪万国博でも この位のインパクトを来場者に与えたいです。
さて、Amazonの『MAGI 天正遣欧少年使節団』では、表敬に訪れた少年使節と ときのローマ法王との間で、驚くべき対話が交わされました。少年たちは、国主ノブナガから託された質問を 法王に向かって率直に問いました。
西欧人は、肌の黒い奴隷を「人として」認めておらぬ。
「キリストの愛」というのは、その程度のものなのか? 愛とはなんだ。
宣教師は奴隷売買を黙認しておる。西欧人の言う「愛」とは何なのだ。
これは、原作の若桑みどり著『クアトロ・ラガッツイ』(集英社文庫)に ありませんが、鎌田敏夫さんの 優れたオリジナルな脚本です。『MAGI』では、くさりにつながれた肌の黒い奴隷(米国の奴隷のイメージ)が登場する場面で、信長が それを宣教師たちに厳しく問いかけました。宣教師たちは、答えに窮します。『MAGI』では、少年たちが ローマ法王に、この質問を再び 直接 尋ねました。えらいぞ少年たち。
ローマ法王は、少年たちの この率直な質問に驚き、そして深く感動しました。
その質問は、西欧で 誰一人、この私『ローマ法王』に直接 尋ねたことがない問いだ。
しかし、その質問は、(と、『MAGI』の法王は 話を続けます。)
イエス様 ご自身が、ゴルゴタの丘で(反逆者のユダヤ人という 濡れ衣で)磔にされたとき、
『わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのか 』と、
十字架上で、イエス様が ご自分に向かって問うた、その『問い』ではなかったか。
※ つまり、肌が黒いから、女性だから、途上国なので十分な科学設備がないからなどを理由に
ローマが弱者に奴隷的な盲従を強いれば、ローマ兵が救世主を槍で黙らせた事と同じです。
『愛とは何か』を問うことが、私たち聖職者の役割なのに ・・・。」
このとき、ローマ法王が 14歳くらいの少年たちに真摯に耳を傾けた理由は、
彼らの品格と金屏風の存在でした。(「7歳からの 四書五経と 歌物語」です。)
鎌田敏夫さんの、すばらしい『MAGI』の脚本です。
そして、法王は、少年たちを 親しく抱き寄せました。
「私もその問いを、これからも問い続けよう。(と言って きつく奴隷貿易を止めさせます。)
君たち 使節団に 祝福をおくろう。」 (Amazon Prime Video『MAGI 天正遣欧少年使節団』)
※ 法王は部屋で親しく少年たちと語り、大変 満足されましたが その内容は残っていません。
※ 平均余命34歳?の16世紀の14歳は、今なら大学院生が IVRCに参加したくらいの年齢です。
※ SDGsは 十字架にかけられた「マイノリティと 地球」を、救世主に見立てる試みです。
※ なお 実際には、信長表敬訪問時の黒人奴隷は、くさりにつながれては、いませんでした。
ですから、若桑氏の原作とは 少し異なりますが、仮に、
IVRCに「法王、少年使節と会見の図(MAGI版)」の VR作品が出展されたとしたら、
その作品は EPCOTの日本館で公開できる可能性が高いだろうと、私は思います。
鎌田敏夫さんの脚本は、それほど見事でした。
そして、この作品が、
仮に、IVRCに参加作品として出展された場合、その VR技術の評価ポイントは、
キリスト教徒の少年たち(神学生)が感じた、法王の御手に接吻する心の熱くなる感動。
そして、法王から抱きしめられる少年たちの感じた、法王の衣服 の触覚です。
ただし、肖像権の問題がありますから、事前にバチカンの許諾が必要です。(6)
□ 過ちを恥じて 非を作(な)すなかれ
■ 過ちを 改めることをためらって、過ちを 重ねてはならない
■ 過ちを 改めることをためらって、過ちを 重ねてはならない
(天下統治 の普遍的法則集『書経』の中でも、特に有名な一言です。口で言うのは、簡単です。)
家紋つきの自動車 ③ (GAFAMの あと追いをやめよう)
日米に貿易摩擦が起きてしまった後で、あの時に こうすれば良かったと言うのも「手遅れ」です。iPS細胞や VR製品などに関しては、米国に進出前の 今から準備しておきましょう。
私の個人的な意見ですが、
2025年の大阪万国博の日本館に誇らしく、
「GAFAMの後追い研究」や「カジノ」を出していても、
Google社や ラスベガスの子会社ではない「日本」との「むすびつき」「関わり」が、日本人にも 外国人にも、良く分かりません。そうした「日本との結びつきの 非常に薄いもの」よりも、例えば、
安土城の天守の模型を展示する方が、ずっと日本的ではないでしょうか。
1992年に日本人の建築家や歴史家、工芸作家が総力をあげて復元した「安土城、信長の館」復元模型については、これまでに国内で凱旋展示をする機会が ありませんでした。これを政府が借りて、2025 大阪万国博に置いて見て貰うのは、どうでしょう。
16世紀のヴァチカンで「MAGI 天正遣欧少年使節」のパレードが民衆に大歓迎された場面を再現して、併設のVR展示として 金屏風と共に展示すれば、日本の「Made in Japan」が 世界を驚かせた最初のページェント、として世界に誇れることでしょう。
と、ここに書くのは、こんな心配をしているからです。
1992年の「セガ vs ジャン・コイル訴訟」で、セガ・エンタープライゼス
は 巨額の賠償を米国の「発明家」に支払いました。日本の弁護士が 200%
勝てると断言して訴訟弁護団が組織され訪米しましたが「米国の陪審制度
に負けた」と噂されています。株価への影響が出ないように社長が「税金
で支払う100億円が、あちらに行った」という説明で、会見を開きました。
なお、任天堂さんは 2億円で、早々に示談を済まされていました。
つまり、日本企業が独自に開発した技術であっても陪審制のハイテク訴訟
で「発明家が娘に作った 電子おもちゃに似ている」のか どうか が争点に
されて、まさかの敗訴でした。日本政府は、Society5.0 の 華々しい対外
発表として 2025年の万国博を考えていますが、GAFAMのデモ・ビデオに
良く似た その仕様が気になります。外国に GAFAMの VRに似た仕様の
特許 は 山ほど あるからです。万国博の展示品に クライアントの特許と
似た仕様を見つけた外国の弁護士は、訴訟の機会を逃すと 顧客から叱れら
ると考えますから、特許に触れていれば必ず訴えを起こすでしょう。
そして、訴訟の弁護士は、会場の展示品であれば下げられないので「机の
下」での示談が協議される、と考えるかも知れません。しかし、「訴状を
読んで対応を検討する」のが、AI製品の試作などに協力している一流日本
企業の、常套の対応です。全く身に覚えがなくても、本社の数日間の協議
中は、Society5.0 の新製品は しばらく、展示を控えるでしょう。その空き
スペースに何を並べるのか。私は「プランB」で、「VR MAGI」と「安土
城」を用意しておき、翌日から展示する、のが集客に影響を出さない 良い
リスク管理だ と思います。この他のプランについては、次回以降に。
しかし、実は、
私が、本当に 2025年に展示すれば良いと思っているものは、別にあります。
万国博の会場で、その現在の姿を「匂わせる」必要は、全く ないと思います。
(これは、「VR TANIZAKI」の展示の一案だからです。)
例えば、
小説『細雪』で、姉妹たちが 神戸(三宮)に出掛けて、映画館で米国の名作『コンドル』を鑑賞していたのが 小説中の昭和14年 1939年の出来事でした。(『Only Angels Have Wings』 ハワード・ホークス監督 ケーリー・グラントほか。)
終戦後に、谷崎の『細雪』を読んでいた読者たちは、
自分たちも 映画『コンドル』を、戦前のおだやかな日常に観に行った、という
ことを思い出して、戦前を懐かしく、バーチャルに想起できたでしょう。
『細雪』に、軍国主義を匂わせる具体的な描写は 何も出てきません。
ですから、同じ頃、戦前の 昭和14年あたりを想定して、
VR技術で再現された 広島県産業奨励館 で、その頃、どんな「日本製品」が展示され、産業奨励されていたか、その当時の人々は どんな服装で訪れて、それらを眺めていたか。その頃の館内を再現してみては、どうでしょう。広島近郊から見学に来られた方からは、祖父母の写真を(もしあれば)お借りしておくと、(AIで再現された)1939年ころの年恰好の彼らが バーチャルな会場の見物客の中に見られ、2025年の子孫たちと VR産業奨励館の中で 一緒に記念写真を撮ったりすることが、できるでしょう。
付け加えると、「プリクラ」の幾何学的な原理について、ジョン・ディー博士が書いていた内容を 以前に 述べました(16)。同様に、VR 広島県産業奨励館の館内で 子孫とご先祖が一緒に写真を撮れるということも、実は、ディー博士のお陰なのです。
【参考資料】『長崎の鐘』1950年(原作 永井隆)
《 鋳型化ここまで 》
フェロー武田 「サロメの首」「信長の正論(物語⑧)」「家紋自動車 ③」(VR奥儀皆伝(8½)(48))
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.2.xx
フェロー武田 「サロメの首」「信長の正論(物語⑧)」「家紋自動車 ③」(VR奥儀皆伝(8½)(48))
Blog TP-VR Attract.のトリビア 2022.2.xx
さて、前回(47)に、黒紋付のキャンギャルが 米国で「日本の高級車」を宣伝していたら 1980年代の日米構造協議は起きなかったかも知れません、と書きました。同じ発想で、2023年からの「宝塚新人公演」は 可能なら東南アジアで行なって頂き「源氏」「あさきゆめみし」をメインで公演する のは どうでしょう。そこで話題になった彼女たちが和装で 2025年の、例えば、電気自動車のキャンギャルを務める、と決めておけば、、、
「示談狙いの訴訟を試みる外国の弁護士」なんて いないだろうとは思いますが、仮にいたとしても「日本の電気自動車が売れたので その市場が労働者から不当に奪われた」という説明を、陪審員にしづらくなりませんか。次回以降に。
【たぶんこうだったんじゃないか劇場】は、NHK『チコちゃんに叱られる!』からの拝借です。
「IBM産業スパイ事件」も、次回以降に。