( 8½ )(6)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-08-08 | バーチャルリアリティ解説
第六回 VRの「リアリティ」とは 何でしょう
                          【( 8½ )総目次 
 第五回には、「映画」とは何か、そして、
   「VR」と 「MR 複合現実」「AR 人工現実 / AR 拡張現実」「SR 代替現実 」
の違いについて ( 実際は、構成図で表わすと全部同じだということ ) を解説しました。

 下の内容は、後に また改めて説明しますが、

 VRの「多感覚」(マルチセンソリー)とは、
   映画 の作る バーチャルな世界のリアリティに加えて、
   触覚や 嗅覚、味覚、体性感覚(揺れ)などを「彩り」で活用して、
   映画 リアリティを高める技術
のことです。

 また、VRの 「インタラクティブ性」とは、
   大画面映画 バーチャルな世界の
   「背景」「キャラクター」「ストーリー」「カメラアングル」などに、
   観客(プレイヤ―)から直接、リアルタイムに影響・変更が加えられること
ということです。

 例えば、AS-1 スクランブル・トレーニング(1993年)の場合は、
   観客が、画面の 宇宙戦闘の映像を見ながら、
   
(観客が)ミサイルの発射スイッチを押して、
   ミサイルは敵機に命中することも 外れることもあるのですが、命中した場合に、
その 
得点が 観客のポイントとして 加算されました。
   これが、観客がリアルタイムに バーチャルな世界に影響を与えた、という事です。
 AS-1では、8人乗りの揺動装置の上に 1635㎜ × 805㎜サイズのスクリーンを搭載して、レーザー・ディスクの敵機の映像などが投影されました。観客がミサイルを発射した際の「当たり判定」は、ゲーム基盤が担当しました。このノウハウを ふまえて 『VR-1』(1994年)では、AS-1の揺動装置 4台が 同期して使用され、観客はHMDを着けて乗船し、観客が HMDの中で観ている映像は ゲーム基盤から生成されて (ポヒマス社の位置センサーに即応して 瞬時に)表示された画像でした。

 ところで、前回までの結論としてですが、
   現在製作されている途中の IVRC作品(VR作品)であっても、
   セガの AS-1 
『スクランブル・トレーニング』 『VR-1』であっても、
   それが「VR作品」である限りは、私の
「VRの構成要素図」で表わすことができる、ことになります。

 そして、VR作品は、「映画」「多感覚」「インタラクティブ性」によって構成されているのですから、
   IVRCの作品を作るときにも、
「映画の製作」と同じように
   
「絵コンテ」や 「シナリオ」(プロットのあらまし)などが 用意してあれば、
   チームメンバー内で、作品開発のゴールが定めやすい、
ということになります。

 ということで、今回のブログでは、「VR作品は、映画と同様に 絵コンテなどを用意して製作に入ると、チームメンバー全員の合意が取りやすいし、完成までのスケジュールも短縮できる」 ということの理由と、具体的な進め方を説明します。

 ところで、これまでの学校での授業では、近代科学が可能にした「工業製品」というのは「映画館の劇映画」や「宝塚歌劇」「三代目猿之助のスーパー歌舞伎」などの お芝居 とは無縁だと考えられてきました。それは間違いです。
 それが間違いだということを、近代科学の誕生の瞬間にさかのぼって、検証しておきましょう。
 ディミトリ・ダヴィデンコ氏というジャーナリストの書いた『怪傑デカルト』という快著には、デカルトが 『方法序説』を出版した1637年6月8日が「近代の始まりの日」であると書いてあります。この本『怪傑デカルト』に描かれたデカルト像は、政敵の書いた怪文書も一応 全部、本当だった可能性もあるのじゃないかと(この時代の歴史資料が少ないことを逆手に取って)面白おかしく書いたデカルト像なので、本人や クリスティナ女王に大変失礼な記述(ただの噂です)も多いのですが、それは ともかく、
 この『方法序説』の1637年6月8日が「近代の始まりの日」だったという発言を、H・カーニィ著 『科学革命の時代』などで補足すると、それは、
   ① 教会などが 公式に教えていたアリストテレスなどの「有機体論」の科学や、
   ② 教会が公式には禁止していた「魔術的=ヘルメス学的」な思想(「化生論」、但し、教皇の中には ヘルメス科学のファンも大勢いました)に対抗して、
   ③ デカルトが『方法序説』という記念碑的な著作によって「機械論」の科学を (マニフェストとして)提唱した日だったから、という意味でした。

 この F・ベーコンやデカルトたちの主唱した 機械論 (いわゆる 実験実証的な科学 = 16-17世紀の いわゆる「科学革命」)が 主にイギリスとフランスで発達して、イギリスの産業革命や フランスの格式ある工学教育の伝統を生んだと言われていて、
   現在 世界中の学校教育で行なわれている 機械論的な科学教育(時計の修理をモデルにした 規則性・法則性が顕彰された科学教育)の土台となっていますから、逆に「ガリレオを自宅謹慎させた」ことで、カトリック教会は 今日の科学教育に関する発言力を失ってしまいました。
 (ついでに言うと、F・ベーコンは、唯物論者の さきがけとしての実証実験の重視、つまり経験に基づかない数理空論を排するという意味での機械論を体系化しようとしています。実証主義ですから、例えば、原子力発電所の増設の可否に関する F・ベーコンの機械論による開発許可は、「時間の可逆性」と「部品の保証期間内の交換」が可能である場合に限られ、大災害の場合でも「初期状態への復帰方法」が確立していることや「廃炉の手順」が 100%確立している場合にのみ 許可が与えられます。)
 ということで、1637年6月8日が「機械論科学」のスタートの日だったので「近代」の始まりだったのなら話は それで済んだのですが、伏兵がいました。今日では「機械論の広告塔だ」と されているニュートンなのですが、実際は 錬金術研究にのめりこんだ 新プラトン主義者でした。隠れ 化生論者です。当人は隠してなどいなかったのですが、教育者たちが「機械論」の普及を 近代科学の普及だと 繰り返し教科書に書いたことで、そう思われてしまいました。 

 ともあれ、本ブログの公開日は 2020年8月8日でしたので、後世からは、フェロー武田による「魔術的 = ヘルメス学的・化生論的」な科学思想復唱の日だったと (もしかすると) 言われるのかも知れません。そして、 VR産業界では、VRの構成要素に「映画」が含まれることを 積極的に活用するべきだ、と強く主張しているのは、今のところ私一人だけですが、映画の大画面の没入感を主軸に VR作品を科学史的に解釈しようとすると、VR作品は「魔術的 = ヘルメス学的・化生論的」な魅力がその中心である科学思想に含まれる ことを強調せざるを得ないのです。
 (しかしVRには、他の科学思想の 有機体論と機械論も含まれていることを後述します。)

 ちなみに、今日の コンピュータによる シミュレーション科学は(「機械論」の科学だと誤解されていますが)「機械論」でも「有機体論」でもなく、典型的なヘルメス科学「化生論」です。大宇宙と小宇宙が照応している、という化生論モデルを援用しているからです。(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が週末の新宿の混雑度から 正確に 約2週間後のコロナ感染者数を 2020年の第3波までについて見事に予測できたのは、予測に使った 伝染病流行などの数理モデルが非常に正確だったからです。数理モデルの作成は ヘルメス学 = 化生論の伝統なので、機械論と思っている人は勘違いです。)
 従って、経産省が後援している Society5.0 の思想で リスク管理をしながら新しい国土を創ろう、という発想は「魔術的」な伝統です。 私は、Society5.0 の設計思想を応援する 「VR研究者」なので、自然な流れとして「映画のように 絵コンテを使って VR作品を開発しよう」と提唱しているのです。

 誤解の無いように補足しておくと、「機械論的」な科学思想だけで自動車を創ると 量産ができません。一品生産の F1カーになります。 (工場の「制御理論」が ヘルメス学由来で、「機械論」は時計職人の工房をモデルにしているからです。) 種子島も 職人一人一人の腕による 弾の飛び方の ばらつきがありましたから、射撃手は実戦の前に 自分の鉄砲の癖に慣れる必要がありました。ロレックスの時計に1000万円を超える定価の商品がある理由も(示す時刻は同じで、ばらつきませんが)、同社では 機械論科学で 高級職人が一品一品を心を込めて手作りしているためです。 機械論の科学は、ギリシャ時代には 「技術力のある奴隷の特殊技能」でしたが、13世紀に定時に鐘を撞く鐘撞男の自動人形が発明されたことから その有用性が 改めて注目されました。西欧には、15世紀に塔時計が各街ごとの教会に普及するという大流行があり、その塔時計の製造技術などを転用した工業製品が この時代に見慣れたものになったのです。ちなみに、私の一番好きな機械論的科学の精華は、オッフェンバックの歌劇『ホフマン物語』(1881年初演)のオートマタ(自動人形)オランピアです。 精密機械なので、途中で 何度もネジを巻き直す必要があります。(「Les oiseaux dans la charmille」https://www.youtube.com/watch?v=mVUpKIFHqZk 【オランピア】 コトリ タチ ハ モリ ノ ナカ デス / ソラ ニハ キョウ ノ オヒサマ / ミンナ ハナシ カケルノ デス オトメ ニ /  ミンナ ハナシ カケルノ デス オトメ ニ / アイ ヲ! / アア! / ミンナ ハナシ カケルノ デス アイ ヲ! / アア!コレ ガ シャンソン ナノ デス ステキ ナ / シャンソン ナノ デス オランピア ノ!オランピア ノ! / アア!…アア!…アア!…アア!…アア!…アア!…アア! / コレ ガ シャンソン ナノ デス ステキ ナ / シャンソン ナノ デス オランピア ノ!オランピア ノ! / アア!…アア!… 【コーラス】これがシャンソンなんだ オランピアのシャンソンなんだ オランピアの / これがシャンソンなんだ オランピアの! 【オランピア】 アア!…アア!…アア!.. 【ホフマン】 ああ!友よ! なんて歌声だろう! 【ニクラウス】 凄い音域だ!凄い音域だ! ・・・オペラ対訳プロジェクトより ) この歌劇でも分かるように、機械は 人間離れしているので貴重ですが、手間も掛かります。(オペレッタ『天国と地獄』でも 私が 1973年にコベントガーデンで観た演出では、エッフェル塔のエレベータが しょっちゅう故障して、良く途中で停まってしまった場面が揶揄されていました。)
 歌劇『ホフマン物語』では、第2幕の冒頭で、「物理学者」のスパランツァーニが 人形作家のコッペリウスに命じて(発注して)自動人形の「オランピア」を作らせました。(人形作家は時計職人の仲間です。)歌劇の主人公 ホフマンは、コッペリウスから「Googleグラス」を購入してかけているので、それが人形だと気づかずに オランピアに恋をしてしまいました。ニクラウスというのは ホフマンの友人(実は、話の進行役の小悪魔)です。 
 そしてこれは 念のため補足ですが、腕時計の普及は塔時計の普及よりも ずっと遅く、19世紀になってからでした。ロレックス社では 100年たっても先祖の思い出のよすがとして家宝にできる上質の時計を「機械論的な科学」で 手作りで作っているのです。

 IVRCで「絵コンテ」を準備する効果に話を戻すと、それは、
   チームメンバーに「仕事の分担」を依頼する とき や、
   どこまでの完成度で 「予選のゴール」とするか 「決勝戦のゴール」にするか などについて
   チーム内の合意を固める時に 顕著に有利に働きます。つまり、

 「絵コンテ」が用意してあるチームが、効率良くチームのコンセンサスが取れる のです。

 また、「絵コンテ」が上手に描けるようになるためには、映画をたくさん観て、その中でVR作品にできそうな場面を見つけ、実際に絵で描いてみる、ことを私は勧めます。絵は、上手でなくても良いのです。ウォルト・ディズニーは漫画を描くのが下手でしたが、彼の描いた非常にラフなスケッチは、どこが面白いかを的確に表わしていました。それを上手なアニメーターたちが、「ディズニー・アニメ」の絵に仕上げたのです。(ですから、ウォルトの役割は、自分では音を出さずに 的確に他所とは違った音をメンバー創らせるオーケストラ指揮者に 良く似ています。「絵コンテ」が重要になる、と言ったのは そういう意味で、指揮者の指示が書き込まれた オーケストラの総譜が「絵コンテ」の役割に近いのです。)
 ウォルトの指摘は、トーキーのセリフに関しても的確でした。的確過ぎたので、雇われた声優が 「あんたがやった方が面白いよ」と降りてしまい、初期のミッキーマウスの声は、ウォルトが自分で あてていました。

 映画の絵コンテと言えば、映画 『サイコ』(1960年)が有名です。

 前回紹介した 『映画術 ヒッチコック』によれば、『サイコ』の45秒のシャワーシーンは、カメラポジションを70回変え、7日間掛けて撮影したそうです。『映画術 ヒッチコック』には、シャワーシーンの写真が、ほぼ絵コンテの通りに並べられて載っていますが、このシーンは絵コンテ無しには撮ることができなかったでしょう。 というか、ヒッチコックの代表作は全て事前の絵コンテによって、どのようにサスペンスを生み出すかが周到に計画されているのです。

 ところで、どんなIVRC作品にも構成要素として「映画」が 必ず含まれているのか ??? という点に、半信半疑の IVRC-OBも多いと思われます。必ず、入っています。そのことを説明するために、ここで、
   有名なヒッチコックの映画『レベッカ』(1940年)を、
IVRC作品風のアトラクションに構成してみようと思います。



 モンテカルロのホテルで、たまたまイギリスの大金持ちであるマキシム(ローレンス・オリビエ)に出会ったことから彼と結婚し、イギリスの「マンダレイ館」で「女主人」として暮らすことになった 世間知らずのアメリカ娘の「わたし」は、大勢の召使に出迎えられて戸惑います。この写真は、キューライン(待ち行列)に並んだ観客にタブレットなどで観て貰って、この歴史ある館に 自分が嫁いで来る心構えをして貰いましょう。観客が 女性でも男性でも、ヒロインのアメリカ娘を演じて頂きます。映画では、深い霧が立ち込める彼方に 歴史ある「マンダレイ館」が 見えました。まず、VR作品の第一室に入って貰ったら、鏡に映った自分の姿を見て、観客には 自分がアメリカ娘( ジョーン・フォンテイン )に変身したと思って貰いましょう。鏡として、「縦」仕様の 8Kテレビを使用します。


 画像借用元: https://www.bfi.org.uk/news-opinion/news-bfi/features/remembering-joan-fontaine

 これが、鏡に映っている 「わたし」の姿です。
 イギリスの大邸宅「マンダレイ館」というのは、観光客に舞踏室の公開日が用意してあるほどの歴史ある大きな建物で、深い霧の奥に屋敷がある、という設定です。「わたし」の背景は、深い霧に覆われている、という演出が 良いでしょう。ごく簡単に、本物の自分の姿がモニタに映し出されている → そこに霧がかかる → 立位の ジョーン・フォンテインに変わる、だけの演出で構いません。 凝って、観客の顔の映像を抽出し、そこにモーフィングなどを掛けたとしても絶対に上手く行きません。これが有料の 「テーマパーク」のための企画であれば、キューライン(待ち行列)に 「霧」の演出を施して、作品の世界観への観客の心構えを喚起することは常識です。
 この IVRC作品にアテンドしている学生が、あなたに 簡潔に状況を説明します。新婚のあなたが 「マンダレイ城」で おどおどしていて、へまばかりしているので、家政婦長のダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)が 死んだ前夫人の「レベッカ奥様」と、あなたを ことごとく比較して、「あなたなんか、生きている価値が無いのです」「レベッカ奥様は素敵な方でした」「旦那様は、今もレベッカ奥様だけを愛しておいでです」と あなたを絶望させる発言を繰り返している、と状況を伝えます。その場所で ヘッドホンを装着して、第2室に入ると、 「縦」仕様の 8Kテレビが鏡台のように眼の前にあり、そこに、「あなた」(ジョーン・フォンテイン)と ダンヴァース夫人が並んで立っていて、それが鏡に映った自分たちであることは直ぐに分かります。
 身体の位置をずらすと、二人を映した鏡は横に移動して、その部屋の広い窓が目の前に来ます。ダンヴァース夫人が窓を開き、あなたの頭の位置が赤外線でセンシングされているので、画面に近づくにつれて、窓の下の 夜の暗い空間が良く見え、頬に湿った海風が当たります。ヘッドホンで耳元にダンヴァース夫人が、「ホラ、もっと窓に近寄って。簡単なことですよ。この窓から身を投げるだけで、楽に死ねるのですよ」と 「あなた」の耳元で自殺を強く勧めます。その声が怖いです。そのうちに、目の前に大きく花火が さく裂して、火薬の匂いが漂い、あなたが我にかえって IVRCの会場に自分の意識が戻ります。ダンヴァース夫人の登場は唐突にならないように気を付けます。もし長い動線がとれるようでしたら、最初の鏡を横切った時に「あなたとアテンダント」が映り、次の鏡で「ジョーン・フォンテインとダンヴァース夫人」が映るようにします。

 上の場面は、観客の全員が 映画 『レベッカ』を観ているとは限りませんけれど、観たことのある人には「あの場面だな」と直ぐに分かるでしょう。未見の人にも、想像のつく場面ではないでしょうか。ただし、観客の中には「映画は白紙の状態で観たい」という人も必ずいますから、ストーリーの一部が使われていることに適切な注意喚起をしておくことが親切です。何も この場面ばかりを VRにしなくても、映画ではダンヴァース夫人が あまり歩き回っておらず、気が付くと「そこにいた」という雰囲気で何度も登場していますので、広い邸宅の内部を予め 3Dで作って、庭に面していて蜂が時々入ってくる管理人の執務室とか、ここに来たばかりの「あなた」が部屋を間違えて次々に扉を開くと、「どのお部屋をお探しですか」と言わんばかりにダンヴァース夫人が立っている、というアトラクションでも良いでしょう。
 いずれの場合でも、簡単な絵コンテが用意してあれば、VR化のために必要な機材や 新たに開発するCG、観客の動線なども事前に分かって、作業全体のスケールが掴みやすくなります。あなたが「窓から下を覗き込む」と、それにつれて映像のカメラアングルが変化する場面ですとか、蜂が あわてて飛び込んできて頬をかすめる場面とかに、映画のリアリティを彩るための「インタラクティブ性」や「多感覚」が使われています。

 ※ なお、8Kテレビは、「縦」使用が 仕様上 認められている製品かどうかを確かめて 使用して下さい。


 画像借用元:https://www.brightwalldarkroom.com/2018/07/20/how-to-read-a-fire-on-hitchcocks-rebecca/

 この頁を公開したのは 2020年8月8日で コロナ恐怖下の東京ですが、もしも 『レベッカ』のアトラクションを、「コロナ対策済みの ヒッチコック・テーマパーク」(仮称)で実装する場合は、アテンダントを不要にする運営をしてみましょう。観客には 入口でヘッドホンを装着して頂き、アテンダントの声が 「私が、これから ご案内しますので、安心して奥まで進んで下さい」と 聞こえて、一人づつが アトラクションの中をウォークスルーします。途中の鏡では、最初は、観客の姿と (現実には見えない)アテンダントが映っているのですが、説明が あって 途中から、ジョーン・フォンテインと 家政婦長に変わります。こうすれば、アテンダントなしで、アトラクションを観客に楽しんで頂けます。以上、VR化の一つのアイデアでした。

 映画『レベッカ』予告編: http://cinepara.iinaa.net/Rebecca.html

 ※ お気づきとは 思いますが、上は『レベッカ』でなくても、別の VR化でも使用できる(常識的な)アイデアです。

 なお、パブリックドメインの映画の映像は、IVRCや国内学会の学術研究目的の無料公開であれば一部を引用して問題は、ありません。ちなみに、映画『紳士は金髪がお好き』(1953年)もパブリックドメインです。ただし、肖像権という問題が残るので、使用についてはご指導の先生に確認して下さい。それから著作権の扱いは国ごとに違いますから 注意が必要です。海外メディアの取材などで、使えない映像が出てくるかも知れません。
 フランスLaval Virtual学生コンテストからのシード代表が IVRCの決勝に参加し始めた ごく初期に、作品内で使用したキャラクターが 世界的に有名なあるキャラクターに とても良く似ていたので公開できないという問題が生じました。このときは、IVRCの実行委員たちが前夜に徹夜で手伝って そのキャラクターをフリー素材に差し替え、翌日の岐阜県 VRテクノセンターでの公開展示に間に合わせた、という いきさつもありました。

 ※ 出演俳優の肖像権というのは、例えば、 ジョーン・フォンテインさんの遺族や、この映画の監督・撮影技師・メークアップアーティストなどの遺族、この映画のファンなどが、出来上がった VR化作品が 「あまりにひどい」場合に、もしも 「フォンテインさんが生きていたら こんなひどい作品に出演しなかっただろう」と差し止めを訴える場合に持ち出すことの多い権利です。製作者に思い当たるところがあれば、映像を差し替えたり 作品タイトルを変更するべきでしょう。 パブリックドメインの作品でも、映画遺産の作品に敬意を払って 「引用」したということが分かるように、また学術研究の目的で公開していることが分かるように使用させて頂くべきなので、元の映画のファンが喜ばないような引用は 厳につつしむべきです。
 また、商業施設においての肖像権の使用は、一般に 要許諾ですので 注意して下さい。

 一考して良いかも知れないのは、海外でも有名な日本映画・アニメなどの世界観の借用です。最初に説明した通り、作品が海外でも有名であれば、観客は VRの装備を身体に装着している時点で 「その世界」を理解している場合が多いですので、待ちエリアでの プレショーを ごく簡単に済ませた場合でも より深く作品の世界に没入できるのです。 ただし、著作権者の許諾が必要です。それで、
 1) 作品の予選段階までは、似ている別のキャラクターを使用する。
 2) 予選で上位に入賞した場合に、版権保持者に許諾を依頼しに出かけて 面会する。
 3) 「国際学会での VR作品展示を目指している」と説明して、前向きな検討をお願いする。学術的な無料公開であることを強調する。

 ただし、使用を快諾して頂けた場合にも、国によって権利関係は異なりますので、例えば、北米での公開は構わないけれど 南米だと現地配給業者の意向で使えない、などの細かい問題が生じます。予選時のソフトは、緊急用に残しておきましょう。AS-1の場合には、AS-1が海外のオペレータに購入された場合に セガが『MUGGO!』を勝手に販売して良いのは、こことここ。北米はダメ、とかの縛りが 販売契約書にありました。
 余談ですが、北米には セガは『MUGGO!』のソフトを売れなかった筈なのですが、ダグラス・トランブル氏が推薦して下さって、ラスベガスの ルクソール・ホテルの開業時に大量のセガの業務用マシンが並び、その真ん中に AS-1が 『MUGGO!』を載せて鎮座しました。このホテルの竣工後の設置だったことから 搬入経路が無く、AM5研の田村和生課長がホテルの外壁に大きな穴をあけて貰って搬入したそうです。

 第2作目の作品例としては、『オイディプス王』にしようと思ったのですが、話がどうにも陰惨なので、「パリスの審判」にしました。 観たことのある人にしか分からない「映画」と違って、題材を神話から選んだ場合、観客には より身近に 作品の「世界観」を理解して頂けるでしょう。 この話は、次回に続けます。

 ※ 映画の例が 直感的に分かり易いので、今回は 『レベッカ』を題材に選んで説明してみたのですが、海外展示では肖像権の問題がありますから、名作映画を題材にするよりも、神話の神様を題材に選んだほうが良いかも知れません。失敗作になった場合でも著作権上の責任は生じません。ただ、神罰は下るかも知れませんので(笑)、注意して下さい。

 ところで、先に、デカルトの『方法序説』の出版(1637年)が近代の幕開けだった という説をご紹介しましたが、私の恩師の坂本賢三氏が それとは別の説を( 1979年の雑誌『創造の世界』30号の講演記録で )紹介しています。それは、Isaac Casaubon カソーボンという文献学者が ヘルメス学の基本文献である『ヘルメス文書』について、「世間では著者を、モーセと同じ頃の大昔(紀元前16-13世紀頃)の人だと信じているけれど、ずっと遅くの西暦3世紀頃に成立した文書なので、新プラトン主義などの影響も受けて書かれたものではないか」という論文を発表した年を近代の始まりの年だった、とする考えで、それが1614年のことでした。 『ヘルメス文書』は、1460年にコジモ・デ・メディチが写本を入手して人文主義者のマルシリオ・フィチーノに急いで翻訳をさせたのですけれど、この本やプラトンの全集がルネッサンス期の西欧思想に及ぼした影響は非常に大きかったのです。しかし、1614年を境に、世間では ぱたりと『ヘルメス文書』が研究されなくなりました。「え、そんなに新しかったの」 という落胆からです。これは私見ですが、文書の成立は西暦3世紀頃で そのころの言葉が書かれていたとしても、エジプトの祭司や神官の技能、土地の計測法や 石積みのノウハウなどは 古代から切れ目なく伝承されていたのですから、書いてある内容は 「エジプトのトート神=偉大さが通常の三倍偉大なヘルメス が真理として太古に彼らに開示した内容と矛盾がない」という判断を、私はしています。 宇宙の構造や人類誕生の意義について、その内容が 西暦3世紀の研究者の腑に落ちていたのだからです。原典に書かれた事柄を「理解」することが重要です。 ともあれ、ヘルメス文書、それ自体の成立が意外と「新しい」ものだったと分かったことや デカルトが 数式の機械論による「体系化」を提唱していたことなどから、これ以降は西欧の中世の大学など 学問研究の表舞台では、機械論の科学 (部品を集めると全体が構築されるし時間可逆性があるので修理もできます。鉄腕アトムは機械だったので、両親と弟妹の家族を 後から作って貰いました) がメジャーな科学的な思考方法だとされて行きました。それで、1614年が「近代」の始まりである、というのです。しかし、ヘルメス学(化生論)の伝統は、化学、医術、数理科学などの分野で決して絶えることが、ありません。 特に工学における(美しい)数理モデルを善しとするヘルメス学的な伝統は、どこに潜んでいたのでしょう。 また、シェークスピア、ゲーテ、モーツァルトなどの多くの作品にヘルメス学(化生論)的な影響が見られることを、どう解釈すれば良いのでしょう。 フランセス・イエイツ女史や坂本先生の ヘルメス学の学燈に関する意外な事実を、次回(7)にご紹介してみたいと思います。 しかし、念のために付け加えると、科学の伝統は「機械論」と「化生論」だけでは ありませんでした。カール・フォン・リンネが『植物の種』を出版したのは1753年で、この本はアリストテレスにまで つながる植物学(と同時に博物学・分類学)の 重要な里程標でした。植物の種をまけば植物が育ちますし(地動説が正しくても 間違っていても) 世界のアリストテレス的な見方「有機体論」は 非常に多くの分野で役立っています。また、18世紀の西欧には貴族たちの間に 博物学の「大流行」もまた、見られました。(この時代に「機械論」の科学は、主に金持ちのお妾さんや王女様のサロンにおける知的な話題でした。2005年以降の数独 = ナンプレの流行とかに少し似ているかも知れません。また「機械論とヘルメス科学」については、フリーメーソンという秘密結社で研究・伝承されていたとされています。)そういうことで、「有機体論」「化生論」「機械論」は三つ揃って今日の科学思想の主要な 三つの源流 Origins になっているのです。

 VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR』(5)「映画とは何か = VRの映像表現について」はこちら。→ こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (7)に続きます。→ 
こちら