歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』を読んで その1 私のブック・レポート≫

2020-03-01 18:30:17 | 私のブック・レポート
≪井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』を読んで その1 私のブック・レポート≫
(2020年3月1日)



※≪井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』はこちらから≫


井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』 (中経の文庫)






【はじめに】


今回からは、井出洋一郎氏の『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』(中経出版、2011年)を取り上げることにする。

この本は、ルーヴル美術館の美術案内としては、文庫本サイズとしては、数多くの美術品を紹介しているばかりではなく、作品の展示場所に留意し、解説している点に特徴がある。

目次の構成をみればわかるように、「第1章 ドゥノン翼へ」「第2章 リシュリュー翼へ」「第3章 シュリー翼へ」というように、章立ても、ルーヴル美術館の翼別に基づいている。原則として、各翼に展示されている美術品を解説している。
周知のように、ルーヴル美術館は、カタカナの「コ」字型の構造である。下辺に相当するセーヌ川沿いにドゥノン翼、上辺にリシュリュー翼、縦画にあたる所にシュリー翼がある。
それぞれの翼に展示されている代表的な美術品を解説しているわけである。

また、井出洋一郎氏は、本書が出版された当時の2011年において、東京純心女子大学教授であり、府中市美術館長という要職にあった。1949年に群馬県高崎市に生まれ、上智大学外国語学部フランス語学科を卒業し、早稲田大学大学院文学研究科で西洋美術史を専攻した。山梨県立美術館学芸員を経て、先の要職にあった。

その著作も多く、次のようなものがある。

井出洋一郎『聖書の名画はなぜこんなに面白いのか』中経出版、2010年
井出洋一郎『ギリシア神話の名画はなぜこんなに面白いのか』中経出版、2010年
井出洋一郎『美術の森の散歩道』小学館、1994年
井出洋一郎監修『世界の博物館 謎の収集』青春出版、2005年
このブログの【読後の感想とコメント】でも触れるように、本書はギリシア神話、聖書と合せて、三部作を構成するものである。
 
 まずは、【目次】を紹介し、執筆項目を提示し、内容紹介をして、最後に(その5)、私なりの【読後の感想とコメント】を述べてみたい。






井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』中経出版、2011年

【目次】
第1章 ドゥノン翼へ
第2章 リシュリュー翼へ
第3章 シュリー翼へ

ルーヴルマップ
1 ギリシア・ローマ 紀元前6-紀元後2世紀 ギリシア、ローマ
2 ルネサンス絵画 15世紀 イタリア
3 ルネサンス、バロック絵画 16-17世紀 イタリア、スペイン
4 フランス絵画大作 19世紀 フランス
5 ルネサンス、バロック彫刻 16-17世紀 イタリア、フランス
6 フランドル絵画 15-17世紀 フランドル 中世末期からバロック
7 ドイツ、オランダ絵画 16-17世紀 ドイツ、オランダ
8 フランス絵画 15-16世紀 中世末期からルネサンス
9 フランス絵画 17世紀 古典主義とバロック
10 フランス絵画 18-19世紀 ヴァトーからコロー

1~5はドゥノン翼、6~8はリシュリュー翼、9~10はシュリー翼








井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』中経出版、2011年

第1章 ドゥノン翼へ
1時代概説 ギリシア・ローマ 
優雅でダイナミックな彫刻たち 紀元前6-紀元後2世紀 ギリシア・ローマ
<3時間コース>
ギリシア前期
ギリシア後期
ローマ前期
ローマ後期
<6時間コース>
紀元前5世紀
2世紀
1世紀

2時代概説 ルネサンス絵画 
人間性と古代の「復活」 15世紀 イタリア
<3時間コース>
ボッティチェリ
フラ・アンジェリコ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ラファエッロ
<6時間コース>
ギルランダイオ
マンテーニャ
ウッチェロ

3時代概説 ルネサンス、バロック絵画 
「調和の美」から「劇的効果」へ 16-17世紀 イタリア、スペイン
<3時間コース>
レオナルド・ダ・ヴィンチ
コレッジョ
ティツィアーノ
ヴェロネーゼ
カラヴァッジョ
<6時間コース>
ブロンズィーノ
ロッソ
ムリーリョ

4時代概説 フランス絵画大作 
「新古典主義」VS「ロマン主義」 19世紀 フランス 
<3時間コース>
ダヴィッド
ダヴィッド
アングル
ジェリコー
ドラクロワ
<6時間コース>
グロ
プリュードン
ジロデ・トリオゾン

5時代概説 ルネサンス、バロック彫刻 
ルーヴルの中庭を飾る彫刻 16-17世紀 イタリア、フランス
<3時間コース>
ミケランジェロ
ピュジェ
チェッリーニ
<6時間コース>
作者不詳
グージョン

第2章 リシュリュー翼へ
6時代概説 フランドル絵画
油彩で全欧の美術をリード 15-17世紀 フランドル、中世末期からバロック
<3時間コース>
ファン・エイク
ボス
マセイス
ルーベンス
<6時間コース>
ウェイデン
ブリューゲル
ウテウァール

7時代概説ドイツ、オランダ絵画 
肖像画と風景画のブーム到来 16-17世紀 ドイツ、オランダ
<3時間コース>
デューラー
ホルバイン
レンブラント
フェルメール
<6時間コース>
クラナハ
グリーン
ホーホストラーテン

8時代概説 フランス絵画 
「冷たい美女」の誕生を見る 15-16世紀 中世末期からルネサンス
<3時間コース>
カルトン
フーケ
クーザン
フォンテーヌブロー派
<6時間コース>
ベルショーズ
クルーエ
カロン

第3章 シュリー翼へ
9時代概説 フランス絵画 
フランス人が誇る美術の黄金時代 17世紀 古典主義とバロック
<3時間コース>
ラ・トゥール
ル・ナン兄弟
プッサン
シャンパーニュ
<6時間コース>
ボージャン
プッサン
ロラン

10時代概説 フランス絵画 
「ロココ」から「自然主義」へ 18-19世紀 ヴァトーからコロー
<3時間コース>
ヴァトー
シャルダン
ルブラン
コロー
<6時間コース>
ブーシェ
フラゴナール
アングル
ジェリコー
シャセリオー
コロー

※なお、次のようなコラムが掲載されている。
美術館としてのルーヴル
宮殿としてのルーヴル①
宮殿としてのルーヴル②
ルーヴルの名称と映画
初代館長ヴィヴァン・ドゥノン
ルーヴルの内情①
ルーヴルの内情②
ルーヴルのカフェ・レストラン
ルーヴルのおみやげ
エコール・デュ・ルーヴル






※≪井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』はこちらから≫


井出洋一郎『ルーヴルの名画はなぜこんなに面白いのか』 (中経の文庫)





執筆項目は次のようになる。


第1章 ドゥノン翼へ
1時代概説 ギリシア・ローマ 
優雅でダイナミックな彫刻たち 紀元前6-紀元後2世紀 ギリシア・ローマ
<3時間コース>
ギリシア前期 「騎士の頭部、通称ランパンの騎士」
ギリシア後期 アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」「サモトラケのニケ」
ローマ前期 「チェルヴェテリの夫婦の棺」「女性の肖像画、通称ヨーロッパの女性」
ローマ後期 「ソクラテスの肖像」
<6時間コース>
紀元前5世紀 「エルガスティナイのプレート」
2世紀 「眠るヘルマフロディトス」
1世紀 「アレクサンドロス大王の肖像」

2時代概説 ルネサンス絵画 
人間性と古代の「復活」 15世紀 イタリア
<3時間コース>
ボッティチェリ 「若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神」
「ヴィーナスによって学芸女神たちに紹介された青年」
フラ・アンジェリコ 「聖母戴冠」
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「岩窟の聖母」
ラファエッロ 「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ(美しき女庭師)」
<6時間コース>
ギルランダイオ 「老人と少年の肖像」
マンテーニャ 「マルスとウェヌス、通称パルナッソス」
ウッチェロ 「サン・ロマーノの戦い」

3時代概説 ルネサンス、バロック絵画 
「調和の美」から「劇的効果」へ 16-17世紀 イタリア、スペイン
<3時間コース>
レオナルド・ダ・ヴィンチ 「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」通称「モナ・リザ」「ラ・ジョコンダ」
      「聖母子と聖アンナ」
コレッジョ 「サテュロスに見つけられたヴィーナスとアモル」
ティツィアーノ 「田園の合奏」
ヴェロネーゼ 「カナの婚礼」
カラヴァッジョ 「女占い師」
<6時間コース>
ブロンズィーノ 「彫刻を持つ少年」
ロッソ 「ピエタ」
ムリーリョ 「乞食の少年」(または「蚤をとる少年」)







本書の構成は、旅行者に実用的なガイドブックになるように、著者が配慮している。
 3時間コース 一般の旅行者が妥当な鑑賞の限界として
 6時間コース さらに分け入りたい美術ファン向け

普通のガイドブックなら、書く方の都合で、時代と地域ごとに名品を並べるだけである。
しかし、それだと、そのガイドブックをもってルーヴル美術館に行っても、作品を探すのに時間がかかり、迷子になりかねないと考え、この普通の構成をとらないと著者はいう。
そこで、ルーヴル美術館の展示順序にできるだけ沿い、必要な解説が現地で、すぐ読めるような、文庫サイズのガイドブックにしてある。また、家庭でヴァーチャルに図版を鑑賞しても、その場の雰囲気を楽しむことができるガイドブックを目指したという。

ただし、扱う美術品は、ギリシャ・ローマから始めて、中世を飛ばして、ルネサンス以降の絵画中心の西洋美術史に限定したと断っている。
具体的な構成は、本の目次に表わされている。その目次は次のようになっている。
第1章 ドゥノン翼へ
第2章 リシュリュー翼へ
第3章 シュリー翼へ



≪内容要約≫
第1章 ドゥノン翼へ

1時代概説 ギリシア・ローマ 
優雅でダイナミックな彫刻たち 紀元前6-紀元後2世紀 ギリシア・ローマ
<3時間コース>

ギリシア前期 紀元前6世紀


「騎士の頭部、通称ランパンの騎士」
紀元前550年頃/大理石に彩色跡/頭部高さ27㎝ Denon半地下階

【騎士のアルカイック・スマイル】
この珠玉のアルカイック彫刻は、1896年、ジョルジュ・ランパンが寄贈したことにちなみ、その名を記念して、「ランパンの騎士」と呼ばれている。

実はアテネのアクロポリスで発掘された時には、すでに首と馬上の胴体が切り離されており、この蛮行は紀元前480年のペルシア軍アテネ侵入の際に行なわれたと考えられている。

この首こそアルカイック・スマイルの美の典型を鑑賞できる希少な宝物なのである。この首のポイントは3つあると井出氏は指摘している。
① 顔のにこやかで晴れがましい表情と、ちょっと頭を向かって左に傾けたポーズ
この頃の丸彫り彫刻はほとんどが正面向きなので、何か意味があるにちがいないとみられている
② 草の冠を被ったカールした髪の頭部と顎髭が装飾的な文様に見えること
このファッションはペルシアから逃げてきた小アジア移民の流行で、ギリシア東部の影響を表すそうだ
③ 髪や瞳や唇にピンクと黒の彩色の跡が見受けられること
アルカイック時代の彫刻には鮮やかな色が塗られていた。ギリシアといえば、真っ白な大理石彫刻のイメージがあるので、目から鱗である(大理石を磨いて真っ白にするのは、そうした技術が可能になったヘレニズム期からローマ時代である)

ところで、この騎士がどんな人物だったのかについては、昔の説では、この騎士は神話の英雄カストルとポルックスの双子のどちらかの神性を持った人物と考えられていた。
しかし現在では、その頭を傾けて群衆に挨拶するポーズや優勝者の草の冠などから、他国での騎馬協議に勝利してアテネに凱旋した青年の記念像と推定されている。そしてこの像を、武芸の女神アテナを祭ったアクロポリスに奉納したようだ。そして、本来は頭の向きが違うように一対になっていたであろうとされる。
(井出、2011年、18頁~21頁)


ギリシア後期  紀元前2世紀



アフロディーテ、通称「ミロのヴィーナス」


紀元前2世紀末/高さ202㎝/大理石彫刻
1820年、ギリシアのメロス島で発掘、翌年リヴィエール侯爵からルイ18世に献呈

井出氏は、「時代概説 ギリシア、ローマ」において、古代ギリシア彫刻について解説している。
ギリシア彫刻は、紀元前7世紀のアルカイック(古拙)様式に入ってから、丸彫りの彫刻では戦士や少女など神々への奉納像が神殿建築とともに制作された。
そしてアルカイックに続くクラシック時代、紀元前5世紀のパルテノン神殿彫刻において、名匠フェイディアスのもとに黄金時代を迎える。

紀元前4世紀にはポリスとしてのアテネが衰退し、ギリシア世界が地中海域に分散するヘレニズム時代を迎えると、彫刻も女神の女性らしさに重点を置くプラクシテレスの優美なスタイルが主流となる。それは紀元前2世紀の「ミロのヴィーナス」などに受け継がれる。また周りの空間を意識した動きのダイナミックな「サモトラケのニケ」なども、この時代の特徴的な名品である。
(井出、2011年、16頁~17頁)

【人類の遺産「ミロのヴィーナス」の5つの見どころ】
ルーヴルのお目当ての逸品「ミロのヴィーナス」は、新たにシュリー翼の新展示室に移った。
井出氏は見どころはまず3つあるという。
① 上半身でも、とにかく貴重なヌードであること
② 末期でもギリシア時代の作であること
③ 等身大以上の大きな大理石彫刻であること
この3条件を備えた作品は、今日までこの「ミロのヴィーナス」しか発見されていない人類の遺産である。

そしてあとマニアにとって2つの見どころを示している。
④ 後ろ姿に注目すること(後ろに回って、腰から出ているお尻に注意。ヘレニズム期の特徴として)
19世紀にはこの彫刻は紀元前4世紀の巨匠プラクシテレスの模倣者による古典的な作品とされていたが、ドイツの学者フルトヴェングラー(同名の大指揮者の父上)が、台の銘文や身体のポーズのくねりから、この彫刻が古い時代のものではなく、ヘレニズムの末期の新しい彫刻であることを発表して、定説となっている。その理由のひとつがお尻にある。
⑤ この彫刻の失われた2本の腕を復元したら、どうなるかを想像してみること。
(井出氏はこの点は他の専門書に譲るとして言及していない)
なお、この新展示室には「ミロのヴィーナス」と一緒に発見されたヘルメ柱や部分品が資料として展示されているので、ファンには必見である。
(井出、2011年、21頁~23頁)

「サモトラケのニケ」


紀元190年頃/高さ328㎝/大理石彫刻
ギリシア、エーゲ海北東のサモトラケ島で1863年に発掘

【スポーツブランド名の語源になった勝利の女神】
スポーツ用品のナイキの語源になった勝利の女神ニケは、大洋の神オケアノスの孫娘とされているが、寓意像の意味が強い。戦場において必ず勝利する側につくので、軍隊や戦士にとっては、守り神である。

ドゥノン翼ダリュ階段の上に、船首を模した台座に舞い降りる姿で、再現されている。もともとこの像は、エーゲ海の小島の断崖絶壁上の神殿の先に海風を受けて立っていたといわれる。

濡れた衣が肌に張り付いて豊かな肉体が浮かび上がる表情など、とても人工の石像とは思えないほどである。本体は細かな片々で発掘されたので、復元された19世紀後半から、首も腕も足先もない胴体「トルソ」の彫刻になっている。それに右の翼もほとんど失われて、現在の翼は後で補ったものである。まさに満身創痍の姿である(かえってそれがこの彫刻の本質のみを穿つという)。

どこから見たら一番美しいかについて井出氏は付言している。階段を上りつつ、正面から胸をドキドキさせながら、見るというのが1つ。また向かって右面からだと窓から逆光になるので、窓側の左からも見やすいという。
(井出、2011年、24頁~25頁)

ローマ前期


ローマ前期(紀元前6世紀~紀元後2世紀)
「チェルヴェテリの夫婦の棺」
紀元前6世紀末/テラコッタ(彩色陶器)/高さ111㎝ 幅194㎝/
イタリア、カエレ、チェルヴェテリの墓地から1845年カンパーナ侯爵発掘 Denon 1F

【死後も永遠の愛と復活の願いを込めて】
古代エトルリアは、イタリアの先住民族(エトルスク民族、紀元前9世から6世紀に全盛)が今のフィレンツェとローマの間の丘の上に築いた都市国家で成り立っていた。ギリシア東部のイオニア地方と関係を築き、アルカイック様式のギリシア彫刻がそのルーツにある。

この「チェルヴェテリの夫婦の棺」は、その影響が見られ、エトルリア人夫婦はアルカイック・スマイルを浮かべている。しかし、エトルリア人はギリシアやローマ人と違う習慣があった。ギリシアやローマ人が男ばかりが宴席を囲むのに対して、エトルリア人は女性を蔑視せず、夫婦で寝そべって宴席に臨むことがあったようだ。

さて、この彫像は、死後も永遠の愛を誓う二人は夫がワインの杯を持ち、妻が右手で夫の手に香油を垂らす民族的な葬儀の礼法を表している。妻の左手は復活を示すザクロの実を持っていたようだ。ワインを入れる革袋を夫婦がクッション代わりにしている(葬儀の宴会に必要なワインの量が想像できる)。

この作品は、まだエトルリア周辺で大理石が発見されなかった時代において、テラコッタという彩色陶器芸術の民族的な代表作である。
(棺の中に何が入っていたかは記録がないが、遺体というより、遺骨が入っていた骨壺と推測されている)
(井出、2011年、26頁~27頁)

ローマ前期


ローマ前期(紀元前6世紀~紀元後2世紀)
「女性の肖像画、通称ヨーロッパの女性」
紀元後120-130年/蝋画、金箔・杉板/
エジプト、アンティノポリス(アンティノエ)出土 Denon 1F

【エジプトに出土した、若く美しいミイラ肖像画】
井出氏は、この本では、西洋美術に絞っているため、あえてエジプトや中近東美術には触れていないが、エジプト末期のこの作品「女性の肖像画、通称ヨーロッパの女性」だけはチェックしてほしいという。

この絵の女性像は、エジプトに出土したミイラの肖像であると同時に、堂々たるローマ絵画に連なる名品である。この当時のエジプトは、クレオパトラ女王の没後、ローマの属国になっていた。しかし死後の復活を信じる民族の伝統は失せず、ここに文明の奇跡的な混淆が行われた。

この絵はレバノン杉の杉板に、保存がよい蜜蝋で描かれている。
大きな真珠で飾られ、金箔で首から肩を覆われている。この女性は若くして世を去る運命にあったが、画家は再生の願いを込めて、その生前の美しさを描きとめた。ミイラ肖像画であるから、埋葬品として少し怖いオーラもあるが、井出氏はぜひ注目してほしい芸術として取り上げている。
(井出、2011年、28頁~29頁)

ローマ後期


ローマ後期(2世紀)
「ソクラテスの肖像」
2世紀/大理石/イタリア/高さ37㎝
リュシッポス原作(BC318年頃)のローマ時代模作 Denon 1F

【哲学者ソクラテスに親しみがわく逸品】
ギリシアを征服したローマ帝国では、ギリシア本土から連れてこられた彫刻家に過去の名作のコピーを制作させて、皇帝や貴族の私的コレクションとした。フランスでは、その流れを汲んで、ルイ14世がローマ彫刻を蒐集し、ルーヴルの名品の数々をなしている。

井出氏にとって唯一印象深いのが、醜男で有名なソクラテスの首の彫刻であるそうだ。アレクサンダー大王時代の名匠リュシッポスの原作の模作である。牧神パンに似たタイプのユーモラスなもので、以後のソクラテス像のイメージ・ソースになった。
この彫刻を見ていると、「己の無知を知る」賢者の天真爛漫な風格を肌で感じられて、哲学者ソクラテスに親しみがわく、珍しい逸品であると井出氏は評している。
(井出、2011年、30頁~31頁)

<6時間コース>

紀元前5世紀


「エルガスティナイのプレート」
紀元前445-438年/大理石/浮彫/アテネ、パルテノン神殿下から発見/96×207㎝
1784年にコンスタンティノープル大使ショワズル伯爵蒐集、1798年大革命後政府の接収 Sully 1F

【大英博物館も悔しがる超大作のハイライト部分】
アテネのパルテノン神殿のご本尊アテナ女神の黄金象牙像が収められた神室の外面四周最上段に、帯状にはめ込まれた全長160mの浮彫(フリーズ)があった。名匠フェイディアスが弟子たちを指揮して、破風彫刻やメトープ浮彫とともに造り上げた。

4年に1度開かれる「パン・アテナイア大祭」の祭礼行列をテーマに、360人を超す神々とアテネ市民が登場するフリーズのほとんどが、ロンドンの大英博物館に、そして一部がルーヴルとアテネのアクロポリス博物館に分蔵されている。

しかし、ルーヴルのシュリー翼の新しい壁面に移ったプレートは、一部とはいえ、神室正面東側を飾るハイライトの部分である。つまりエルガスティナイといわれるアテネの上流階級の乙女たちが織った神衣ペプロスを女神に捧げる行列の中でも最も美しい部分である。
彼女たちの衣の襞の直線は美しく、覆われた肉体の丸みとよく調和し、さらに左に向かう動きの6人の間に男性神官が2人入って絶妙のリズムを作っている。

他の大部分を所蔵する大英博物館も、ここは画竜点睛を欠いて悔しいものと井出氏は想像している。加えて、右から2番目の乙女の持つ皿は、アテナの祭壇に神酒を捧げるためのものであるらしく、このプレートの価値はさらに高まるそうだ。
(井出、2011年、32頁~33頁)

2世紀


「眠るヘルマフロディトス」
紀元後2世紀(原作は紀元前2世紀/大理石(枕とマットレスは17世紀ロレンツォ・ベルニーニによる後補/169×89㎝/
1608年ローマで出土/旧ボルゲーゼ・コレクションを1807年購入 Denon 1F

【官能的な輝きを放つ眠る美女の秘密とは】
この妖艶な美女の寝姿は、ギリシア神話のヘルメスとヴィーナス(アフロディテ)の子なので、合成語としてヘルマフロディトスと呼ばれている両性具有の神である。

ただし、古来のギリシア本土の神話ではなくて、ヘレニズム時代のエジプト、アレクサンドリアでの流行らしく、この彫刻もそこが原産地といわれる。
もとは少年だった彼に片思いした泉のニンフが、ゼウス神に祈って彼と合体させてもらったという伝説である。

ところで、この彫刻が敷いている布団と枕はあまりにぴったりはまっているものの、後世のものである。その作者は、ヴァティカンの列柱廊や名作「アポロンとダフネ」で有名な、17世紀最高の大彫刻家ベルニーニである。蒐集家でパトロンのボルゲーゼ枢機卿から依頼されたが、ベルニーニが21歳の頃の作品らしい。
(井出、2011年、34頁~35頁)

1世紀


「アレクサンドロス大王の肖像」
リュシッポス原作(紀元前330年頃)の紀元後1世紀の模作/大理石/高さ68㎝ 幅32㎝/ローマ近郊ティヴォリで1799年出土/
駐ヴァティカンのスペイン大使ジョゼ・二コラ・ド・アザラからナポレオンに寄贈され、1803年ナポレオンがルーヴルに寄贈 Sully 1F

【ナポレオンが寄贈した最も尊敬する英雄の像】
ルーヴルには、ローマ時代たくさん作られた王や皇帝の肖像がずらりと展示されていて、どれをじっくり見るか悩むところである。
井出氏のお勧めが、古代ギリシア世界の覇者で、インドまで東征したアレクサンドロス大王の肖像である。
(皇帝ネロやカリグラの肖像は、情熱的だが、なにか退廃的で後味が悪いという)

原作は実際に大王に仕え、彫刻でただひとり大王の肖像権を賜った名匠リュシッポスの作である。長く土中にあったせいで保存は悪いとはいえ、銘文によって、これがその模作であることを証明できる唯一の名品である。そして、ナポレオンが入手して、ルーヴルに寄贈したという、曰くが付いている。ナポレオンは歴史上の英雄ではアレクサンドロス大王を最も尊敬していた。
(井出、2011年、36頁~37頁)



第1章 ドゥノン翼へ

ボッティチェリ


ボッティチェリ(1445?-1510) 
① 「若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神」
1483年頃?/フレスコ画/211×283㎝ Denon 2F
② 「ヴィーナスによって学芸女神たちに紹介された青年」
1483年頃?/フレスコ画/237×269.5㎝ Denon 2F

【日本画のような繊細な線の芸術を見逃すな】
ドゥノン翼のイタリア絵画の幕開けにふさわしいのが、このボッティチェリのフレスコ画である。
(「サモトラケのニケ像」から右に入って、すぐ左に展示されている)

フィレンツェ近郊のレンミ荘ロッジアの漆喰壁から発見された(傷みが激しいので、画面保存のため、この展示室は暗くしてある)。

① 「若い婦人に贈り物を捧げるヴィーナスと三美神」について
左の色の異なる優美な女性たち4人のグループと、右の地味な服の身を堅くした若い女性が描かれている。画面に破損のある左3番目の女性が愛と美の神ヴィーナスである。背後に侍女の三美神を引き連れて、右の女性に贈り物をしている。右下の男の子は、ヴィーナスの息子のキューピッドである。

この絵も、ウフィツィ美術館の名作「春(プリマヴェーラ)」や「ヴィーナスの誕生」のように、当時フィレンツェを支配していたメディチ家お雇いの哲学者フィチーノらの新プラトン主義を反映していると解釈されている。そこではヴィーナスが愛ばかりでなく、智恵も含めたあらゆる美徳の象徴として崇められている。

② 「ヴィーナスによって学芸女神たちに紹介された青年」
隣にあるもうひとつのこの絵についても、ヴィーナスは女子には美と愛をプレゼントし、その対になる男子には学問の知識を仲介しようとしている。
誰がモデルかについては、当時の名家の結婚式の記録を探しても、。この絵の1483年頃という制作年代と合わず、確定が難しいようだ。

ボッティチェリのこのフレスコ画は、テンペラ画にも油絵にもない透明で繊細、日本画のような高級な線の芸術であると井出氏は理解している。
(井出、2011年、42頁~44頁)

フラ・アンジェリコ


フラ・アンジェリコ(1387/1400-1455) 
「聖母戴冠」
1430-34年頃/テンペラ画/209×206㎝ Denon 2F

【キリストと聖母を囲んだ金と青による異次元の世界】
この絵はじっくり鑑賞する価値がある。というのは、黄金色=天の栄光と、貴石ラピスラズリの青(フラ・アンジェリコ・ブルー)=聖母マリアの純心(Immaculate Heart)による異次元の世界が描かれているから。

「聖母戴冠」とは、天に召された後の聖母マリアがキリストから「天の女王」の冠を授けられる瞬間をさす。キリストと聖母の王座を聖人、聖女たちが囲んでその戴冠を祝福している。

フラ・アンジェリコはドメニコ修道会の画像である。フィレンツェのサン・マルコ修道院の壁画「受胎告知」が有名だが、井出氏は、ルーヴルのこの絵の方が凝縮した技法の妙味が味わえて、感動すると評している。

この絵は、もとはフィレンツェ郊外の聖ドメニコ修道院聖堂の祭壇画だったが、1812年、ナポレオン皇帝時代の最後にルーヴル入りした。ナポレオン敗北後も、館長ドゥノンの尽力で返還せずに済んだ。

この絵の素晴らしいところは、目もあやな色彩だけではない。人物をこれだけ積み上げたフィクションでありながら、いかにも自然に人物が参集している構図も優れているようだ。つまりキリストと聖母以外は上下に遠近法が働いているので、下から見上げる鑑賞者は、この戴冠の儀式に天国的な憧れを持つ。また、床の敷石は奥行きの遠近法によって、部屋の空間を示唆して、この儀式が現実に行われていることを示すという。上下=過去の中世、奥行き=ルネサンスの現代の2つの時代をワープするのが聖母の存在であると井出氏は説明している。
ちなみに、フラ・アンジェリコが属した聖ドメニコ修道会は、当時の聖母マリア信仰の本拠地であり、この絵には表現と信仰の理想的なイメージがあるそうだ。
(井出、2011年、45頁~47頁)

レオナルド・ダ・ヴィンチ


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519) 画家の孤独を映し出す不思議な聖母子像
「岩窟の聖母」
1483-86年頃/油彩・板(後にカンヴァス)/199×122㎝ Denon 2F

【崖っぷちの幼児キリストが意味するのは?】
この「岩窟の聖母」は不思議な絵なので、一度見たらなかなか離れられない。
聖母は頂点にいる。そして聖母が背中に手をやるのは、イエスの又従兄弟(またいとこ)である洗礼者ヨハネである。幼児イエスは、女性顔の天使の下にいる。天使が指さして紹介するヨハネを2本指で祝福している。

聖母は天使の差した指先に手を向けて、上から押さえつけようとしているかに見える。その聖母の顔も見てみると、微笑んでいるようでいて、困惑したように見える。洗礼者ヨハネと仲良くしなさいといいながら、天使に息子に祝福させるのはやめてという矛盾した態度を聖母はとっていると井出氏は解釈している。

この「岩窟」というシチュエーションも前代未聞であるそうだ。この祭壇画を注文したのは、当時レオナルドが滞在したミラノのサン・フランチェスコ聖堂の「無原罪のお宿り同信会」であり、ここらあたりに原因があるとみられている。

井出氏は、この絵にある種の矛盾を感じるという。レオナルドは、その父が別腹で生ませ、生母を知らない庶子であったが、そのレオナルドがもともと神の子の母マリアは原罪を免れている清らかな存在という理論の証明をしなければならないという点に、井出氏は矛盾を感じるようだ。

この絵で、レオナルドの新機軸として面白いのは、岩窟の向こうから、神の恩寵による受胎をさせるための光」が差し込み、構図上、聖母の胎内を通過して幼児イエスに届かせている点である。そして、この絵の聖母は自分の子ではない洗礼者ヨハネを傍らに抱いて、自分の子を育ての母の天使に任せている。つまり、二人の母たちはキリストの将来をコントロールするグレイト・マザーであると井出氏はみている。

レオナルドがミラノ時代にあえて母胎の解剖をして、人間はどうして生まれてくるのかを研究したことを考え合わせると、この絵の不思議さが、身にしみてわかってくると解説している。

レオナルドはこの絵という胎内において、イエス・キリストという預言者がいかに孤独な生まれ方をして、遊び場所もこの絵のように、崖っぷちの危ない生き方を選ばざるを得なかったかを描いたという。そしてその孤独な子どもが自分だということも、示唆していると井出氏は解釈している。
(井出、2011年、48頁~50頁)

ラファエロ


ラファエロ・サンツィオ(1483-1520) 「聖母の画家」として愛され出世した理由は?
「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ(美しき女庭師)」
1507年/油彩・板/122×80㎝ Denon 2F

【「美しき女庭師」という作品】
この絵は16世紀初めの制作年である(1507年)。
(ただ、ラファエロの師だったペルジーノの影響下、まだ15世紀的な要素が多いので、第1章に井出氏は含めたという)。

ラファエロは、レオナルド、ミケランジェロと並び称されるルネサンス盛期の巨匠である。
1508年、ヴァティカンから署名の間壁画制作に呼び出される前のラファエロは、尊敬するレオナルドに倣った「聖母の画家」としての名声が高かった。この絵に代表される田園の中の貴婦人としての聖母像も、ご本家のレオナルドが注文を受けようとしないので、需要を請け負い、世に高く評価された。
実は、この聖母画は似たような構図の3部作の1つである(残り2つは、フィレンツェのウフィツィ美術館とウィーンの美術史美術館にある。3部作の中で、このルーヴルの作品が内容が充実して一番美しいとされる。そして、ルーヴルのグランドギャラリーの中でも、レオナルド作品よりも、ひときわ観客に囲まれているのが、この絵である)。

ラファエロの「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」は、フランス語の通称を、La belle jardinière(美しき女庭師)」という。16世紀のフランソワ1世時代から王家に伝わって愛されていた。

ここでラファエロは、ルーヴルのレオナルド「岩窟の聖母」などの三角形構図をさらに単純明快に直し、聖母は幼児イエスの手を取って、洗礼者ヨハネは聖母の膝元にしゃがんでいる。いわば常識的な組み合わせに落ち着かせている。

ところで、ラファエロは少年期に母親を早く亡くしている。しかし、エキセントリックに屈折した非嫡出子レオナルドとは違って、画家の父の跡継ぎ息子であったので、ラファエロは素直に女性を追慕する穏健な性格を留めたのかもしれない。

とにかく、画面の風景をトスカーナの明るい田園に設定し、その聖母子像は、女性や子どもの人物表情を思い切って親しみやすく可愛げをおびている。ラファエロの聖母像は、凡百のフィレンツェの画家たちを出し抜いて、教皇ユリウス2世の目に留まり、ラファエロはローマ、ヴァティカンで活躍することになる。
(井出、2011年、51頁~53頁)

<6時間コース>

ギルランダイオ


ギルランダイオ(1449-1494) 
「老人と少年の肖像」
1490年頃/油彩・板/62×46㎝ Denon 2F

【ミケランジェロの師が描く慈愛に満ちた老人と孫】
ギルランダイオは少年時代のミケランジェロの師であった。フィレンツェでは、公共の壁画など請け負って大工房を構えるマエストロであった。肖像画にも人物の特徴や衣服、アクセサリーに至るまで、細密に描いた優品がいくつかある。中でも最もユニークで情に7あふれる絵がこの一品であると井出氏はみなしている。

お祖父さんが幼い男の孫に向かって、慈愛に満ちたまなざしで、何かを伝えようとしている。孫は祖父にすがりながらも、その大きなイボのついた鼻を不思議そうに見上げている。
実はこの老人が死の床にいる写生素描が遺されているそうだ。この肖像画は老人の没後に、おそらく親しかったギルランダイオによって、孫と一緒に記念画として描かれたようだ。
(ということは、老人はあの世から、可愛い孫の幸せを願っていることになる。このことを念頭において絵を見直すと、窓の外の山岳風景も、彼岸と此岸を遠近で表しているようだと井出氏は付言している)。
(井出、2011年、54頁~55頁)

マンテーニャ


マンテーニャ(1431-1506) 
「マルスとウェヌス、通称パルナッソス」
1497年/油彩・カンヴァス/159×192㎝ Denon 2F

【豪華に神々が競演する神話パロディーの傑作】
この絵はギリシア神話の神々が大集合した絵である。
(もう一つのルーヴル所蔵「美徳の庭で悪徳を追放するミネルヴァ」などと連作になる)

もとはマントヴァの女君主イザベラ・デステの書斎を飾り、17世紀のリシュリュー枢機卿コレクションから大革命後、ルーヴル入りした由緒ある名品である。
登場人物としては、左にアポロンが竪琴を弾いて学芸の女神ムーサイたちを踊らせている。右にはユピテルの従者メルクリウスが天馬ペガサスを連れて様子を見守り、岩のアーチ上では愛の神ウェヌス(ヴィーナス)が、愛人で軍神マルスとともに辺りを見下ろしている。
(左の洞窟では、ウェヌスの夫である鍛冶屋の神ウルカヌスが浮気妻と愛人を発見し、怒りに燃えている)
学問芸術のパトロンであろうとしたイザベラ・デステが好んだ神話パロディーの傑作である。
(井出、2011年、56頁~57頁。なお高階秀爾『ルネッサンスの光と闇』を是非参照にしてほしいと井出氏は断っている)




【高階秀爾氏による「パルナッソス」の補足解説】


さて、その高階氏は、マンテーニャの名作「パルナッソス」について、次のように解説している。
「パルナッソス」は、普通、美の女神ヴィーナスと軍神マルスの恋を讃えた作品と考えられている。画面中央の山の上には、ふたりの恋人たちがいるその下の方では、アポロの弾く竪琴に合わせて9人のミューズ(詩神)たちが踊っている。この踊りは、ふたりの道ならぬ恋を讃える意味があるようだ。

高階氏は、この9人の配置が興味深いと主張している。画面左側に4人、右側に4人、そして中央にひとりいるが、この中央の天文学を司る詩神、ウラーニアだけが後向きで顔を見せていない。この9人のミューズたちは、このウラーニアを中央に左右に分けられ、左右のグループを中央のウラーニアが媒介するという、あの「三美神」と同じ構造を示しているというのである。
「三美神」は、中央の美神だけが後向きで、左右の美神はいずれも横顔を見せている(例えば、トリナブオーニのメダル。中央が後向きの三美神は、ポンペイの壁画、ボッティチェリの「春」やラファエロの「三美神」にも見られる)。

ところで、この情景だけ見れば、いかにも軍神と美神の恋は祝福されたもののように見えるが、実は必ずしもそうではない。画面左手の岩窟では、ヴィーナスの正式の夫ウルカヌスが妻の道ならぬ恋を見つけて、怒りにかられ、このふたりをつかまえる金属の網を作っているところである。ウルカヌスは鍛冶屋の神で、創意工夫に富んだ智慧者なので、強力な金網を作ることぐらい、容易であった。
(とすれば、パルナッソス山頂にいるふたりの恋人たちには、意外に恐ろしい不幸が待ち構えていると高階氏は解説している)

さらに興味深いことには、この画面の前景の水のほとりに、小さく兎とハリネズミが描き出されていることである。兎はヴィーナスの象徴と考えられ、肉体的な欲望をあらわすものとされた。例えば、ティツィアーノの「聖愛と俗愛」の背景にも兎が登場し、デューラーの銅版画「アダムとエヴァ」にも原罪を意味するものとして兎が描き出されている。

一方、ハリネズミは、敵に対しては自分の身体を覆っている針を投げつけるという猛々しい性質を持った動物と考えられ、軍神マルスをさすようだ。
動物の中でも、最も臆病な兎と、小さいながら勇猛果敢なハリネズミという対照的なものが描かれている。ここでは相反するものの結びつきというルネサンス思想の基本的命題が暗示されていると高階氏はみている。

このように、こまやかな細部にいたるまで複雑な意味を含んだマンテーニャの「パルナッソス」は、1497年、イザベラ・デステのために描かれた。それから数年後、1502年にマンテーニャは、それと対幅となる作品「美徳の庭で悪徳を追放するミネルヴァ」(ルーヴル美術館蔵)をイザベラのために描いている。
これらは、あらゆる悪を容赦なく追い払うという厳しさを見せている。「徳の森」から、兜をかぶり、楯と槍を手にした女神ミネルヴァが、颯爽と立ち現れ、悪を絶滅しようとしている。

イザベラ・デステは部屋の中で、「美徳の庭で悪徳を追放するミネルヴァ」を向かって左側に、そして「パルナッソス」を右側にかけていたであろうと推測されている(そうすれば、ミネルヴァとマーキュリーのふたりの神が左端と右端に立つ構図になる)。
そしてイザベラ・デステは、マンテーニャによるこの対照的な二点の作品の間に、第三の作品を考えていたようだ。
それがペルジーノの「純潔と愛欲との戦い」(ルーヴル美術館蔵)である。これは、軍神ミネルヴァ、処女神ディアナによって代表される「純潔」と、ヴィーナスおよびキューピッドによって代表される「愛欲」との闘争を描いている。

注文主であるイザベラ自身、ペルジーノに書き送った手紙の中でこの絵を描くように命じ、その画面ではヴィーナスとディアナの「いずれが勝つともはっきりわからないように」描くべきだと指示している。もともとイザベラは、この種の寓意画を注文する時は、構図や人物の姿態についてまで、こと細かに指示を与えるのがつねであった(この作品だけについても、ペルジーノあての手紙は53通に及んだそうだ)。だから、画面の登場人物は画家の創意というより、イザベラの考えと言ってもよいくらいである。

イザベラには、多忙な政務の間に多くの本を読み、学者たちと会い、ユマニストの相談相手がいた。また、マントヴァのパラッツォ・ドゥカレーレにあるイザベラの部屋の扉には、寓意像が彫り出されていたという。それは、9人のミューズたちの中で、歴史を司るといわれるクリオの像である。クリオは過去をシンボライズにする髑髏を踏まえ、片手に大きな角笛を持ち、もう一方の手に大きな本を持ってそれを頭の上に載せている。この本は歴史の本であり、角笛はマンテーニャの「パルナッソス」でキューピッドの吹いているラッパと同じく、「名声」を意味すると高階氏は解釈している。つまり、この女性像は、ミューズたちの中でも最も知的な歴史の詩神クリオである。

このようなクリオの像を、わざわざ自分の部屋の扉に彫らせたということは、イザベラ・デステがいかに歴史の好きな、人文主義的教養の持ち主であったかということを雄弁に物語る。それと同時に、この寓意像は、そのままこの部屋の主人であるイザベラその人の姿を示すとみられる。イザベラこそは、深く読書を好み、そして教養の故に「名声」を得ていた存在だったから。
(高階秀爾『ルネッサンスの光と闇――芸術と精神風土』中公文庫、1987年、161頁~170頁、181頁、316頁~317頁、322頁~329頁)


【高階秀爾『ルネッサンスの光と闇――芸術と精神風土』はこちらから】


高階秀爾『ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土』 (中公文庫)




ウッチェロ


ウッチェロ(1397-1475) 
「サン・ロマーノの戦い」
1435年頃/油彩・板/182×317㎝ Denon 2F

【3D映画のようなファンタジーな戦記物】
ウッチェロは、フィレンツェの画家でも遠近法を最も得意としたマニアックな画家である。

この騎馬戦の馬、人、槍の錯綜した構図は、この画家の好んだ短縮遠近効果を発揮するのに最適であった。1432年、シエナに対するフィレンツェの戦勝を記念して、メディチ家の宮殿のために3枚が連作として発注された。
(他の2枚は、ウフィツィ美術館とロンドンのナショナルギャラリーに分蔵されている。ルーヴルの方が最高の出来であると評されている)

とくに真ん中には、突撃する将軍コティニョーラの勇姿が描かれる。軍旗や盾や夜の背景も、幻想的な雰囲気で、ファンタジーの戦記物のようであると井出氏は表現している。そして、当時の人々はこの絵の馬が画面から飛び出してくるようなリアルさに、今日の3D映画を見るような思いをしたのではないかと想像している。
(井出、2011年、58頁~59頁)

レオナルド・ダ・ヴィンチ


【「モナ・リザ」の微笑に3つの秘密】

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519) 画家が背景に隠した謎を読もう
「フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像」
通称「モナ・リザ」「ラ・ジョコンダ」
1503-06年/油彩・板/77×53㎝ Denon 2F

ルーヴル美術館を訪れる目的の半分は、この絵を見るためといってよいほど、この絵は世界中のファンを魅了している。

モデルはフィレンツェの富豪ジョコンドの妻エリザベッタ、通称リザである。ルーヴルでは、「モナ・リザ」(モナとはイタリア語の有夫の女性の敬称)は、「ラ・ジョコンダ」と呼んでいる。これまでモデルは、誰かと議論はあったが、今日ではこれで落着している。

井出氏は、この絵では次の3点が重要であるとする。
① 画法上の秘密
② いわゆる「モナ・リザ」の微笑
③ 背景の山岳風景

① 画法上の秘密は、この絵には輪郭らしいものがないことである。レオナルドは輪郭線を消して、人体が自然に浮かび上がるようにした(先輩のボッティチェリの絵には、細く美しい線が身体の周りに引いてあったのと、対照的である)
② 筆の他に指も使う「ぼかし」(イタリア語でスフマートの技法)で、唇の陰影を神秘的に描き出した。
③ モデルの右の山からは川が生成して橋も架かって豊かな水が流れている。ところが左の山からは、もはや水は涸れて砂漠化した川の跡地になっている。
(井出氏は、「水の惑星」が「砂の惑星」に成り果てる未来の是非を問いかけたのではないかと杞憂しているが、いかに?)
(井出、2011年、64頁~65頁)

【「聖母子と聖アンナ」の3つのポイント】

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519) 幼児キリストと人類の運命の行方は?
「聖母子と聖アンナ」
1508-13年頃/油彩・板/168×130㎝ Denon 2F

ルーヴル美術館には、レオナルドの傑作が5点もある。フランス王フランソワ1世が晩年のレオナルドを招聘したので、世界一のコレクションになった。
「モナ・リザ」をおいて、もう1点代表作を求めれば、グランド・ギャラリーにある「聖母子と聖アンナ」を井出氏は取り上げている。そして、この絵もポイントは3つあるという。

① アンナ(マリアの母)、マリア、幼児キリスト、子羊(=人類)が、上から右下へ流れるように重なって、1つの三角形構図をつくっていること。
本当は不自然なのに、まさに画家のマジックにでもかかったかのように、いかにも親子三代の系図が出来ている。
② アンナとマリアの豊かな表情がものをいうこと。
マリアは息子が子羊を放さないので、人類の犠牲になる息子の運命を予感し、心配顔で懐に抱こうとする。祖母のアンナは、そうしたやんちゃな孫の運命を、慈愛と諦念をもって見守っている。
③ 背景との関係
「モナ・リザ」は左右横の風景が問題であったが、こちらの絵は縦の風景の差異に注意する必要がある。祖母アンナの背景の山岳は、太古の地球の風景である。マリアの背景には緑の大樹が描かれて現在の風景である。ところが幼児キリストとわれわれ子羊の下は大地がぼろぼろに崩れる崖になっている。
(映画にもなった『ダ・ヴィンチ・コード』などより何倍も恐ろしい「秘密」がこの絵にも隠されていると井出氏はいう)
(井出、2011年、64頁~67頁)

コレッジョ


【二大巨匠のイタリア・ブランドを継承する名画】

アントニオ・アッレグリ、通称コレッジョ(1489-1534) 
「サテュロスに見つけられたヴィーナスとアモル」
1525年/油彩・カンヴァス/188×125㎝ Denon 2F

コレッジョは中部イタリア、パルマ近郊の地名で、出身地が通称となった(カラヴァッジョと同じで昔はよくあるケースである)。

コレッジョの宗教画もきれいだが、ギリシア神話を主題とする女性で、外国でも大変な人気画家となった。
「サテュロスに見つけられたヴィーナスとアモル」は、好色な獣神サテュロスが、森で眠るヴィーナスとアモルに近づいた場面を描いている。この絵の来歴は由緒あるものである。マントヴァ公フェデリコ・ゴンザーガのために制作され、イギリスに渡ってチャールズ1世の所蔵になり、それがフランスのマザラン枢機卿、そしてルイ14世のお買い上げになって、最終的にルーヴルの所蔵となる。

この絵は近年までは「ユピテルとアンティオペ」と呼ばれていた。神話にユピテルがテーバイの王女アンティオペを森で見初めてサテュロスに変身して、近づくという件(くだり)があるからである。
しかし最近の画題では、この裸女は隣で眠るキューピッド(アモル)の母ヴィーナスとされている。ルーヴルのこの絵は、ロンドンのナショナルギャラリーにある「キューピッドの教育」の対幅画と考えられている。
ロンドンの方は子どもを教育する知的なヴィーナス、ルーヴルの方は男性を惹きつける官能のヴィーナスと解釈されている。

この眠るヴィーナスの優美なS字のポーズは、ミケランジェロのシスティナ礼拝堂天井画のリンゴを受け取る「エヴァ」に、逆向きだがよく似ている。またヴィーナスの裸身の、輝かしい光から半陰影、陰影のグラデーション効果は、レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」などで成しえた成果を見事に披露しているとみられている。
このように、コレッジョは先輩の巨匠たちのイタリア・ブランドを上手く取り入れ、甘美な色調と上品な官能性で見る者を魅了した。
(井出、2011年、68頁~70頁)

ティツィアーノ


【美女が持つガラス瓶の意味は?】

ティツィアーノ(1488-1576) 
「田園の合奏」
16世紀前半/油彩・カンヴァス/105×137㎝ Denon 2F

フランスの画家J.F.ミレーの伝記に、若きミレーがルーヴルで友人に紙を借りて、ティツィアーノの「田園の合奏」だけスケッチしたという話が出てくるそうだ。農民画を目指したミレーにとって切実なものがこの絵にあったようだ。

この絵の見どころは2つあると井出氏はいう。
① 不思議な2人の裸女と2人の青年とのミスマッチな組み合わせの面白さ
右の後ろ向きの裸女はリコーダーを持って、若者のリュート演奏に耳を傾けているので、音楽の女神との説がある。とすれば、左側に立ってガラス瓶の水を井戸に注いでいる横顔の裸女はどうか? 井出氏は次のように考えている。
ガラスは美しいが壊れやすいことから、中世では虚栄のシンボルとされる。左側の女性は世俗音楽の楽しみの後に来る、時間がたてば消えてしまう空しさを指摘していると解釈している。男子の方も、リュートを弾く金持ち風な都会の若者にしても、その音に聞き惚れる裸足で粗末な服の田舎の若者にしても、そうした空しさと無縁ではない。
② 周りの豊かな緑の風景描写
たくさんの群れを率いる勤勉な羊飼いも遠くに描かれ、ここだけを見ていると、19世紀のコローやバルビゾン派の絵のようである。イタリアの北、ヴェネツィアの湿気を含んだ大気や穏やかな夕光の表現、木の葉の念の入った細密さも、この時代として異色を放つ充実ぶりである。
この2つの見どころを合わせて考えると、この絵の真の意味が浮かび上がってくると井出氏はみている。
この絵は、絵画は音楽よりも格が上、とするレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画理論を、ティツィアーノが視覚化したものと井出氏は受け取っている。つまり、ヴェネツィアの画家業界が音楽業界に出した挑戦状というのはオーバーであるにしろ。、左の堂々と前向きに立つポーズをとるような裸女は、右に座って内向きの3人を凌ごうとする絵画の女神であると解釈している。
(井出、2011年、71頁~73頁)

ヴェロネーゼ


【ドゥノン館長が粘り強く守ったナポレオン軍の戦利品】

パオロ・カリアーノ、通称ヴェロネーゼ(1528-1588) 
「カナの婚礼」
1562-63年/油彩・カンヴァス/6.77×9.94m Denon 2F

「カナの婚礼」は、ルーヴルで最も広大な画面を誇る作品である(「モナ・リザ」の対面にどんと構える)。
ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ島にある修道院食堂を飾っていたが、1798年にヴェネツィアに勝利したナポレオン軍の戦利品となってルーヴルに入った。
ナポレオンの敗北後、ウィーン会議で返還を迫られたが、当時のルーヴル館長ドゥノンが粘り強く交渉し、ルーヴルの他の適当な大きさの絵と交換して今に伝わっている。

ヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼは、人物130人も含むこの大作をわずか1年で描いた早業で、人々を驚かせたそうだ。
キリストが信者の結婚式に招かれた際に起こした、甕の水を上等のワインに変える奇跡を描いた絵なので、キリストは真ん中辺に後光のある男性として描かれる。そのキリストに向かって左に聖母マリア、よく見るとペテロらの使徒たちも呼ばれている。

後世この絵には、当時の君主たち、フランスのフランソワ1世、ハプスブルグのカール5世らの肖像があるとか、手前の4人の楽士たちは、ヴェネツィアの画家ティツィアーノ、ティントレット、バッサーノとヴェロネーゼだとかの伝説が生まれたようだ。ただし今となっては確証はない。

とにかくこの絵の宴会は宗教画ということを忘れさせるほど、絢爛豪華で賑やかで、衣服や金銀宝石も当時のヴェネツィア貴族の豊かな生活ぶりを想像させる(ただし、キリストの頭上で肉を切り分けているのは受難を表すもので、この絵が宗教画であることと思い起こさせるという)。
ともかく、この絵はドラクロワやルノワールが賞賛し、彼らに影響を与えた名作である。
(井出、2011年、74頁~76頁)

カラヴァッジョ


【緊張感漂う二人の心理描写を楽しむ】

ミケランジェロ・メリジ、通称カラヴァッジョ(1571-1610) 
「女占い師」
1594-95年/油彩・カンヴァス/96×131㎝ Denon 2F

イタリア・バロック絵画の巨匠カラヴァッジョは、激烈な人生であった。
彼の本名はミケランジェロ・メリジであったが、その生地の町カラヴァッジョのあだ名でしか呼ばれない。屈折した子どもの頃から喧嘩っ早く、ミラノでの15歳頃、画家修業時代に仲間を一人殺して獄に繋がれている。

ローマに出て人気画家になっても素行の悪さは変わらず、1606年また喧嘩がもとで2人目を殺し指名手配になり、マルタ島やシチリアにまで逃亡生活の中、マラリアにかかり、38歳であっけなく没した。

宗教画にカラヴァッジョの個性は発揮されているが、果物などの静物画も良く、ことに庶民の生活を描く風俗画は、ローマに学んだオランダやフランスの画家たちに大きな影響を与えた。

「女占い師」という絵では、貴公子風の着飾った青年が手袋を脱いだ手を、ターバンを巻いた若い女占い師に差し出している、この種のジプシー系の手相占いの絵は、町の風俗として前例があるようだが、この絵のように背景もなしで二人だけ大きく半身像で取り上げたのは初めてであるという。
この画家の新機軸は、二人の心理描写に見られると井出氏はみている。右の青年は恵まれた生まれなので、自信満々に女の瞳を見つめている。女はその視線を受けて、微笑しながら口を開きかけている。ところが女の指先を見ると、薬指と小指が怪しい動きを見せ、手相見の最中に青年の指輪を盗み取ろうとしている。女の瞳に強い緊張感が表されており、青年の関心を自分の顔に引こうとしている。
カラヴァッジョはこの絵で青年にありがちな傲りや軽率さを、自らの苦い経験をこめて戒めていると井出氏は解釈している。
(井出、2011年、77頁~79頁)

<6時間コース>

ブロンズィーノ


【専制君主の宮廷で生まれた非情な「怖い絵」】

アンジェロ・ディ・コージモ、通称ブロンズィーノ(1503-1572) 
「彫刻を持つ少年」
1550年頃/油彩・板、後にカンヴァス/99×79㎝ Denon 2F

ルーヴル所蔵のルネサンス時代の肖像画には、レオナルドの「モナ・リザ」やラファエロの「カスティリオーネ」をはじめ、名品がそろっているが、中でも16世紀中頃、マニエリスム期の肖像画の最高傑作として、ブロンズィーノの「彫刻を持つ少年」を井出氏は挙げている。

ブロンズィーノは、当時フィレンツェを支配していたメディチ家の宮廷画家で、コジモ1世による絶対主義の王政下、洗練された貴人たちの肖像を数多く描いた。モデルの少年も誰だか特定されていない。若者なのにこの異様な落ち着きを見せる。無表情、無感動、そして冷徹で洗練された肖像であると井出氏はみる。
手に持つ小彫像が「名声」を表す女神との説があり、それに従えば、彼はこれから有名になる若き芸術家かもしれないともいわれる。

しかし彼の表情は何も訴えず、何をなすべきかを見る者に悟らせようとはしない。暗殺や陰謀の渦巻くメディチ家にあって、専制君主コジモの宮廷人にふさわしい非情ぶりを表していると井出氏は評している(中野京子さん流にいえば、「怖い絵」の典型であるという)。
(井出、2011年、80頁~81頁)

ロッソ


ジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ヤーコポ、通称ロッソ・フィオレンティーノ(1494-1540) 
「ピエタ」
1530-40年頃/油彩・板、後にカンヴァス/127×163㎝ Denon 2F

【キリスト受難の悲劇をダイナミックに伝える】
通称のロッソ・フィオレンティーノとは「赤い顔をしたフィレンツェ人」とのことである。
ロッソは、フランソワ1世が何としても招聘したかったミケランジェロの代役として、フランスに呼ばれたフィレンツェ人画家である。ロッソは、大先輩のミケランジェロの様式を小粋に洗練されたマニエリスムの代表者である。

晩年の10年間をフォンテーヌブロー宮で壁画装飾や建築設計に腕を振るったが、当時の単品の油彩画としては本作品と他1点が残るのみである。

「ピエタ」とは墓に埋葬されるキリストの亡骸を抱いて慈しむ聖母マリアの図像である。抑えた悲しみを描く静謐な絵が多いが、本作品は登場人物すべてがダイナミックな動きを見せるユニークな作品である。
聖母はショックで腕を広げて後ろに倒れるような動きを見せ、キリストは右の聖ヨハネと左のマグダラのマリアによってクッションの上に横たえられようとしている。画家の秘められた情念が爆発したかのような傑作であると井出氏は評している。
(ただし、ロッソは晩年異郷で欝々と過ごして自殺したといわれる)
(井出、2011年、82頁~83頁)

ムリーリョ


ムリーリョ(1617-1682) 
「乞食の少年」(または「蚤をとる少年」)
1650年頃/油彩・カンヴァス/134×110㎝ Denon 2F

【子どもへの慈愛に満ちた優しい画家のまなざし】
ルーヴル美術館には開館した19世紀初めにナポレオンがスペインを支配したため、スペイン絵画の代表作がグランド・ギャラリーに集められて壮観をなした時代があった。
ムリーリョは、ベラスケスと並ぶ17世紀スペイン絵画の巨匠である。「無原罪のお宿り」など美しく親しみのあるマリア像の他に、庶民の子どもたちを得意として外国でも高い人気を得た。

この絵は、陽の差し込んだ小屋で、ぼろを着た少年が蚤に悩まされて無心につぶしている。この明暗のコントラストや庶民の風俗はイタリアのカラヴァッジョを思い出させるが、もっとムリーリョは性格が優しく、この絵も慈愛に満ちている。裸足の汚れた足の裏や坊主頭の髪の毛なども見事な描写力である。

この画家は両親と早く死に別れたこともあり、子どもたちへのシンパシーがよくわかると井出氏は評している。
画家ミレーが「鏡の前のアントワネット・エベール」などで描いた子どもたちは、ルーヴルのムリーリョがそのお手本になったようだ。
(井出、2011年、84頁~85頁)